『次』のシミュレーション:2018年7月豪雨


2018年の梅雨入り後しばらくしてから、
『梅雨だけど雨が少なくて助かる』
『こういうシーズンに豪雨とか台風とかあるんですよね』
と旧い友人とLINEでやりとりしていたら、案の定というか、瓢箪から駒と言うべきか、2018年の梅雨は巨大災害で幕を閉じる結末となってしまった。

2017年の九州北部豪雨も相当酷い被害で、2018年の夏に至っても日田彦山線は復旧できていないし、筑後地方の一部は未だ復旧作業が続いている。
が、特に中四国地方が、今回はそれをはるかに上回る深刻な被害に見舞われている。
貨物の大量かつ定時制の高い輸送に向いているとされる鉄道輸送の要であり、九州方面と関西方面のメインルートであるJR山陽線がズタズタに破壊されているのを見ると、事によっては当邦の経済に幾許かのダメージを与えるであろう、と思っておいた方がいいのかもしれない。
『絆』とか『寄り添い』とか、上滑りしやすい言葉に立法府や行政府が飛びつき、ナマの現実に応じた対処ができなくなることが、地味におそろしい事なのではないか。
まるで、第二次大戦のように。

今回の豪雨災害を受けて、小松左京が原作であるSF『日本沈没』を漫画版で再構成した一色登希彦氏が彼のツイッターのアカウントに上げた投稿を(いささか長くなるが)抜粋して紹介しておきたい。
この巨大災害をどう解釈するかについては彼の投稿が的確かもしれない、と筆者は思ったのである。
『今回の豪雨災害(註:2018年7月豪雨)は、今の時点(註:2018年7月8日)で、よくてまだ折り返し点くらいかと思う。被害者数は、ここまでにカウントされた単位があとひとつふたつは簡単に積み重なるのではないか。列島の西半分、行ったことある場所やお店や「知っている人」が「被災」していく様子を無事な自分が手元で「眺める」。なにこの地獄。』
『東京(行政のトップ)の目線に立つと、「大雨の被害」って、「東京から遠い田舎の大地震」よりも、さらに軽く見られる条件が多いのだろう。港町全部があっという間に津波に飲まれた訳でもないし、発電所の建物が大爆発した映像もない。「絵にならない」し、超広域での「地味」な被害の総体が掴み辛い。』
数百人の死者の背後につまり100倍の数万人の衰弱者。3.11の死者数は乱暴にカウントして2万5000人。だいたい同數。数万人の「衰弱者」が命を失わずに済んだのは、3.11と同量の水が、3.11の津波よりは100倍ゆっくり襲ってきたからに過ぎないからだと思う。』
100倍ゆっくりだったから、人命は、3.11よりは、かなり(100倍)助かった。でもどれだけゆっくりでも、迫り来る3.11と同量の水から避難することができない家屋やインフラのダメージは、僕は東日本が受けた被害規模に匹敵すると思う。このダメージは、2011年のダメージ以上に深く長く続く。』
なぜ2011年以上に深く長いと思うかといえば、この7年半の間、西日本は、東日本へのあらゆるバックアップも担っていたから。そのバックアップでもって、日本全土が何とか回っているようにしていたはずで、その西日本が今回もしも3.11同等のダメージを受けたのだとしたら、どうなるのだろうか、と。』

「本番が来る前に、100倍速の緩やかな南海トラフ地震津波に見舞われた。」それくらいの認識に立って、この事態に臨むのが適当なのではと考えます。』

この2018年7月豪雨は、(語弊はあるが)『ただの集中豪雨』とか『梅雨末期の大雨』の括りで考えると、すぐに限界にぶち当たるのではないか。
中部地方〜九州北部まで広範囲に人的・物的被害が発生しているのである。また、被害の内容も深刻なものである。
2017年のような(被害は深刻であるが)局所的なものではない。
彼の指摘にあるように、これはゆっくりと進行している巨大災害として、2011年の東日本大震災と比較して、そして、東南海・南海地震のシミュレーションのようなものとして、解釈した方がいいのかもしれない。
今回の巨大災害は、この国の衰退のブースターになるような気がしてならない。

各地の役所や病院などの公的サービスを担う職場では、どうしても各々の立ち位置でしか、各々の経験や知識の延長上でしかこの巨大災害に対応できないのは致し方ないのだろう。
私たちのような部外者は、些細なことでいいので彼等をサポートし、『次』をシミュレーションし備えを考えることが大事なのだと思う。

とりあえず、防災グッズを買うことを考えておこう。

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