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国際音痴であることを知ること

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 3月月31日午後10時59分PDT どうやら北朝鮮(北韓)が核政策を大転換させるようである。  【北朝鮮 核実験とICBM発射の中止を決定=党中央委総会 2018-04-21 07:31 聯合ニュース日本語版より】 http://m.yna.co.kr/mob2/jp/ contents_jp.jsp?cid= AJP20180421000300882&domain=6& ctype=A&site=0200000000 ただ、 北韓は過去にも核開発の中断の宣言後に再開していることがあるた め、今後の見通しは不明だと思っておくべきである。 ところで、日本政府は、日本人は何をやっていたのか。 ( 日本人の拉致事件や北韓政府の自国民に対する人権問題は言語道断 ではあるが)北韓を『敵対国』として扱い、 外交チャンネルを断ち、 戦国時代の備中高松城みたく北韓を兵糧攻めすれば北韓は簡単に『 落ちる』と思い続けていたのではないか。 外交とはテーブルの上で握手していてもテーブルの下で拳銃を突き つけ合う・足蹴りしあう、と例えられることもあるが、 今回の南北首脳会談や米朝首脳会談は、 逆にテーブルの上でやりあってもテーブルの下でカネなりなんなり を握らせるようなことをやるよう日々努力してきた成果だったので はないか。 今回の経緯は後年裏話とかこぼれ話が出てくるであろうし、 どういう取引があったかも、 将来何らかの形で話題になるのであろう。 ここで、司馬遼太郎と高坂正堯の対談『政治に"教科書"はない』 (対談集『日本人を考える』に収録) の一部を整理して紹介しておきたい。 ノモンハン事件や日露戦争に関する顛末を受けての指摘である。 高坂の指摘は以下の通りである。 『一般に日本では、 国際的な情勢に対する無知があるだけじゃなくて、 国際情勢の認識をむしろ拒否するような傾向がある』 『国際情勢の無知から、 ときどき日本人はモノに憑かれたようになるときがある』 『日本人の伝書鳩的性格はいろいろ利点もあるけれども、 政治家が国際外交をやったりする際には、 大変なマイナスに作用する』 『日本の政治家は、日本人の伝書鳩的、 島国的性

#ペンタゴンペーパーズ とアメリカ合衆国の『かたち』 #pentagonpapers

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【筆者のインスタグラムの「ストーリーズ」に上げた画像より】 公式サイト http://pentagonpapers-movie. jp/sp/ 先日観た『ペンタゴン・ペーパーズ』について書く。 この映画は、 アメリカ合衆国国防総省のベトナム戦争に関する内部文書をスッパ 抜いたニューヨーク・タイムズとワシントン・ ポストに関する社会派映画である。 本作ではワシントン・ポスト(以下WP)が中心である。 文書の内容はベトナム戦争への反戦運動を活性化させることになる が、 軍事政策に及ぼす影響を考えるとスッパ抜かれたこと自体を面白く 思わない合衆国政府と、 職業倫理をとるか政府との付き合いをとるかで揺れたWPの内部や 利害関係者のせめぎ合い、という話の筋が、観る者に「 あなたならどうする?」と訴えかけてくるのである。 あなたがWPの新聞記者ならば、編集主幹(トム・ハンクス) ならば、社主(メリル・ストリープ)ならば、役員ならば、 法律顧問ならば、政府関係者ならば、どう立ち回るか。 おそらく皆さんがそれぞれの立場に立てば、 それぞれの俳優たちが演じたような心理状態になるだろうし、 行動を取ろうとするだろう。 それぞれにとって最善だと思う策を推すことになるだろう。 政府の有形無形の圧力や役員たちの諌めなどを受けながらも、 社主は「記事を出す」という決定を下したのである。 編集主幹の “Run.”(動かせ) 印刷部門の担当者の “Yes, Sir.”(はい) から映画のクライマックスを迎える。 WPは職業倫理を、読者を、そしてブランド・ 仕事の質についての信用を守ることを選んだのである。 前半は伏線の回収を待つ我慢比べのような展開であるが、 クライマックスで筆者が思ったことは、 ・人工国家と司馬遼太郎が『アメリカ素描』 で評したアメリカ合衆国は、法への忠誠、 というかアメリカ合衆国の根本的な価値観、メイフラワー誓約( 盟約、契約)に忠実であろうとする国だということ ・メリル・ストリープが演じた社主はWPにとっての『 諸価値の総合者』だったのではないかということ である。 ここで『アメリカ素描』を参照してみることにする。 『(『メイフラワー号の誓約書』) 全員が署名をすることによって相互に契約するということをおこな った。 かつ「正義公平な法」に対して服従をちかった。 法が、

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 2月月24日午後8時43分PST 司馬遼太郎と陳舜臣の対談より、今回は 『侠』のことについて紹介したい。 日本の社会でヨコのネットワーク(ここでは『侠』 という表現を使っている) が発展しにくい事情について語っている。 陳は日本の亡命者の受け入れの少なさについて以下のように述べて いる。 『秩序維持といえば、今もそうですね。やっぱり国益が優先して、 例えば亡命を認めないですね。窮鳥懐に入れば、 という心がないんですよ。 国外追放処分をうけて本国に送還されれば明らかに死刑になると判 っている人間でも、日本の法務省は送還してしまいます。』 『自分の国で、よその国の反政府運動などをやられると、 大そう迷惑しますよ。そんなややこしい連中は追放してしまえば、 一ばん面倒がない。国益からいえば、追放が最上の策である。… しかし、これは、国家的に俠の精神に欠けているという、 一つの表われじゃなかろうか。』 『日本の国益に反するから、この男がおったら困る。 それから先は知らん、という考えは…これは戦時体制ですよ。 こういう奴がいたら困る、損か得かということが、 すべてのものの判断基準になってしまう。』 陳の指摘からみると、日本の体制は人間そのものよりも国益・ 秩序維持が大事、事勿れ主義、 物事が無難に進めば良いという感覚にとらわれている、 という実情が透けて見える。 これは21世紀に至っても変わっていないのではないか。 一方、司馬は中国と日本の事情を比較している。 『ではどうして中国に俠が発達したかと考えてみると、… 治乱興亡を経てきて判ったことだが、 権力は必ずしも自分を守ってくれない。 権力がすみずみまで及ぶには中国は広すぎますからね。だから、 村落の共同体が、自分たちだけで守る。守るについて、 内部的な秩序の孝をもって立て、対外的なものに対しては、 俠をもって守りあおうとした。』 『日本はすみずみまで小権力がびっしりあって、 それが連なった上に徳川幕府という最高権力がある。 そういうなかでにわかに俠を発すると、隣り近所、 親類みんなが迷惑するわけで、見殺しの習慣ができた。… 見殺しにしてからあとで可哀そうやと涙をこぼす。 まったく俠を

『タコツボを出よ、』

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 4月月8日午前5時56分PDT 【参考記事  https://www.huffingtonpost.jp/ kazuhiro-taira/filter-bubble_ b_14713992.html  】 ソーシャルメディアを使っていくと、 似たような内容の投稿が増えてきたり、似たような仲間( というより、単なる読者)が増えていくことが往々にしてある。 その結果起こる『情報のタコツボ化』について、 先日ハフポスで取り上げられていたので、 ここでも改めて紹介しておきたい。 バイラルメディア( ソーシャルメディア向けのニュースなどの媒体)「 アップワージー」のCEO、イーライ・ パリサー氏が2011年のベストセラー『フィルターバブル── インターネットが隠していること』の中で提唱した、『 フィルターバブル』という概念がある。 曰く、『グーグルやフェイスブックが、 情報をパーソナル化のフィルターにかけ続けることで、 ユーザーは自分の興味関心に合うものだけに囲まれて、 逆にそれ以外からは遮断されてしまう状態――それが" フィルターバブル"だ。』 『フィルターバブル』の短所としては、 『フィルターの精度が上がれば上がるほど、 ユーザーはどんどんと情報のタコツボに入り込み、 自分と違った立場、 違った視点の情報に接する機会が無くなってしまう』 『自分の信じたいことへの確証を一方的に強めていく「 確証バイアス」の危険』 『自分のものの見方が、 世界を代表しているかのように思ってしまうことに気付かない』 ということを先のパリサー氏は指摘している。 知らず知らずのうちにのうちに、 自分が見たいものしか見なくなり、 その自分が見たいものが世の中の現象にそのまま当てはまると思い 込んでしまう。 今考えると、 ツイッターをやっていたころの筆者も例外ではなかった。 ヘイトスピーチを行うアカウントは別として、 意見が異なるアカウントや、 筆者の中の基準でNG判定したアカウントを次々とブロックしたり スパム報告したりしていたが、自ら『タコツボ』 にはまり込んでいたのかもしれない。 いや、今もそうなのだ