武家政治2018 秩序の維持について



先日拝読した司馬遼太郎と陳舜臣の対談で、日本の統治体制について言及している部分を今回紹介したい。
筆者は、時々日本人が『武力』をどこかで信奉しているような気がしていたが、陳と司馬が既に1970年代に指摘していたのである。
一つのグループを守るのは武力しかないとする考えを『日本人の根本的な思考方法』だと陳瞬臣は見ていた。
『きわめて合理的で科学的だといえる』
『日本人は、頭から、武力が一番てっとり早いという考え方』
つまり、いつでも臨戦体制なんだ。戦争になっても敵に滅ぼされんような体制を常時とっている。』
『規模は小さくても完璧なものにするというのは、敵に知られちゃいかん、いつでも戦争なんだという意識が、ひそんでいるからじゃないでしょうか。』という陳のコメントからみると、日本人の完璧主義的な傾向は『臨戦体制』ゆえのものだったのかもしれない。

臨戦体制についての陳の指摘は以下のように続く。
『臨戦体制となれば、損か得かは、非常に端的な選択法ですからね。捨てるものはあっさり捨てなければ、先へ進めない。物ないしは思想を簡単に捨てるというのは、やはり、常時戦いに臨んでいる姿勢とつながるんではないか。』
武家政治は日本を治める一番いいスタイルだったんじゃないでしょうか。』

この国の体制の概観について、司馬は『武家政治は徳川期いっぱいでおわったわけではない。明治期も多分に武断的だった。大正と昭和初年だけがすこし毛色がちがっていて、満州事変前後からふたたび武家政治待望の世論が出てくる。その世論へ軍閥が乗っかった。』
『日本は、武によって統御すると、比較的安定する社会かもしれませんね。』と述べている。
当邦の知識階級は、文治や民主政がそのまま当邦でも根付くと無邪気に思い込んでいる、自分たちが正しいと思うことを主張し続ければいつか『正しい』状態が実現する、と思い込んでいるのではないかと思ってしまうのである。
知識階級の人々は、時にツイッターやフェイスブックなどを利用して主張しているが、この陳と司馬の指摘を理解しているのか、疑問に思うことがある。
はっきり言えば、日本の統治体制が『武家政治』がデフォルトだということを理解していないように思えるのである
それをわかってなければ手の打ちようもないし、政治・経済・社会の変化に対してインフルエンサー的役割を果たすことはできないのではないか。
筆者がよく見てきたツイッターの政治経済関係の人気ユーザーでさえ、この陳と司馬の指摘を理解できていない、という気がしてならない。

人間関係にまつわる『侠』については、司馬と陳は以下のように述べている。
(陳の指摘)
『日本に入ってきた中国のモラルのうち、仁はまだいいとして、俠という精神は、まったく犠牲にされてしまっているんじゃないでしょうか。』
『侍は君主に仕える。つまり上下の関係であって、俠は横の関係ですからね。友達のために死ぬということだから。』
『日本では武士道は発達したが、その割合で俠はへこんでしまって、ほとんどないという気がする。
(司馬の指摘)
『俠とまでいかなくても、友というものが日本にはあまり発達しなかった。友情というのは非常に高級なモラルであるといわれだしたのは、明治以後で、この観念は、中国よりはむしろヨーロッパからとりいれたモラルですね。』
『侠の精神が日本に定着しなかったのは、それがあると、縦割りでできあがった日本の社会がこわれてしまうからでしょう。
『組織化された時代になると、俠はむしろ日本人社会をこわすかもしれない、ということで危険なものにされてしまう。日本は秩序維持がすべてに先行しますからね。』

司馬の『日本は秩序維持がすべてに先行しますからね』という指摘。
これは皆さんが子供のころ、または親として子供を育てる過程で、学校という空間でそういう雰囲気を感じてきているはずである。
学校だけでなく、あらゆる組織や集団が、『秩序維持』を大前提としているのではないか。

サッカーや野球などのナショナルチームでさえ例外ではないのではないか。

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