『とほうもない人間喜劇、もしくは悲劇』としての『関ヶ原』


【 http://onthewayinkyushu.blogspot.com/2018/07/blog-post.html の続きである。】
約1ヶ月かけて、『とほうもない人間喜劇、もしくは悲劇』である『関ヶ原』を読了した。

『太閤』豊臣秀吉没後の勢力争い、幹部達の性格や仕事ぶりなどから生じた確執や対立、権力闘争としての『天下取り』への欲望、そして個々人の感情。
それらがないまぜになり、1600年9月の関ヶ原の合戦に至ったストーリーを歴史資料や取材に基づき、稀代のストーリーテラー・司馬遼太郎が壮大なファクションとして作り上げた作品である。

本作を読み、筆者は司馬が『国民作家』としてブレイクした理由が、キャラクター設定において歴史上の人物を一人一人の読者同様の『ナマ身の人間』として作り上げた(というよりも、浮かび上がらせた)こと、筆者が読んでみて思っていたよりもスラスラ読めるような文章を書ける能力があったこと、そして、読者をキャラクターに感情移入させるストーリー展開にあったのではないか、と思った。

ロマンチシズムを取るかリアリズムを取るか。

狡猾かつ計算高く『天下取り』という目標をひたすら追求する徳川家康のキャラクター。
石田三成なども含めて、周囲のキャラクターがそれぞれの長所短所を出し、欲望や野望や己の信念に従って行動するストーリー。
『読めばわかる』といえば雑だが、まさに『とほうもない人間喜劇・悲劇』だと思う。

上巻にある石田三成と島左近の会話のシーンより、三成(そして豊臣方)の敗北、そして『城塞』における豊臣家の滅亡を示唆する、島左近の台詞があるので紹介しておきたい。
『町の繁昌が豊家(註:豊臣家)のおかげだと申されるのはあとかたもないうそじゃ。古来、支配者の都府というものに、人があつまるのが当然で、なにも大坂にかぎったことではござらぬ。利があるから人があつまる。恩を感じてあつまるわけではない。』
『大坂が繁昌であると申されるが、それは都心だけのことでござる。郊外二、三里のそとにゆけば、百姓は多年の朝鮮ノ役(註:文禄・慶長の役、壬辰倭乱)で難渋し、雨露の漏る家にすみ、ぬかを食い、ぼろをまとい、道路に行きだおれて死ぬものさえござる。豊家の恩、豊家の恩と殿(石田三成)はいわれるが、そのかけ声だけでは天下はうごきませぬぞ』(71ページ)
これは司馬が彼の考えを島左近のリアリスティックなキャラクターを通じて述べているものだと思うが、この台詞を踏まえて下巻まで読んでいくと、この島の台詞が的中した結果となっている。
上巻は、21世紀風にいえば『背広組』にあたるであろう石田三成や、『制服組』にあたるであろう加藤清正などの間の確執、『天下取り』という壮大な目的一点のために深謀遠慮や計算や策略や駆け引きを仕込む徳川家康のキャラクターが、その後の運命につながる『伏線』となっている。

中巻は、主要キャラクターたちがいよいよ秀吉の死去を受けて、『ポスト秀吉』の座、そして天下取りのために蠢きはじめるストーリーである。
ちなみに、熊本県民であればどこかで名前を聞いたことがあるかもしれない細川ガラシャが、夫である細川忠興との愛ゆえに自ら死を選ぶシーンが出てくる。

そして、下巻。
石田三成自身の性格として、彼自身の理論と現実が乖離している局面で、現実よりも理論の方が正しいと思うような面があることを描き出している。
また、序盤で福束城という小城が出てくるが、三成や毛利家が率いる西軍がインテリジェンスについて大きな弱点を持っていたことの象徴としてこの城を司馬は取り上げている。
徳川家康の慎重に慎重を重ねる姿、そして家康を迎え撃つ西軍の乱れや戦略ミスも描かれている。

関ヶ原での戦闘では、西軍が総戦力の3分の1しか動いていなかったことを指摘し、結局は西軍の大半が『日和見』を決め込んだ(そして、小早川秀秋は結局寝返った)格好として描いている。
終盤の三成の逃亡シーンでは、彼を救助したある百姓との出会いを受け、彼のモノローグという形で、彼が20代の頃から生きてきた権力社会を振り返り、『(義というのは、あの社会にはない)
関ヶ原の合戦なかばにして三成はようやくそのことを知った。利があるだけである。
人は利のみで動き、利がより多い場合は、豊臣家の恩義を古わらじのように捨てた。…権力社会には、所詮は義はない。』
と権力社会について痛烈な皮肉を司馬は書いている。

司馬との対談で度々登場している、高坂正堯氏(政治学者)の解説より。
『関ヶ原の戦いは軍事的な決戦という性格よりも、政治的な争いという性格の強いものであった。』
『…少々思い切った比喩を用いるならば、関ヶ原に至る状況は、現代の日本における選挙の前の多数派工作に似ている。』
『…人々の行動は歴史の流れを変えることはできなくても、かなりのところまでそれに挑戦しうる。』
『…関ヶ原の戦いでは勝敗が問題ではなくて、そこに展開された人間模様の方が重要なのである。』
参考:高坂正堯-wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%9D%82%E6%AD%A3%E5%A0%AF

『生物の次元で考え』てみると、人間の集団で生きるには理屈や観念も大事だが、他人に対する好悪の感情が行動に影響を与えるものだ、ということをこの1600年の合戦にまつわる人間模様を読むと感じさせられる気がしてならない。

これは、司馬本人の第二次大戦の体験というものが多分に影響しているのではなかろうか。

『関ヶ原』を読み進めるうちに、国家レベルの権力闘争に限らず、友人関係・恋愛関係・家族関係も、極端にまでブレイクダウンすれば、つまるところ『人間喜劇・悲劇』と理解すれば(ある程度だが)、一種の『悟りの境地』に至り、そして、物事の対処法を考えるひとつの道標になるのではないかと思った。

コメント

このブログの人気の投稿

#福岡市長選 観察記 その2

春の九州路をゆく 長崎・日田・柳川

水俣の青い空の真下で:暴力について