水俣の青い空の真下で:暴力について






筆者を含めて、皆さんが『暴力となんぞや』といわれると、まず出てくるのは多分殴るとか蹴るとかいう『手や足を出す』ものだと思う。

筆者もだが、日本人にとって、それ以外の『暴力』の概念があることを理解するのは少々やっかいなことなのかもしれない。

直近の #metoo ムーヴメントなどでようやく取り上げられることが多くなった強姦などの性暴力、ヘイトスピーチなどの言葉の暴力、大小の資本家などの『持てるもの』が『持たざるもの』に対して行使する『札束』による暴力、戦争状態で起こる戦時暴力、権力が原始的に持っている暴力装置・機構の力を背景とした暴力、そして、ジェノサイド。

なぜこれを書こうと思ったのか。

筆者が時々ふらりとゆく『肥薩のみち』(九州新幹線・肥薩おれんじ鉄道・国道3号線・南九州道)の先にある水俣の地にあるものが、『暴力が遺した傷痕』なんじゃないか、と先日エコパーク水俣と先頃リニューアルした水俣病資料館を訪ねて思ったのである。

第一次産業が盛んであったが、現金収入の見込める産業を興すべくチッソ(現在のJNC)が大プラントを造り、『会社行き』が一種のステータスとなった。
しかしながら、チッソや熊本県や日本政府は(公害防止の技術が確立していないといえば言い訳にしかならないが)海洋汚染を漫然と放置し、結果として水俣湾一帯を『死の海』とし、水俣湾や八代海の海産物を食べ、海産物で生計を立ててきた方々の生活を破壊することとなった。
そして、患者さんたちは今もなお水俣病に苦しめられている。

これは、『国家や資本家、そして一般人が水俣地域の方々に振るった複合的暴力』だと思えなくはないか。
患者さんや住民の方々たちからみれば、まさしく暴力だったんじゃないのか。

歴史にifはないが、水俣の海洋汚染という一種の暴力行為がなければ、水俣湾は2018年の今もおそらく水俣湾のままだったろうし、立派な漁場だったろう。

エコパーク水俣や水俣病資料館が存在すること自体が世界に向けて発し続けるメッセージは、『あの時あんたたちがしでかした暴力について落とし前をどうつけるのか、後始末がどれだけの労力を要するのか、たれもが心の中に持っている暴力性とどう付き合い続けるのか』という有言無言の歴史からの問いかけ、いや、むしろ、『問い詰め』だと解釈するほうがより相応しいかもしれない。

ブルーハーツの『青空』という1980年代の楽曲にあった、
『こんなはずじゃなかっただろ?
歴史が僕を問いつめる
まぶしいほど青い空の真下で』
という真島昌利の詩を、エコパーク水俣の写真を見て思い出したのである。

参考:ブルーハーツ『青空』の動画





【余談】
水俣市内に評判が良いチャンポンの店があるらしい。
筆者がツイッターをやっていた時から拝見させて頂いている、ゆかいな投稿を多く上げている方のブログの'17年秋の記事で紹介されているので、今後の参考にしていただきたい。
『【#超絶モン絶旅2017秋の陣】10月17日:八代~水俣ひとり旅(後篇):くらげのから揚げ☆RMX』より
https://ameblo.jp/kurage-rooper/entry-12334504441.html

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