貴賎



『僕は今の日本人が民度高い点についても疑問で、立場の高低がはっきりしているand/or集団のときは底抜けに下劣にふるまえると思ってるんだけど。バイト店員に居丈高にふるまうとか集団で大騒ぎするとかナンボでも見られる風景だけど、これ別にモラル高くないよなー。』



『先日乗ったタクシーで聞いた話。中国人の個人旅行客が増えている。マナーが悪くて困ったことはない。「言葉分かんないんですけど、スミマセン」みたいな感じで、地図を見せてくる。却って日本人の居丈高な客とか、酔っ払いの方がやっかい。』



よく『職業に貴賎なし』とは言われるが、多くの人々の中には貴賎の意識があると筆者は思っている。
『ホワイトカラー』や頭脳労働が貴ばれ、『ブルーカラー』や接客業などの人に頭を下げる職業は賤しいものという意識。
筆者を含めた日本人の意識の根底にあるものではないか。

平成バブル後(および『就職氷河期』後)の日本は、特に『小泉構造改革』という一種のイデオロギー運動により、東京や大企業が己を守るために地方や中小企業を切り捨て、若い世代をはじめとした労働者階級を雇用形態によって『身分』や『階級』で『区別』することが露骨になり、日本人の中の貴賎の意識がより洗練された形で明確化したのではないかと筆者は思っている。

筆者は大多数の日本人からみれば『賤業』に近いものとみられている仕事(接客・サービス業)をやっているが、自らを『貴い』と思っている人間が『賤しい』と思っている人間に対しどれだけ傲慢で横柄か、というのを痛感することがよくある。
また、職業や集団についても上下の区別や支配・従属の関係を作り、支配するものは従属するものに対して恣(ほしいまま)に振る舞い『下』は『上』に無条件で隷属するものだと思いたがるのも人々の悪癖ではないか
かつて属していた『士業』の世界でも、あからさまではなかったとはいえ、上下の区別というものはあった。
その他の業界でも上下や貴賎の区別というものがあるようである。

貴賎・上下の意識は、元来ヒトが社会を構成する中で発生するものだと筆者は思っているが、日本人の外国に関する観点にもあるのではないか。
明治期以降の日本の変化というのも影響は多分にあるのだろうが、人種・民族でいうと白人系の人々や、国家や地域でいうとアングロアメリカ圏や欧州圏の社会や文化を勝手に『貴い』ものと思い込んで、しかも自分たちは『貴い』存在だと妄信していないか。

自らを『貴い』立場にいる、立たされている、そう見られている、と自覚していれば、他者に対し敬意を払うなり、相手の立場を尊重するなり、己を厳しく律して、相手に接しなければならないはずだ。
が、『貴い』(と思い込んでいる)ものがそうでないと勝手に決めつけたものに対して無礼な振る舞いをし、支配し、抑圧し、搾取することが正しいことだと、筆者をはじめ日本人は思い込んでいるのではないか。

上下の区別や貴賎の意識、それらがあることを前提として、それをあるがままでよしとせずに差別を防ぐ・コントロールすることを考えていかなければならないはずだ。
が、当邦の人々は『あるがままの姿』が絶対だと、貴賎意識があって当然だと、ハナから思い込んで改めようという意識が薄いのではないか、と思うことがある。

何事も改めないことが最高だとは限らない。
より良い世の中にするためには改めること(特に人権や社会の仕組みなど)も必要だということをもっと理解すべきではないのか。

それができるかどうか、が当邦の将来の興亡を分けるのではないか。

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