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貴賎

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 7月月19日午前12時49分PDT 『僕は今の日本人が民度高い点についても疑問で、 立場の高低がはっきりしているand/ or集団のときは底抜けに下劣にふるまえると思ってるんだけど。 バイト店員に居丈高にふるまうとか集団で大騒ぎするとかナンボで も見られる風景だけど、これ別にモラル高くないよなー。』 承前)僕は今の日本人が民度高い点についても疑問で、立場の高低がはっきりしているand/or集団のときは底抜けに下劣にふるまえると思ってるんだけど。バイト店員に居丈高にふるまうとか集団で大騒ぎするとかナンボでも見られる風景だけど、これ別にモラル高くないよなー。 — 瀬川深 Segawa Shin (@segawashin) 2015年5月14日 『先日乗ったタクシーで聞いた話。 中国人の個人旅行客が増えている。 マナーが悪くて困ったことはない。「言葉分かんないんですけど、 スミマセン」みたいな感じで、地図を見せてくる。 却って日本人の居丈高な客とか、酔っ払いの方がやっかい。』 先日乗ったタクシーで聞いた話。中国人の個人旅行客が増えている。マナーが悪くて困ったことはない。「言葉分かんないんですけど、スミマセン」みたいな感じで、地図を見せてくる。却って日本人の居丈高な客とか、酔っ払いの方がやっかい。 — 石川めぐみ (@ishikawa_megumi) 2015年3月16日 よく『職業に貴賎なし』とは言われるが、 多くの人々の中には貴賎の意識があると筆者は思っている。 『ホワイトカラー』や頭脳労働が貴ばれ、『ブルーカラー』 や接客業などの人に頭を下げる職業は賤しいものという意識。 筆者を含めた日本人の意識の根底にあるものではないか。 平成バブル後(および『就職氷河期』後)の日本は、特に『 小泉構造改革』という一種のイデオロギー運動により、 東京や大企業が己を守るために地方や中小企業を切り捨て、 若い世代をはじめとした労働者階級を雇用形態によって『身分』 や『階級』で『区別』することが露骨になり、 日本人の中の貴賎の意識がより洗練された形で明確化したのではな いかと筆者は思っている。 筆者は大多数の日

『とほうもない人間喜劇、もしくは悲劇』としての『関ヶ原』

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 7月月10日午後11時24分PDT 【  http://onthewayinkyushu. blogspot.com/2018/07/blog- post.html  の続きである。】 約1ヶ月かけて、『とほうもない人間喜劇、もしくは悲劇』 である『関ヶ原』を読了した。 『太閤』豊臣秀吉没後の勢力争い、 幹部達の性格や仕事ぶりなどから生じた確執や対立、 権力闘争としての『天下取り』への欲望、そして個々人の感情。 それらがないまぜになり、 1600年9月の関ヶ原の合戦に至ったストーリーを歴史資料や取 材に基づき、稀代のストーリーテラー・ 司馬遼太郎が壮大なファクションとして作り上げた作品である。 本作を読み、筆者は司馬が『国民作家』 としてブレイクした理由が、 キャラクター設定において歴史上の人物を一人一人の読者同様の『 ナマ身の人間』として作り上げた(というよりも、 浮かび上がらせた)こと、 筆者が読んでみて思っていたよりもスラスラ読めるような文章を書 ける能力があったこと、そして、 読者をキャラクターに感情移入させるストーリー展開にあったので はないか、と思った。 ロマンチシズムを取るかリアリズムを取るか。 狡猾かつ計算高く『天下取り』 という目標をひたすら追求する徳川家康のキャラクター。 石田三成なども含めて、 周囲のキャラクターがそれぞれの長所短所を出し、 欲望や野望や己の信念に従って行動するストーリー。 『読めばわかる』といえば雑だが、まさに『 とほうもない人間喜劇・悲劇』だと思う。 上巻にある石田三成と島左近の会話のシーンより、三成( そして豊臣方)の敗北、そして『城塞』 における豊臣家の滅亡を示唆する、 島左近の台詞があるので紹介しておきたい。 『町の繁昌が豊家(註:豊臣家) のおかげだと申されるのはあとかたもないうそじゃ。古来、 支配者の都府というものに、人があつまるのが当然で、 なにも大坂にかぎったことではござらぬ。 利があるから人があつまる。恩を感じてあつまるわけではない。』 『大坂が繁昌であると申されるが、 それは都心だけのことでござる。郊外二、三里のそとにゆけば、 百姓は多年の朝鮮ノ役(註:文禄・慶長の

アトランティックシティ:都市のつかいすて その2

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Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 7月月19日午後9時38分PDT 『 当たり前の話だけど、 米国のカジノ業界はモロに景気連動するからね、 景気がいいときは儲かるが、 景気停滞するとひとびとの財布の紐固くなってカジノも干上がる。 米国最大級のカジノリゾート倒産に至ったトランプのタジマハール カジノは、皮算用自体が馬鹿げていたが、 景気後退の影響もモロに受けた。』 当たり前の話だけど、米国のカジノ業界はモロに景気連動するからね、景気がいいときは儲かるが、景気停滞するとひとびとの財布の紐固くなってカジノも干上がる。米国最大級のカジノリゾート倒産に至ったトランプのタジマハールカジノは、皮算用自体が馬鹿げていたが、景気後退の影響もモロに受けた。 — TrinityNYC (@TrinityNYC) 2018年7月20日 『都市のつかいすて』というネタ http://onthewayinkyushu.blogspot.com/2018/01/blog-post.html を2018年の正月に上げたが、 統合型リゾートに関する諸法令の制定・ 改定が確実になった2018年夏、 ネタ集めの為に眺めていたTwitterのある方のアカウントで 共有されていた投稿で、 『都市のつかいすて』 ということを思い出したのである。 前回は筆者が西鉄電車でふらりと立ち寄った大牟田の昔ながらの商 店街と『アメリカ素描』をヒントにした。 今回は米国のカジノと景気変動について示唆する投稿であり、 ブルース・スプリングスティーンの『アトランティック・シティ』 のことを思い出した。 ここで、司馬遼太郎『アメリカ素描』 の一節を参考までに紹介しておきたい。 『アメリカにきておどろいたことのひとつは、 機能を失った都市を、平然と廃品同然にしていることだった。 フィラデルフィア市を見てそう思った。 日本でいえば、大阪を廃品にするようなものである。』(『 アメリカ素描』247ページ) 『 いわば豪儀なことができるほど国土がひろいということもあるだろ う。… 資本というものの性格のきつさが、 日本とくらべものにならないということもある。 この社会

『次』のシミュレーション:2018年7月豪雨

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 7月月8日午前12時43分PDT 2018年の梅雨入り後しばらくしてから、 『梅雨だけど雨が少なくて助かる』 『こういうシーズンに豪雨とか台風とかあるんですよね』 と旧い友人とLINEでやりとりしていたら、案の定というか、 瓢箪から駒と言うべきか、 2018年の梅雨は巨大災害で幕を閉じる結末となってしまった。 2017年の九州北部豪雨も相当酷い被害で、 2018年の夏に至っても日田彦山線は復旧できていないし、 筑後地方の一部は未だ復旧作業が続いている。 が、特に中四国地方が、 今回はそれをはるかに上回る深刻な被害に見舞われている。 貨物の大量かつ定時制の高い輸送に向いているとされる鉄道輸送の 要であり、 九州方面と関西方面のメインルートであるJR山陽線がズタズタに 破壊されているのを見ると、 事によっては当邦の経済に幾許かのダメージを与えるであろう、 と思っておいた方がいいのかもしれない。 『絆』とか『寄り添い』とか、 上滑りしやすい言葉に立法府や行政府が飛びつき、 ナマの現実に応じた対処ができなくなることが、 地味におそろしい事なのではないか。 まるで、第二次大戦のように。 今回の豪雨災害を受けて、小松左京が原作であるSF『日本沈没』 を漫画版で再構成した一色登希彦氏が彼のツイッターのアカウント に上げた投稿を(いささか長くなるが)抜粋して紹介しておきたい。 この巨大災害をどう解釈するかについては彼の投稿が的確かもしれ ない、と筆者は思ったのである。 今回の豪雨災害は、今の時点で、よくてまだ折り返し点くらいかと思う。被害者数は、ここまでにカウントされた単位があとひとつふたつは簡単に積み重なるのではないか。列島の西半分、行ったことある場所やお店や「知っている人」が「被災」していく様子を無事な自分が手元で「眺める」。なにこの地獄。 — 一色登希彦 (@ishikitokihiko) 2018年7月8日 『今回の豪雨災害(註:2018年7月豪雨)は、今の時点(註: 2018年7月8日)で、よくてまだ折り返し点くらいかと思う。 被害者数は、 ここまでにカウントされた単位があとひとつふたつは簡単に積

『関ヶ原』を読んで その1

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 6月月21日午後8時21分PDT 『…ヘンリー・ミラーは、「いま君はなにか思っている。 その思いついたところから書き出すとよい」といったそうだ。 そういうぐあいに、話をすすめよう。』 (文庫版10ページ) という冒頭の一節に惹かれて読みはじめた『関ヶ原』。 上巻は石田三成と加藤清正の確執、 それを野望のために利用する徳川家康を軸にストーリーが進む。 文庫版71ページにある三成の家臣・島左近のセリフより。 『古来、支配者の都府というものに、人があつまるのか当然で、 なにも大坂にかぎったことではない。利があるから人があつまる。 恩を感じてあつまるわけではない。』 『…豊家(豊臣家)の恩、豊家の恩と殿(三成)はいわれるが、 そのかけ声だけでは天下はうごきませぬぞ』 これは司馬の考えの基にある、リアリズムの表れではないか。 司馬自身の考えを登場人物に喋らせているのだろう、 と筆者は思った。 司馬のキャラクター設定より。 豊臣秀吉の天下統一後、 官僚的統治機構による国家運営の重責を担うこととなった石田三成 。 ロジスティクスに関する才覚や重商主義的な地方経済の活性化策の 成功を受けて、三成は秀吉に重用されることとなった。 彼の性格や癖、仕事ぶりは時として人に疎まれがちであった。 文禄の役・慶長の役(韓国では壬辰倭乱と呼ばれる)での『活躍』 を自負している加藤清正などの武断派は、 三成に対し確執があった。 彼等の性格の相違や政権内での確執が、 その後の関ヶ原合戦や大坂冬の陣・ 夏の陣による豊臣政権の崩壊の遠因ではないか、 と司馬はみていたようである。 三成が『正義』というものを重視する性格であるという設定。 曲がったことを嫌う、感情が表情や癖に出るところ、 これは筆者の短所にも似ているように思えてきてならなかったので ある。 三成の登場シーンを読むたび、 自分のことを書かれているような気分になっていった。 権力闘争や国家運営の過程に限らず、 家族間や恋人同士であっても側から見れば些細なことに見える( 当事者には重大なものごとであろうが) 性格の相違や確執というものは生じうるものである。 その相違