坂の上のパラレルワールド #パラサイト半地下の家族 #기생충 #parasite


ソウル市内の半地下の家で暮らす、いわゆる『ギグエコノミー』社会の中の貧しい4人家族と、ビジネスで成功した裕福な4人家族が、家庭教師のアルバイトで交わり、そして、貧乏家族が裕福な家庭にまさしく『寄生虫』の如く入り込んでいく。
その過程を描いたポン・ジュノ監督の映画が『パラサイト 半地下の家族(原題:『寄生虫』)』である。

ソウル市内の高級住宅街と『半地下』住宅街を背景として、国家破産の危機から表向きは復活しつつある韓国の2010年代を描いたものである。

裕福な家庭に近づき仕事を得る過程で、書類偽造や経歴詐称を行い、家政婦・お抱え運転手を詐術により追い落としていく。
元々働いていた家政婦も、事業に失敗し債権者から追われていた夫を地下に匿っていた。

見る人によっては、裕福な家庭が騙されていく過程を愉しむ向きもあるだろう。
痛快かもしれないが、ゾッとするという感覚を持った。

パッと見は貧乏家族やベテラン家政婦の夫が『寄生虫』のように見える。が、ポン・ジュノ監督はそういう比較的単純な構図で本作を解釈することは望ましいことではないと思っているだろう。
『寄生』せざるを得なくなった庶民たちの姿を見せて、私達に何ができるのか、世の中が何処かで大きな誤りをしでかしていないか、ということを訴えようとしているのだと思う。

『半地下』住宅街の雰囲気は、先に旅行で訪れた釜山広域市の甘川文化村のそれに近いものを感じさせる。
が、パッと見た限りの甘川文化村と違うのは、2010年代の政治・経済・社会の負の側面の皺寄せがあり、どこか暗く/重々しく/明日への希望を失いつつある人びとの姿があることである。
それは、私達日本人が『自分たちは違う』『日本は大丈夫だ』と正常性バイアス・確証バイアスに囚われている限りいつまでも他人事としてしか解釈できない世界観であると言わざるを得ない。

本作の世界の中でソウルの街の一角の『坂の上』に見えるのは高級住宅街である。
かたや貧しい人びとがひしめき合い衛生的・住環境的にも快適ではない半地下の住居群と『坂の上』の『垂直的対比』、二転三転どころではないドンデン返しが連続するストーリー展開。
ある豪雨の日、裕福な家庭はキャンプを切り上げて豪邸に戻る。
『寄生』していた貧乏家族は、豪邸にあった酒などを飲み食べ散らかしていたのをあっという間に片付け、脱出を試みる。
一方で半地下の住居群は豪雨の中で次々と水没し、人びとは避難生活を強いられることとなる。

経済危機から国家が立ち直る過程で、『坂の上』の人びととそれ以外の大多数の人びとの世界が交わることがほぼない、一種の『パラレルワールド』『ゲーテッドシティ』化しつつある現代社会を、本作『パラサイト』で(フィクションではあるが)その目で見ることで、これから私達の身の回りに起きるかもしれない現象についてカンとイマジネーションを働かせるのではないか。
私達はどう立ち回るのか、『無計画こそ絶対失敗しない』と言い切っていいのか。

半地下の住居の人びとが、鬱屈した世界から抜け出すべく、司馬遼太郎の『坂の上の雲』にあるように『登っていく坂の上の青い天の一朶(いちだ)の白い雲が輝のみを見つめて坂を登ってゆく』という、どこか希望が漂う楽天的な生き様を、人間としてよりまともな、より尊厳を持った生き方を彼ら貧しい人びとができるようにすることが、政治の仕事であり、人類社会の目標のひとつではないか、と思った。
本作の結末は、あまりにも悲劇的である、ということを伝えておきたい。

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