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#地獄の黙示録 2018 #apocalypsenow

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Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 5月月23日午後9時01分PDT 『午前10時の映画祭』より http://asa10.eiga.com/2018/ cinema/805.html 1979年公開の映画『地獄の黙示録』 が今回期間限定で再上映されると知り、出勤前に観に行った。 今回は1979年版のデジタルリマスター版であった。 本作はジョセフ・コンラッド『闇の奥』を基にし、 ベトナム戦争を題材とした『叙事詩的映画』、 つまりフィクションである。 直近では『ペンタゴン・ペーパーズ』 のテーマに影響している題材であるベトナム戦争。 アメリカ合衆国の政治・経済・ 社会の各方面に多大な影響を与えた戦争であり、例えばブルース・ スプリングスティーンは『Born in the U.S.A.』『War(これはエドウィン・ スターの作品をスプリングスティーンが歌ったもの)』 などでこの戦争を取り上げている。 【参考動画】 Bruce Springsteen "WAR" Bruce Springsteen "Born in the U.S.A." 本作は序盤のヘリ隊の攻撃シーンとその演出が有名になっている。 筆者も、『ワルキューレの騎行』 と炎上するジャングルの絵は何故かよく覚えていた。 しかしながら、最後まで観ることがなく2018年を迎えた。 感想は、と問われたら、 まさに『地獄の黙示録』だ、とまず答えるだろう。 戦場で人間が壊れていく様子、殺人が『仕事』 であるはずの軍事組織が、組織の超エリートを『殺人者』 として追いかける様子、 お尋ね者となった元超エリートが造り上げた一種のカルトのコミュ ニティ、追跡者とお尋ね者その他多数の人々が体感した、 戦争のかたち。 まさに地獄。 まさに黙示録。 序盤は攻撃する米軍の視点から描かれている。 一度ベトナム戦争から米国に戻っていた主人公・ ウィラードは妻と離婚してサイゴン(現在のホー・チ・ミン市) に入り、 米軍の指揮下から離れカンボジアの密林に独自のコミュニティを造 ったカーツの刺客として再び戦地に赴く。 (ちなみに、『人間の集団について』

水俣の青い空の真下で:暴力について

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Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 5月月10日午後9時58分PDT Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 5月月10日午後9時48分PDT Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 5月月14日午後9時06分PDT 筆者を含めて、皆さんが『暴力となんぞや』といわれると、 まず出てくるのは多分殴るとか蹴るとかいう『手や足を出す』 ものだと思う。 筆者もだが、日本人にとって、それ以外の『暴力』 の概念があることを理解するのは少々やっかいなことなのかもしれ ない。 直近の #metoo ムーヴメントなどでようやく取り上げられることが多くなった強姦 などの性暴力、ヘイトスピーチなどの言葉の暴力、 大小の資本家などの『持てるもの』が『持たざるもの』 に対して行使する『札束』による暴力、 戦争状態で起こる戦時暴力、権力が原始的に持っている暴力装置・ 機構の力を背景とした暴力、そして、ジェノサイド。 なぜこれを書こうと思ったのか。 筆者が時々ふらりとゆく『肥薩のみち』(九州新幹線・ 肥薩おれんじ鉄道・国道3号線・南九州道) の先にある水俣の地にあるものが、『暴力が遺した傷痕』 なんじゃないか、 と先日エコパーク水俣と先頃リニューアルした水俣病資料館を訪ね て思ったのである。 第一次産業が盛んであったが、 現金収入の見込める産業を興すべくチッソ(現在のJNC) が大プラントを造り、『会社行き』が一種のステータスとなった。 しかしながら、チッソや熊本県や日本政府は( 公害防止の技術が確立していないといえば言い訳にしかならないが )海洋汚染を漫然と放置し、結果として水俣湾一帯を『死の海』 とし、水俣湾や八代海の海産物を食べ、 海産物で生計を立ててきた方々の生活を破壊することとなった。 そして、患者さんたちは今もなお水俣病に苦しめられている。 これは、『国家や資本家、 そして一般人が水俣地域の方々に振るった複合的暴力』 だと思えなくはないか。

役得

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 4月月2日午後10時10分PDT 今は専らネタ収集用として閲覧のみ行なっているツイッターだが、 あるアカウントの管理人の投稿とそれに関連する内容が引っかかったので、 参考意見として紹介しておきたい。 日本人は平等というものが本気で嫌いなのだと思う。露骨な縁故主義が横行しても何も言わず、むしろ当然のものとして受容する。だからなのか権力側もそれを隠す気がない。教育機会の(不)均等にしても、過半数が現状を肯定しているという。現状追認や正常性バイアスだけでこれが説明できるだろうか。 — ワイド師匠 (@feedback515) 2018年4月25日 『日本人は平等というものが本気で嫌いなのだと思う。 露骨な縁故主義が横行しても何も言わず、 むしろ当然のものとして受容する。 だからなのか権力側もそれを隠す気がない。教育機会の(不) 均等にしても、過半数が現状を肯定しているという。 現状追認や正常性バイアスだけでこれが説明できるだろうか。』 この「役得(があって当然)」という考え方、これが日本社会を歪ませる大きな要因になっていると思う。それなりに抑制の効いていた人でさえ、この「役得」思想に囚われると、容易に腐敗してゆくのだ。「なったからには役得に与らないと(損)」となってしまう。 https://t.co/VEQPS9SEse — ワイド師匠 (@feedback515) 2018年4月25日 『この「役得(があって当然)」という考え方、 これが日本社会を歪ませる大きな要因になっていると思う。 それなりに抑制の効いていた人でさえ、この「役得」 思想に囚われると、容易に腐敗してゆくのだ。「 なったからには役得に与らないと(損)」となってしまう。』 この投稿を読み思い出したのは、かつて観た『戦場のメリークリスマス』である。 この映画では、 軍隊における暴力の蔓延が描かれていた。 監督だった大島渚は、他の作品でも暴力についてテーマとすることが多かったようである。 軍隊自体が国家がもつ暴力性を現すものであるが、 それ故に内部でも物理的・ 心理的な暴力が付きまとうものだと思っておくべきなの

#タクシー運転手 が見た #光州事件 #518光州民主化運動

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 4月月24日午前9時57分PDT 韓国が『第五共和国』 と呼ばれる体制へ移行しようとしていた時期の1980年5月に韓 国・光州市(光州広域市)で発生した『光州事件』 を題材にした映画『タクシー運転手』を先日観た。 ちなみに、『光州事件』は韓国では『5・18光州民主化運動』『 光州民衆抗争』とも呼ばれる。 1979年、当時の大統領朴正煕(パク・チョンヒ) 暗殺から始まった、韓国の民主化運動『ソウルの春』と全斗煥( チョン・ドゥファン)による軍事クーデターの流れ。 全斗煥が実権を握り、 金大中などの政敵を政治の表舞台から追放し、情報統制を敷いた。 一方、朴正煕が倒れた後、市民達は民主化を求める。 1980年5月、光州市でデモ隊が軍と衝突、 軍は鎮圧の過程でデモ参加した市民達を暴力で屈服させようとした が、それが火に油を注ぐ結果となり、 ついに軍が市民達に銃口を向け、(一説では) 200人以上を殺してしまったのである。 ソウルの貧乏なタクシー運転手(役:ソン・ガンホ)は、 彼が滞納していた家賃に相当する10万ウォンの運賃に惹かれ、 同業者から横取りする形で、 東京から韓国入りしていたドイツのテレビ局記者(役:トーマス・ クレッチマン)を光州市まで送った。 この10万ウォンは、 ある条件をクリアすることで支払われることになっていた。 トラブルや衝突を繰り返しながらも、光州市内を走り、 同業者達やデモに参加していた若者達と出会うことになった。 が、彼等が見たのは地獄であった。 劇中ではタクシー運転手・マンソプは2回光州入りするが、 病院のシーンや光州駅をはじめとする市内のシーンを見比べて欲し い。 軍という国家が持つ暴力機構が市民達に牙を剥くことがどういうこ となのか、想像がつくはずだ。 そんな地獄の中でも、彼等は市民達のため、 それぞれの立場で彼等にできることをした。 映像を撮る、タクシーで負傷者の救助に向かう… 光州のタクシー運転手たちは、(これはさすが本職というべきか) 光州の抜け道の地図をマンソプに渡したり、 故障したタクシーを整備場に牽引し、食事を共にし、 寝床を確保し、ソウルへの脱出の