『虔十公園林』から考えたこと

【福岡市南区の新興住宅地をゆく西鉄バス車中より。2017年12月24日撮影 ※インスタグラムの『ストーリー』より】
宮沢賢治の作品といえば、『雨ニモマケズ』や『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』などのメジャーな作品を思い浮かべる方が多いと思う。
‘17年12月に参加した、福岡市南区のある教会のクリスマス礼拝で、宮沢賢治の作品のひとつ『虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)』という童話が朗読された。
これは障碍者に関する宮沢賢治の見解のあらわれと評価することができるが、一面では近代社会の都市化の過程での人々の原点というかルーツを維持し続けること(要するに、第二次大戦後の日本のニュータウン開発)について予見した作品ではないか、と思った。
教会がある福岡市南区は、元々農村地帯や林野が広がっていたが、第二次大戦後に都市化が進んだ。
19世紀以降整備された、今のJR鹿児島線や西鉄天神大牟田線の鉄道路線からは元々外れている。
鉄道路線は都市間をつなぐインターシティの交通機関であるが、今の南区は油山や背振山地があり、その先の佐賀平野に出るには長いトンネルを掘るなり山越えの路線を敷設するしかなかったのである。
(21世紀の今、背振山地には三瀬トンネル、東脊振トンネルや新幹線の筑紫トンネルがあるが)
鉄道路線ができたのは、21世紀に入った2005年のことである。地下鉄七隈線である。ちなみに南区は通っていないし、西区の橋本止まりで今のところ姪浜や糸島方面には延伸される予定はないようである。
スプロール現象やドーナツ化によって福岡市も郊外に次々と公営団地(堤団地や四箇田団地や老司団地など)やその他にも小規模な宅地が虫喰いのようにできてきた。
そして林や農地は次第に消えていき、一方でロードサイド店舗や国道のバイパス、福岡都市高速ができ、昔からの道は車があふれ渋滞が慢性化していった。
開発の過程で地権者とのいざこざや、小さな森などの子供の遊び場の問題もあったのだろう。
(ちなみに現代日本のニュータウン開発については、高畑勲が『平成狸合戦ぽんぽこ』として映画化している)
宮沢はいずれこの『虔十公園林』(世に出たのは第二次大戦前だが)のような問題が日本各地で勃発するのではないか、と思っていたのだろうか。
はたして、それは現実のものとなったのである。
21世紀の今の福岡市の郊外部やその他各地の『ニュータウン』や分譲住宅地の展開をみると、宮沢も未来を見抜く慧眼の持ち主だったとつくづく思わされる。

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