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文明と文化とSNS:『アメリカ素描』から考えてみた

#jrkyushu #hakatastation #plarail #toytrains #eijimitooka #kyushurailwaycompany #博多駅 #プラレール #水戸岡デザイン #水戸岡鋭治 #800系 #N700系 #N700 #883系 #青いソニック #白いソニック #885系 #tiltshift #チルトシフト 博多駅阪急側橋上改札内のミニチュア。なぜか #秋田新幹線 #こまち のミニチュアもある(こまちはKOD奥山清行のデザイン) Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2017 11月 21 8:26午後 PST 【本文と関係ない画像です。文明の象徴としての鉄道のイメージです。2017年11月JR博多駅で撮影】 自分が人生で迷ったときに読むようにしている本がもう一冊ありま す。 司馬遼太郎の『アメリカ素描』です。 私たちが生きている社会の基盤にある『文明』『文化』について、 1980年代に司馬が書いた著書であり、 アメリカの社会の底流にある『何か』 を想像するのに有用な本であると思います。 『普遍性があってイカすものを生みだすのが文明であるとすれば、 いまの地球上にはアメリカ以外にそういうモノやコト、 もしくは思想を生みつづける地域はなさそうである。』( 文庫17ページ) facebookやInstagramやTwitterなどのS NSやその基盤たるインターネットという通信手段の発祥の地は、 アメリカ合衆国です。 司馬遼太郎が1980年代に述べていたことが、 2017年の今も新鮮な感じを受けるのは、 アメリカ合衆国が今もって技術革新や新しい社会的価値観の形成を つづけていることが大きいのではないかと思います。 誰もが気楽に使えて「イカす」もの(例えば2017年の場合は『 インスタ映え』に象徴されるInstagram) を日常的に使えるのは、アメリカが生み出した『文明』 の恩恵ではないでしょうか。 『人間は群れてしか生存できない。 その集団をささえているものが、文明と文化である。』( 文庫p18) 『文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・ 機能的なもの」を指すのに対し、 文化はむしろ不合理的なもので

同じ釜の飯:「つながる」ということ

#portraitmode #japanesecandle #ポートレートモード #良縁祈願 #sagaprefecture #大興善寺 #saga #november21 #november2017 Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2017 11月 21 8:39午後 PST ツイッターの怖いところは、何年も仲良しのフォロワー同士だと思っていたのに、たった一文のツイートが気に入らなかったというだけでフォローを外したり、あげくはブロックしたりするようになること。自分で思ってた以上に、フォローという結びつきが薄っぺらかったことに気づくこと。 — 遊山直奇 ゆうやまなおき (@youyama) 2017年9月20日 「利害関係抜きでの友達は学生の間しかできない」的な事を学生時代に言われてたけど、社会人になってからの、仕事を通じた信頼をベースとした強固な友人関係に比べると、マジで薄っぺらくてカスみたいなもんなんだけど、学生時代にその辺の感覚ってホントに理解できなかった。 — ボヴ (@cornwallcapital) 2017年10月24日 『ツイッターの怖いところは、 何年も仲良しのフォロワー同士だと思っていたのに、 たった一文のツイートが気に入らなかったというだけでフォローを 外したり、あげくはブロックしたりするようになること。 自分で思ってた以上に、 フォローという結びつきが薄っぺらかったことに気づくこと。』 『「利害関係抜きでの友達は学生の間しかできない」 的な事を学生時代に言われてたけど、社会人になってからの、 仕事を通じた信頼をベースとした強固な友人関係に比べると、 マジで薄っぺらくてカスみたいなもんなんだけど、 学生時代にその辺の感覚ってホントに理解できなかった』 この2件の投稿と関連投稿を読んで、twitter経由で知り合い、オフ会をきっかけに仲良くなっても、あるきっかけであっという間に縁が切れてしまったことを思い出しました。 『同じ釜の飯を食う』という表現があります。 http://kotowaza-allguide.com/o/onajikamanomeshi.html 『 同

居心地:『群れる』ということ

#hakatastation #christmasmarket #miniconcert #tiltshift #チルトシフト #JR博多シティ #光の街博多 #過去pic #november15 #november2017 Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2017 11月 22 8:03午後 PST 【イメージ:博多駅博多口にて、2017年11月15日撮影】 私たちはたとえ『ぼっち』であっても、家族や近所、あるいは学校だったり職場だったり、 何かしらの 趣味や考え方が似通った集団に関わりがあるものです。 自分が属している集団が自分にとって居心地が良いと思っていても、 何かのきっかけで居心地が悪くなった り、 往々にして追放されたり、自ら去らざるを得なくなることがあります。 ーなぜ、私たちは群れたがるのか。 司馬遼太郎はこのようなことを述べています。 『人間はどの集団かに心か身か、 それとも心身ともに属していないと不安だという気持ちがあって… 近所合壁の密集性が濃密で、 しかも大ていの人間が会社に属している。 その組織と秩序の中で毎日暮らし、仲間をもち、 ずっしりと会社の規律の拘束を受け、 会社人事という甘美な迷信をもち、 それがために拘束されるということにはたっぷり充足している。… 国家もまた拘束力のひとつである。』(『人間の集団について』(文庫版108-109ページより) この指摘は、ホモサピエンスたる人間、とりわけ私たち日本に住まうものの感覚を的確にあらわしているものだと私は思いますし、これを理解しなければあらゆる組織のありかたを考えるのは難しいと思います。 あくまでもこれは司馬の解釈であり、哲学や政治学、社会学、心理学などの研究を踏まえて解釈すべきなのでしょうが、 少なくともこのような解釈をしなければ、 この国の組織の問題の理解は進まないのではないかと思います。 ちなみに、社会保険労務士(社労士)という、弁護士や税理士よりずっと存在感が薄い『士業』が日本にはあります。(類似の制度は韓国にもあるようです) 社労士は労務管理も一応業務の範囲にあります。 10年ほど前、私はふと思い立って社労士の試験を受けて合格できました。 今振り返ると私の中

SNSと『人間の集団について』

#tiltshift #チルトシフト #oktoberfest #octoberfest #福岡オクトーバーフェスト #オクトーバーフェスト #fukuokapics Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2017 10月 25 3:28午前 PDT 【『群れること』のイメージとして、先日の福岡オクトーバーフェストの画像を貼ります】 自分が人生に迷ったときは、『人間の集団』 というのを考える方が、 自己啓発モノの本や、ポジティブさ・ 明るさを前面に押し出す文章を読むよりも合っているようです。 先日あるきっかけでTwitterから離れようと思ったとき、数年前にタイトルに惹かれて買い、英語の語学留学で1ヶ月ほど滞在した セブにまで持っていったほど、 大げさにいえば自分の人生の指針となるであろう『 人間の集団について』をまた読み返しました。 (この本のネタでブログのネタがしばらく持ちそうですが) この本では、ベトナム戦争の終結前の現在のホーチミン市などを訪ねた司馬遼太郎がいくつか印象的なことを述べています。 『人間は孤立しては棲めない生物でもある。… 都市生活はときに個々に孤立に似た状態を強いる。 それに堪えられなくなったとき、 たとえ短時間でも激しく群れたがる。』(75ページ) この傾向は古今東西、洋の東西を問わず、 ヒトがヒトの社会の中で生きていく以上必然的に起こす行動ではな いかと思いました。 たとえばインターネットであれば2ちゃんねるやTwitterや Instagramなどの各SNSでも一定の共通点があるユーザ ーで固まることがあるのを考えると分かりやすいのではないでしょうか。 『激しく群れたがる』が故か、 自分がよく覗くTwitterの特定の『クラスタ』 では折に触れて馴れ合うことがありますが、 Twitterから距離を置きはじめてから、 そういう馴れ合いを冷ややかに見るようにはなりました。 あるアカウントからある事情があって絶縁されてから、仲間はずれにされた感覚が消えないためでしょう。 『 われわれは人間の集団を生物の次元で考えねばならない時代にきて いる。…いまとなっては、 逆に人間の状況を破壊から救いだす唯一の拠点ともいえるかもしれ な

食べ物の恨み

#夕食 #カレーライス #料理男子 #独身男子飯 #japanesecurry #curryrice #花嫁募集中 #彼女募集中 Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2017 10月 19 4:48午前 PDT 食べ物の話題を扱いますので、自分のインスタグラムから一枚食べ物の写真を持ってきました。 司馬遼太郎・陳舜臣・金達寿3 氏の対談集『歴史の交差路にて』に収録された『 食の文化を探る』の一部を紹介します。 陳舜臣氏の話に出てきた周の太公望のエピソードです。 (太公望は)「 分配の妙」を心得ていて、 10人ぐらいの客を相手にうまく肉を分けたという話を周の文王が 気に入り朝廷に連れて帰ったという伝説があるということです。 太公望については、釣り人説と料理人説があり、 料理人は非常に尊敬されたといわれています。 どういうことかと言えば、「食べ物の恨みは怖いから、 100人ぐらいの人間に、怒らさんように、 同じように配分するという人間が偉い」(文庫185ページ) ということのようです。 「昔だったら、 刀抜いて切り合いのけんかなんかやりかねないのをおさめるという のは、これは大変な役割」(文庫186ページ)です。 この陳氏の話は、政治や経済の根源的な性質を言い当てているように思いました。 例えば税制や社会保障制度の仕組みなど、国家の諸制度について、大学の教授や国会議員 の皆さんや官僚の皆さんが日々葛藤しながら作り上げ、 アップデートしていますが、単純明快な話にすれば、 この世界の人々が『食べ物の恨み』 を解消できるようにするのが政治や経済や社会の仕組みの役割では ないか、と思います。 自分の場合の『食べ物の恨み』といえば、 10年前に勤めていた職場、というか業界に対してあります。 多分一生消えない恨みになるでしょう。 以前、税理士を目指していました。 当時の勤務先の経営者は、 いわゆる『ブラック経営者』でした。 従業員を搾取手段としてしか見ていない態度が伝わる人物で、 当然人の入れ替わりも激しかった記憶があります。せ 後日談だが、 そういうこともあって一度事務所を潰していたようです。 そこから(おそらく経営者の一存で)突然解雇さましたが、 最終月

ツイッターから引っ越します。

https://instagram.com/p/Ba8-FARBs4I/ 佐賀バルーンフェスタの画像です。] このブログでは、硬軟様々なネタと私のインスタグラムの投稿からよりぬいたものを扱いたいと思います。 ツイッターで扱ってきた内容や読んだ本の内容を基に雑感的なものを扱う予定です。 近日中にツイッターの元アカウントからここに引っ越します。 #sibf2017 #saga #balloonfiesta #launch #hotairballoon #佐賀バルーンフェスタ #嘉瀬川河川敷 #hotballoon Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2017 11月 1 5:29午前 PDT