#地獄の黙示録 2018 #apocalypsenow


『午前10時の映画祭』より
http://asa10.eiga.com/2018/cinema/805.html

1979年公開の映画『地獄の黙示録』が今回期間限定で再上映されると知り、出勤前に観に行った。
今回は1979年版のデジタルリマスター版であった。

本作はジョセフ・コンラッド『闇の奥』を基にし、ベトナム戦争を題材とした『叙事詩的映画』、つまりフィクションである。
直近では『ペンタゴン・ペーパーズ』のテーマに影響している題材であるベトナム戦争。
アメリカ合衆国の政治・経済・社会の各方面に多大な影響を与えた戦争であり、例えばブルース・スプリングスティーンは『Born in the U.S.A.』『War(これはエドウィン・スターの作品をスプリングスティーンが歌ったもの)』などでこの戦争を取り上げている。

【参考動画】
Bruce Springsteen "WAR"




Bruce Springsteen "Born in the U.S.A."




本作は序盤のヘリ隊の攻撃シーンとその演出が有名になっている。
筆者も、『ワルキューレの騎行』と炎上するジャングルの絵は何故かよく覚えていた。
しかしながら、最後まで観ることがなく2018年を迎えた。

感想は、と問われたら、
まさに『地獄の黙示録』だ、とまず答えるだろう。
戦場で人間が壊れていく様子、殺人が『仕事』であるはずの軍事組織が、組織の超エリートを『殺人者』として追いかける様子、お尋ね者となった元超エリートが造り上げた一種のカルトのコミュニティ、追跡者とお尋ね者その他多数の人々が体感した、戦争のかたち。
まさに地獄。
まさに黙示録。

序盤は攻撃する米軍の視点から描かれている。
一度ベトナム戦争から米国に戻っていた主人公・ウィラードは妻と離婚してサイゴン(現在のホー・チ・ミン市)に入り、米軍の指揮下から離れカンボジアの密林に独自のコミュニティを造ったカーツの刺客として再び戦地に赴く。
(ちなみに、『人間の集団について』などの取材のために司馬遼太郎がサイゴンに入ったのは、この映画で設定された時期に近いと思われる1973年である。)

村への攻撃シーンや中盤の慰問ライブのシーンは、ベトナム戦争の『光と陰』を描き出しているのだと思った。
地元の人々やベトコン(劇中では姿を見ることが少ないが)は地の利や小回りが利くことを活かし真正面からぶち当たってもとても敵わないだろう米軍に抵抗し、米軍は物量で村やジャングルを破壊する。
村の攻撃後のキルゴアの台詞が一種の凄みを感じさせる。
そして、兵士達は次第に『壊れて』いき、故郷の肉親の元に戻ることが叶わず次々と死んでゆく。

一方、ベトナムの人々は米軍に追われ、殺され、『こっけいなことに、サンタクロースのように物と金を置いてゆくがためにやってきた』(司馬遼太郎『人間の集団について』文庫版175-176ページより引用)米軍の乱痴気騒ぎを黙って金網の向こうから見守る。彼らの心境や如何に。

ウィラードが乗った船はジャングルの中を進む途中で住民達の乗った船を臨検するが、その最中に突然機関銃を乱射し、住民達を殺してしまう。
彼は、カーツが『殺人(当時の南ベトナム側の人物を「スパイ」として殺した)』の容疑でお尋ね者になっていることと、戦場の現実の違いに矛盾を感じ始め、密林の奥から傍受した電波などを通して漏れ伝わるカーツの言動に関心を持つようになった。
そして、戦闘真っ最中の最前線の拠点を通過し、目的地である、カーツの拠点に入る。

カーツ、そして彼が築いたジャングルの中のコミュニティは、戦場とは違う意味で狂気じみた(人によっては原始的ともいうようだが)世界だった。

狂った世界でたれが精神を崩壊させずに済むのか。

ウィラードの感情にも滲み出ていたが、筆者もカーツを責める気になれなくなってきた場面があった。
あなたがウィラードだったら、カーツだったら、キルゴアだったら、どうするか。
同じことを考え、同じことをやると思っておいたほうがよさそうである。
異常な環境下で人間はどうなるのかを、コッポラが観るものに考えさせようとしたのかもしれない、と思った。
唐突な終わり方も、そういうことの現れなのかもしれない。

(余談)
カーツ役の俳優はマーロン・ブランド
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
だが、筆者は劇中のブランドが後年の『マトリックス』シリーズの主役のひとり・モーフィアスの役を務めたローレンス・フィッシュバーン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3
と重なって見えたのである。
カーツの雰囲気が、『マトリックス』シリーズのモーフィアスの雰囲気を彷彿とさせたのである。
もしかすると、ウォシャウスキー兄弟(姉妹)はこの『地獄の黙示録』から何かしら影響を受けていたのかもしれない。

『人間の集団について』以外に、辺見庸『もの食う人びと』などにもベトナムが出てくるので、ご一読をおすすめしたい。

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