【読書感想】 #レッド #連合赤軍事件 について

参考:連合赤軍

レッド(山本直樹)

セックス・暴力・革命 連合赤軍事件で15人はなぜ殺されたのか? 『レッド 1969~1972』
先日、一部で『連合赤軍事件』の話題が流れていたのを見て、衝動買いした。
電子書籍版であるが、一度通読してみたかった作品だった。

1:
一定の年齢より上の人々だと、ライブ映像を観たり、時々放映されていた日本の大事件を振り返る番組で当時の映像を再構成した内容を観たりして『あさま山荘事件』や『山岳ベース事件』などの『連合赤軍事件』について記憶があるのではないかと思う。
『レッド』は、山本直樹が『すごい物語だと思いました。これ(連合赤軍事件)を漫画で読みたい、僕が読みたいというのが描き始めた最大のモチベーションで、だから僕が読みたいと思ったすごい物語だから、何とか漫画にすれば、ほかの人も面白がってくれるかなということで描き続けています。』というきっかけで描き始めた作品である。

以前連載されていた時は中途半端になってしまい読了できなかった
また、山本直樹の別の作品に陰惨で荒んだ印象を持っていて読めなかったのもあるが、本作は『絶対読む』と決めて読了した。

2:
リーダーの北(森恒夫)や赤城(永田洋子)の存在が、『連合赤軍』が有した閉鎖的な環境をより残忍に、より苛酷にし、構成員に牙を剥き、『総括』という名の下に次々と殺していった。
そもそもが市井の人々の生活や人間の素朴な感情からかけ離れ、『革命』(所詮は『ごっこ遊び』だったと言えなくもないが)のために『殺し殺される』政治に暴走していった連合赤軍であった。
そんな輩が人々から支持されるはずがない、と思う。

かつて読んだ『項羽と劉邦』の萬画版(横山光輝作)の中で、ある城の落城の際『敗軍の将は部下の生き残りを図ることを考えるものだ』というセリフがあったのを思い出した。

また、司馬遼太郎の『長安から北京へ』の中の
中国はすみずみまで人民を食わせてゆくことをゆるがぬ大綱にしているということであり、内政・外政を問わず、一見、それとは無縁に似た政策の方程式が出ても、よく見ればそうではないことがわかる。(P109-110)』
という一節をふと思い出し、人々が飢えの恐怖から逃れることを政治の根本におく思想と『殺し殺される』ことを政治だと言った北(森恒夫)の感覚は決して一致しないし人々から受け入れられることはないだろう。

人々を飢えから逃れさせること、人々が生き延びることを考えるのが政治だとすれば、『殲滅戦(つまり、殺し合い)』が連合赤軍の言う『政治』というのは、落第点未満の失格であると思う。

3:
ところで、みなさんは連合赤軍事件を他人事だと思ってはいないか。
あの『山岳ベース』で起きたこと、『あさま山荘』のこと、そして、そこに至るまでの過程は、誰にでも起こりうること・あり得ることだと思うべきだ。

どうも、私たち日本人の組織は『仲間内』で固まり、『純化』を志向し、些細なことをきっかけに『異分子』を排除するという悪癖があるように思える。
それは思想信条というものとは関係がない、日本人が長年にわたり持ってきた『性格』のように思える。

余談だが、韓国の現代史に関する映画『タクシー運転手(光州事件)』や『1987(6月民主化運動)』と比べてみると、日本の『進歩派』『左派』が陥りがちな罠が見えてくるかもしれない。
(参考)
『タクシー運転手』について
https://onthewayinkyushu.blogspot.com/2018/05/518.html
『1987』について
https://onthewayinkyushu.blogspot.com/2018/09/6-1987.html
一人ひとりに訴えかけ、一人ひとりを惹きつけることができるのか、が鍵だと思うが、当邦のあらゆる党派の構成員やその支持者にそれを望むのはかなり長い時間をかける必要があるような気がしてならない。

ツイッターでイキってる連中(思想信条・党派を問わず)にそれが通じるか甚だ疑わしいと思っている。
個人的には彼等にこそ読んでほしいが多分読んでもらえないんじゃないか。
多分、ツイッターをやる人々はそういう輩を先にブロックして自らの視界から遠ざけておいた方が、個々人にとっては賢明かもしれない。

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