【映画観賞記】#ボヘミアン・ラプソディー と余談のようなもの

先日、『ボヘミアン・ラプソディー』を観賞した。
本作の素材は、ロックバンド『クイーン』とそのリードボーカルであるフレディ・マーキュリーや彼等に纏わる種々の逸話やメンバー間・関係者間の確執、1985年の『ライブエイド』に至るまでの経緯である。
『クイーン』の作品については、筆者は20年以上前に大学の先輩が阿蘇へのドライブの車中で『バイシクル・レース』を流していたのをよく覚えている。
筆者の大学の先輩や同期・後輩たちは洋楽派が多く、話題に出てきたのはとりわけ英国ロックが多かった。
フレディ・マーキュリーは筆者が高校生だった1991年に死去している。
彼の死因はAIDS(後天性免疫不全症候群)発症に伴う気管支肺炎であった。

本作では、フレディがインド系移民の家系であったこと、彼の歯並びと声の関係、彼の性的指向についても触れられている。
フレディはインド系移民(劇中では『パキ野郎(パキスタン系を罵る表現のようである)』と罵られていたが)であり、現在のタンザニアの東にあるザンジバル育ちである。
また、フレディ役のラミ・マレックはエジプト系であるが移民の家系である。

余談だが、英国の移民の家系から、2018年現在のロンドン市長としてサディク・カーン(パキスタン系)が出ていることも知っていてほしい。
英連邦(コモンウェルス)がかつてアフリカやインド亜大陸を中心に植民地支配を行なっていたことも本作から伺い知ることができる


本作では『ボヘミアン・ラプソディー』や『ウィー・ウィル・ロック・ユー』の制作過程についても触れられている。







この2作品の制作シーンを見て、彼等『クイーン』が独自性を打ち出し、アイデアや創意工夫で名曲を世に出し続けてきたことに筆者は感嘆したのである。
彼等のアイデアの賜物である『ボヘミアン・ラプソディー』が世に出るまでには、マネージャーがなかなか首を縦に振らなかったことが描かれている。
オペラセクション(パート)も盛り込まれ当時としてはかなり長い曲であったことで一般受けしないのではないかと懸念されていたが、クイーンのメンバー自身が『いける』と判断し、売り出し、大ヒットし、2010年代の現在に至るまで愛され続けている。

2010年代の現在であれば、種々のデジタル機材やソフトウェアによる編集・加工が制作現場で使われていると思われるが、(アナログ時代ゆえなのかもしれないが)ふとした動作や現場の環境を踏まえた彼等の発想や目の付け所が曲の『いい味』を出しているのだと思った。

俳優陣にかかったプレッシャーは、私達には想像できない程強大なものがあったのではなかろうか。
世界各地で著名人の『ものまね』をやる人はいるし、コピーバンドも数多ある。
しかし、本人の役を演じきり、世界各地のクイーンのファンや存命の関係者を唸らせることは尋常ならざる努力が要求されるのではないかと思った。
フレディ役を演じきったラミ・マレックは、クイーンのメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーの支援があったからこそ本作の制作を完遂できた、という話をしている(公式パンフレットを参照のこと)。

本作は、フレディ・マーキュリーの一代記として興味深く拝見した
ファンの方々のみならず、多くの方々が各々のやり方で愉しんでいただけるとよい。

これは余談の余談かつ予言のようなものだが、今後エンタメ界の世界的スターの伝記物映画が出るとすれば、マイケル・ジャクソンになるのではないか、と思った。
そして、マイケル役を演じる俳優も、本作の俳優陣が感じたであろう強大なプレッシャーに晒されるであろう。

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