司馬遼太郎と陳舜臣の対談より、今回は『侠』のことについて紹介したい。
日本の社会でヨコのネットワーク(ここでは『侠』という表現を使っている)が発展しにくい事情について語っている。

陳は日本の亡命者の受け入れの少なさについて以下のように述べている。
『秩序維持といえば、今もそうですね。やっぱり国益が優先して、例えば亡命を認めないですね。窮鳥懐に入れば、という心がないんですよ。国外追放処分をうけて本国に送還されれば明らかに死刑になると判っている人間でも、日本の法務省は送還してしまいます。』
『自分の国で、よその国の反政府運動などをやられると、大そう迷惑しますよ。そんなややこしい連中は追放してしまえば、一ばん面倒がない。国益からいえば、追放が最上の策である。…しかし、これは、国家的に俠の精神に欠けているという、一つの表われじゃなかろうか。』
『日本の国益に反するから、この男がおったら困る。それから先は知らん、という考えは…これは戦時体制ですよ。こういう奴がいたら困る、損か得かということが、すべてのものの判断基準になってしまう。』
陳の指摘からみると、日本の体制は人間そのものよりも国益・秩序維持が大事、事勿れ主義、物事が無難に進めば良いという感覚にとらわれている、という実情が透けて見える。これは21世紀に至っても変わっていないのではないか。

一方、司馬は中国と日本の事情を比較している。
『ではどうして中国に俠が発達したかと考えてみると、…治乱興亡を経てきて判ったことだが、権力は必ずしも自分を守ってくれない。権力がすみずみまで及ぶには中国は広すぎますからね。だから、村落の共同体が、自分たちだけで守る。守るについて、内部的な秩序の孝をもって立て、対外的なものに対しては、俠をもって守りあおうとした。』
『日本はすみずみまで小権力がびっしりあって、それが連なった上に徳川幕府という最高権力がある。そういうなかでにわかに俠を発すると、隣り近所、親類みんなが迷惑するわけで、見殺しの習慣ができた。…見殺しにしてからあとで可哀そうやと涙をこぼす。まったく俠を発揮しにくい。
いまの世の中でも、会社員は俠を発してくれては困る。…とにかく日本社会には俠を発すると非常に困るような仕組がありますね。』
21世紀の日本では内部告発者の保護に関する法令があるが有名無実と化している現状の背景を、40年前に司馬が指摘していたのである。
内部告発したところで、仲間たちが助けてくれるかといえばそうとは限らない。
個々人でできることには限界があるとはいえ、何だかんだで他人を見殺しにすることが、日本のデフォルトなのだろう。
また、内部告発とは事情が異なるが、性犯罪被害の告発・告白に関する #metoo ムーヴメントが社会全般で広がるどころか、直近(2017年の秋以降)では伊藤詩織さんが被害の告発後どのような状況におかれているかを考えてみればその醜悪な一面が分かるだろう。
ソーシャルメディアでは、人数は少ないながらも個人の有志が伊藤さんに対し『侠』を発揮しているのがせめてもの救いである。

続いて、司馬と陳の対談では、日本人と組織・体制・派閥の関係について語っている。
この対談を踏まえて日本の政治・経済・社会などあらゆる現象を見ていくとより理解が進むのではないかと思う。
陳:『日本の社会は緻密でデリケートなんですね。そして、分を守っていれば、まず身の安全は保てる。』
司馬:『日本の社会のなかの大ていの社会は臨戦体制的緊張のもとに組織化されているから、一つの異分子があっちを向くと、全組織がガラガラとこわれてしまう。むしろ俠は危険ですね。…日本人は、組織や体制を非常に信頼するようにできているんですね。』
陳:『信頼しなければ生きてはいけない。つまり、日本人は騎馬民族なんですよ。』
司馬:『(騎馬民族について)…老人は一番殿(しんがり)で、若者が先登に立つ。システムそのものが草原を前へ前へと進軍してゆく。
その中の個は、そのシステムの中にいることでやっと成立しているわけで、そこから外れたら、これは、えらいことになる。
自分だけ草原に置き去りにされたら、という恐怖心があるから、システムと一緒に進まざるを得ません。システムが進んで、町を呑みこんでしまう。住民を虐殺し、また進軍する。…そのグループから蹴落されるのが恐ろしいからついていくだけの作業なんです。』
陳:『日本の政党の派閥にも、そういう傾向がありますね。自分が安心できるシステムを作らないと気がすまない。』
司馬:『派閥そのものには、それほどシャープな利益があるかどうか。自民党の派閥の中で…それに属していねば、安心できない。』
陳:『大会社にもあるでしょう、派閥は。』
司馬:『その派閥という問題も、騎馬民族的にいえば非常に問題がある。…社業が安定している時代は…学閥も共同社会のようなもので、そこで社内生活を楽しむことができたんですが、ところが、社業が左前になって危機に直面したときに、会社全体がするどく臨戦体制になり、派閥が消えてしまった。が、その後社業が安定すると、また派閥ができた。その繰り返しみたいななかに、日本の社会形態の一つのルールがあるんじゃないでしょうか。』
派閥についての対談でも、構成員同士の相互扶助という側面もあるのだろうが、組織・体制を信頼しなければこの国では生きていけない、という日本人の『本能(?)』というものを想像できる。

(元ネタは金子みすゞの詩だったと思うが)『みんな違ってみんないい』とたれかが日常の生活で言ったところで、筆者を含む大多数の日本人が『そんなもん綺麗事だ』とか『嘘つき』とか『偽善者』などと冷ややかな声を投げつけ、『異分子』を排除し『みんなで一緒』が正しいと思い込むことが往々にしてある。ことに、『侠』が根付きにくい社会である。
(日本では、いわゆる『ヤクザ』の社会について『侠』の表現を使うことが多い、というのもあるのだろうが)

『日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である。』(『街道をゆく 陸奥のみち』)

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