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坂の上のパラレルワールド #パラサイト半地下の家族 #기생충 #parasite

この投稿をInstagramで見る Takehisa Matsuda (44)(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2019年11月月27日午後8時27分PST ソウル市内の半地下の家で暮らす、いわゆる『ギグエコノミー』 社会の中の貧しい4人家族と、 ビジネスで成功した裕福な4人家族が、 家庭教師のアルバイトで交わり、そして、 貧乏家族が裕福な家庭にまさしく『寄生虫』 の如く入り込んでいく。 その過程を描いたポン・ジュノ監督の映画が『パラサイト 半地下の家族(原題:『寄生虫』)』である。 ソウル市内の高級住宅街と『半地下』住宅街を背景として、 国家破産の危機から表向きは復活しつつある韓国の2010年代を 描いたものである。 裕福な家庭に近づき仕事を得る過程で、 書類偽造や経歴詐称を行い、家政婦・ お抱え運転手を詐術により追い落としていく。 元々働いていた家政婦も、 事業に失敗し債権者から追われていた夫を地下に匿っていた。 見る人によっては、 裕福な家庭が騙されていく過程を愉しむ向きもあるだろう。 痛快かもしれないが、ゾッとするという感覚を持った。 パッと見は貧乏家族やベテラン家政婦の夫が『寄生虫』 のように見える。が、ポン・ ジュノ監督はそういう比較的単純な構図で本作を解釈することは望 ましいことではないと思っているだろう。 『寄生』せざるを得なくなった庶民たちの姿を見せて、 私達に何ができるのか、 世の中が何処かで大きな誤りをしでかしていないか、 ということを訴えようとしているのだと思う。 『半地下』住宅街の雰囲気は、 先に旅行で訪れた釜山広域市の甘川文化村のそれに近いものを感じ させる。 が、パッと見た限りの甘川文化村と違うのは、 2010年代の政治・経済・社会の負の側面の皺寄せがあり、 どこか暗く/重々しく/ 明日への希望を失いつつある人びとの姿があることである。 それは、私達日本人が『自分たちは違う』『日本は大丈夫だ』 と正常性バイアス・ 確証バイアスに囚われている限りいつまでも他人事としてしか解釈 できない世界観であると言わざるを得ない。 本作の世界

imagine #国家が破産する日 #家族を想うとき 鑑賞記

この投稿をInstagramで見る Takehisa Matsuda (44)(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2019年12月月8日午後9時25分PST '19年の年末から'20年の年始にかけて 『国家が破産する日』 『家族を想うとき』 『パラサイト』 の3作品を連続して鑑賞した。 今回は『国家が破産する日』と『家族を想うとき』 をまとめてみる。 1: 『国家が破産する日』 は韓国の国家経済の破綻の過程を描いたファクションである。 貿易や海外からの投融資の影響が強かった1990年代の韓国のI MF危機時の韓国銀行・あるノンバンク従業員のち投資家・ 町工場経営者の姿から当時起きていたこと、そして、 国家規模の経済危機が起きるとすれば何が起きるかを想像するのに 相応しい作品である。 国家破産という極めて異常かつ稀な事態。 誰もが『正常性バイアス』『確証バイアス』の罠で自分達は/ 今回は/我が国は大丈夫だという思い込みに囚われ、 袋小路に追い込まれていった。 この『バイアス』の類は、私たちも経験してきたはずだ。 例えば平成バブル、東日本大震災、 そして福島第一原発の多発メルトダウンという国家存亡の危機… 人によっては『ショックドクトリン』ともいうが、 国の諸制度を根本から変革する時に、 危機的事態を利用して改革を進めるということがある。 韓国の場合はIMF危機で労働市場改革が行われ、 日本の場合は平成バブルの終焉に連なる山一證券と北海道拓殖銀行 (拓銀)の倒産を象徴とする経済危機でも、当時の高校・ 大学卒業後の就職難が数年間続き、 その後労働市場改革が断続的に行われてきた。 その過程で何が国民にもたらされ、 後遺症はどのような形で現れているか、よくみておくとよい。 2: 『家族を想うとき』 は英国であったある宅配便ドライバーの死を素材として『 ギグエコノミー』社会で起きていることを、『請負』 ドライバーと彼の妻である出来高制の介護ヘルパー、 彼等の高校生の息子と中学生の娘の家族をモデルとして描いている 。 元々建設労働者だった彼