#福岡市長選 観察記 その2



『近年共産系の候補が『中小企業にカネを回すこと』が大事だと訴えているが、『売上は減っているが一族の取り分を減らすことはできない中小企業による従業員の人件費&福利厚生のカットによるブラック化』にどう対処するか、ではないか。 https://twitter.com/hirokinose/status/1034031818851401728?s=21

1:はじめに
今(2018年12月下旬)思えば、もう昔話のような感覚もあるが、ほぼ同時期に行われた米国の中間選挙と比べるとあまりにも関心を持たれず、盛り上がる局面も極めて少なかった2018年の福岡市長選であった。

参考:米国中間選挙についての町山智浩さんのレポート
https://miyearnzzlabo.com/archives/53336 

『文明』を生み出せる『人工国家』であり、世界の情勢どころか、その動静がバタフライ効果というもので世界中の人々の明日の生活にも何らかの影響を及ぼすことがある超大国・アメリカ合衆国の政治の話と単純に比較することはできないが、福岡市長選があまりにも盛り上がらなかったように思える。

『開発か、福祉か』という選択肢が提示されていたが、外野の視点からみて、討論の場が設けられなかった(大人の事情というものなのだろうが)ことで、議論が盛り上がる余地がなかったのではないか。

2:現職について
全校区巡回を謳っていたのであれば、そのテストを兼ねて何らかの形で『アウェイゲーム』に臨むということもアリだったのではないか。
有権者に対しては、対立点や問題点を洗い出し、より明確に選択肢を示し、有権者ともっと腹を割って話し合い、次の任期の市政に反映させるきっかけを一つでも多く作ることが必要だった、と思う。

例えば『一人一花運動』などのイベントを打ち上げて『賑やかし』をやることや、各種の媒体を活用したパフォーマンスも大事なのかもしれない。それは21世紀の今、『顔役』として『映える』キャラクターが首長の資質の一つであるとすれば、現職がその資質を持つと福岡市民が判断したと解される。
だが、福岡市特有の事情(人口増加、観光、交通事情、福祉政策etc.)について現実を認識し、『諸価値の総合者・ジェネラル』として問題解決に取り組める人物か否か、市長としての資質を見極めるためには情報量が少ないのではないか、とも思う。
広報誌を見るというのは一つの方法であり、ソーシャルメディアを使うのも一つの方法である。
だが、本人のナマの姿を実際に見ることが最も重要なことなのではないか。
もっとも、広報誌にもソーシャルメディアにも興味がなければ、知りようがない部分が多いが。

現市政の運営については、諸々の欠陥やゴタゴタや隙があるようだが、それでも『失点が少ない』ように見せるのも政治家の資質なのだろうか。

3:新人候補について
対立候補を見たところ、『くらし』『福祉』を打ち出していたが、都市政策や交通政策についての対案が一般の有権者には響かなかったのではないか。
共産党系の候補を何人か見てきたが、どうしても共産党の政策の『コピペ集』とか『カーボンコピー』的なものが抜けない印象を持っている。
都市自体について『絵を描く』能力があるように見えない(ように思わされているだけなのだろうが)、と有権者が感じたのかもしれない。

日本人はどうも『清濁併せ呑む』人物を好む傾向があるようである
現職が対立候補と比べてそう見えるのかもしれない。
対立候補、というか彼の出身母体の共産党自体が『清濁併せ呑む』ということができないから支持しない、と見ている人が多いのだろうか。

その辺りまで掘り下げ続けていかなければ、圧倒的優位に立つ現職に対し、ドン・キホーテの寓話や灯篭のカマキリのように立ち向かう共産党という、『お馴染み』の構図から抜け出す可能性は低くなり続けるのではないか。

4:雑感
次の(2022年)選挙で、
・『清濁併せ呑む』ことを厭わない(というパフォーマンスだけでもやる)
・思想信条が異なっても『腹を割って話す』『傾聴する』
・それなりに知名度がある
・『ジェネラル』たり得る
・福岡市の抱える問題を炙り出し、的確に指摘し、候補者同士のディベートに持ち込み、選挙戦を盛り上げる能力を持つ
いずれかの能力のある候補がどれだけ出てくるかで、次の2022年福岡市長選は盛り上がるかどうかが分かれるのではないか。
(任期途中の辞任とか出直し選挙がないとは限らないが)

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