【映画鑑賞記】『死』について #日本のいちばん長い日 デジタルリマスター版
1: 過去に日本で上映されてきた数々の名作より、今シーズン(2019-2020)で終了する『午前十時の映画祭』で上映されてきた作品を当ブログでいくつかピックアップしている。 今回は1967年上映の『日本のいちばん長い日』(デジタルリマスター版)を紹介する。 1945年8月14日12時〜翌15日12時までの、主に旧日本軍・旧宮内省・鈴木寛太郎内閣の動きをタイムライン的に追いかけていく映画である。 2: 第二次世界大戦の終局に連合国から日本に出された1945年7月の『ポツダム宣言』を受け、鈴木寛太郎内閣は紛糾・膠着・逡巡…といった動きを見せる。 その間に、広島と長崎は核攻撃でほぼ全滅し、当時のソビエト連邦は『満州(中国東北部)』へ進入し、日ソ中立条約を反故にすることとなった。 海軍中将・大西瀧二郎の 「 外相、もうあと二千万、二千万の特攻を出せば、日本は、かならず、かならず勝てます!」 「大西さん、勝つか負けるかはもう問題ではないのです。日本の国民を生かすか殺すか、ふたつにひとつの…」 「いや、もうあと二千万、日本の男子の半分を特攻に出す覚悟で戦えば…」 という『名台詞』が出てくるのは、ポツダム宣言に関する鈴木内閣の閣議のシーンである。 この台詞、2019年の今聞けば「バカジャネーノ」とか「アホや、ホンマもんのアホや」とお思いの方がいらっしゃるかと思うが、劇中での陸軍大臣・阿南惟幾(三船敏郎)や海軍大臣・米内光政(山村聡)の『徹底抗戦』の主張 - 最終的にはポツダム宣言受諾を決定するが - を聞くと、笑っていられなくなる。 軍幹部からの激しい突き上げもあり、軍内部の代表として軍の意思を示す以上、今思えば狂気染みた発言も第二次世界大戦の真っ只中では(時と場所にもよるのだろうが)自然なものだと受け取られたのだろうか。 ひとつ余談を紹介する。 生前の司馬遼太郎のインタビューのひとつである、 司馬ファンや所謂『司馬史観』の批判的立場の人々は何かしらの形で聞いたことがあるであろう、栃木県佐野市に駐屯していた時の逸話である。 当時の司馬が上官に『東京が攻撃され、避難民が北上(宇都宮、那須塩原、その先の東北地方方面へ)してきたらどうすればいいのか』と問うたところ、その上官が『轢き殺していけ』と答えた、という話が度々司馬の随筆やインタビューに出てくる。 今でこそ「バカジャネーノ」的解釈