春の九州路をゆく 長崎・日田・柳川






1:
筆者がインスタグラムのアカウントを開設するきっかけとなった長崎ランタンフェスティバル(春節祭、燈會)。
今回(2019年)で5シーズン目の訪問であった。
ただ気が向くまま歩き写真を撮り、適当に店に入って食べる、というパターンがマンネリ化していたので、今回は『長崎さるく』というウォーキングを兼ねた観光ツアーに参加してみることにした。
ガイドの方の話を聞きながら所定の経路(出島表門橋公園〜観光通り〜崇福寺)を歩いたが、今回は寄り道しながら約2時間かけた。
ほぼ余談のようなものだが、
①長崎県庁舎の移転に関しては、旧い建物を建て増ししている為解体・移転の方が手間も費用も抑えられるという話であった。
②長崎くんちの『コッコデショ』について
堺の祭りに似たような山車があるが、このスタイル堺の商人が長崎に持ち込んだようである。
播州秋祭りにも似たような山車があるが堺の影響も少なからずあるかも
長崎に元々ある山車は船の山車が多いということである。
③出島地区の復原事業
出島の北側に路面電車の軌道を移設する予定があり、南側の建物や軌道(現在のルート)付近は海にする(復原)予定である。
④龍踊り
近年は長崎市内の保育園・小中学校で体験授業が行われており、修学旅行でも龍踊り体験が行われるということである。
近年のインバウンド観光客などもだが、単なる見学・見物から体験型観光へ移行する流れの一つのようである。

精霊流しもだが、長崎の祭りは夜の部が印象的な祭りが多い。

筆者は5シーズン見物しているが、特にインスタグラムなどのソーシャルメディアで投稿される写真のレベルが近年上がっているように見えるし、構図がどうしても似たようなものになりがちである。(例えば新地中華街や銅座川、中島川)

2:
ここからは後日談も含める。
別の日に、偶然であるが仕事でお客様とランタンフェスティバルの話をする機会があった。

ランタンフェスティバルは、時期が近い札幌の雪まつりの向こうを張るような格好で、中国の春節を拡大して始まったということである。
また、出展されるランタンそのものが、今回(2019)は減少していたようである。
アーケード街の観光通りのランタンは以前より減っているという話もある。

これは予算や広告宣伝費や運営費の問題があるのだろう。
祭りそのものも、深く関わっている人や地元で見ている人々から見るとマンネリ化が進んでいるのかもしれない。

新しいイベントとして、台湾の十分のように灯籠を飛ばす『スカイランタン』が行われたが、環境面の制約などもあり、やり辛い企画だったかもしれない。

それでも、ランタンフェスティバルそのものは細々とでもいいので続いて欲しい、と個人的には思っている。

3:
余談の余談である。
後日、『さげもん(吊るし雛)』の見物のため柳川を訪ね、ある喫茶店で店主と馴染み客の雑談を耳にした。
その会話から察するに、柳川地域のイベントも他地域のイベントと観光客の奪い合いになりつつあるようであり、イベントの過多化、マンネリ化への危惧も見られるようである。
筆者がランタンフェスティバルで感じたことに似たような内容の雑談であった。

長続きするイベントは、
・『お仕着せ』や役所・コンサル屋任せでなく、地元の住民も(住民が主体的に)参加し、愛されること
・続けていくものと変化させていくものがあること
がポイントのようである。

余談の余談の余談だが、筆者の生まれた地である熊本の藤崎宮では、秋の放生会にあたる祭り・秋季例大祭がある。
この例大祭の最大の行事が随兵行列『馬追い』だが、昔からお世辞にも柄が良いとは言えず、『馬追い』の馬の扱いが問題になることもあり、地元では『仲間内のドンチャン騒ぎ』的視点で見られがちである。
それゆえか、この例大祭が地元で愛されているかといえばそうではなく、人によっては迷惑な存在としてみることがある。

各地のイベントが、今後マンネリ化や資金面・人材面などで岐路に立つことが大いにあり得る。
その時、仕掛け役のコンサル屋が去り、地元の人々や観光客に飽きられ、自然消滅したりある時期に終了した後に何も残らないというのはあまりにも虚しい。
似たような話は、以前『地方は活性化するか否か』という萬画(とブログ)でも紹介されていたのでご一読をお勧めしたい。


コメント

このブログの人気の投稿

#福岡市長選 観察記 その2

水俣の青い空の真下で:暴力について