『タコツボを出よ、』



【参考記事 https://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-taira/filter-bubble_b_14713992.html 】
ソーシャルメディアを使っていくと、似たような内容の投稿が増えてきたり、似たような仲間(というより、単なる読者)が増えていくことが往々にしてある。
その結果起こる『情報のタコツボ化』について、先日ハフポスで取り上げられていたので、ここでも改めて紹介しておきたい。

バイラルメディア(ソーシャルメディア向けのニュースなどの媒体)「アップワージー」のCEO、イーライ・パリサー氏が2011年のベストセラー『フィルターバブル──インターネットが隠していること』の中で提唱した、『フィルターバブル』という概念がある。
曰く、『グーグルやフェイスブックが、情報をパーソナル化のフィルターにかけ続けることで、ユーザーは自分の興味関心に合うものだけに囲まれて、逆にそれ以外からは遮断されてしまう状態――それが"フィルターバブル"だ。』

『フィルターバブル』の短所としては、
『フィルターの精度が上がれば上がるほど、ユーザーはどんどんと情報のタコツボに入り込み、自分と違った立場、違った視点の情報に接する機会が無くなってしまう』
『自分の信じたいことへの確証を一方的に強めていく「確証バイアス」の危険』
『自分のものの見方が、世界を代表しているかのように思ってしまうことに気付かない』
ということを先のパリサー氏は指摘している。

知らず知らずのうちにのうちに、自分が見たいものしか見なくなり、その自分が見たいものが世の中の現象にそのまま当てはまると思い込んでしまう。
今考えると、ツイッターをやっていたころの筆者も例外ではなかった。
ヘイトスピーチを行うアカウントは別として、意見が異なるアカウントや、筆者の中の基準でNG判定したアカウントを次々とブロックしたりスパム報告したりしていたが、自ら『タコツボ』にはまり込んでいたのかもしれない。
いや、今もそうなのだろう。
たれもがそのワナにハマるのであろうことをどれだけの人が理解しているのか。

アルファベット(グーグルの持株会社)傘下のジグソーの「アンフイルタード・ニュース」開発者のC・J・アダムス氏とイジー・ザホリアン氏の説明より。
『インターネットの力を使っても、グローバルな視野で多様性を追求するのは、驚くほど難しいことがある。テクノロジーによって、誰もが情報の共有をしやすくはなった。しかし、自分自身とは違った視点を見つけ出すことについては、まだうまくできていない。』
『毎日、複数のニュースソースに目を通しても、私たちが見つけられることは、自分がわかる言語、そのニュースソースが扱うことを決めた話題に限定されてしまう。ついには、それらの制限が、私たちの世界の見方、認識を形成する"ニュース・バブル"をつくり出すのだ。』

アリゾナ州立大学教授のダン・ギルモア氏は、
同じような考えを持つユーザー同士が情報のタコツボの中で互いの思いを強め、より先鋭化してしまう『エコチェンバー(反響室)効果』について訴え、警鐘を鳴らしている。
『インターネットの大きな問題点の一つが"反響室効果"だ。民主化されたメディアによって、自分と考えが同じとわかっている人だけに関心を向け、反対意見や、しばしば現実にすら目を背けることができるようになったことを指す言葉だ。』
『これは杞憂などではない。しかし、自分の考えに引きこもるすべを与えたのと同じデジタルメディアは、一方で、人々の前に姿を見せ、そして結びつくことも容易にしてくれる。カギとなるのが、安全地帯から外に出ろ、ということだ。これにはいくつかの側面がある。』
『どんなに党派色の強いブロガーでも、大体は、徹底的に攻撃した相手先にリンクを張っているものだ。左派のブロガーが「誰それっていう底抜けのバカが、云々ってほざいているんだよ」と書いているとすれば、彼が反論する「云々」にリンクを張っているはずだ。そして、そこをクリックすれば、「誰それ」が実際に言っていることを見ることができる。これを例えば、フォックス・ニュースやMSNBCといったテレビを見る場合と比べてみたらどうだろう。テレビにはリンクはついていない。少なくとも今のところは。そしてコメンテーターは、自分たちと違う世界観に目を向けてもらおうとは、さらさら考えていない。ウェブのリンク文化は、反響室効果への対抗策の一つになる。ただし、それをクリックすること。どんどんクリックを。』
この一節の前半部分は、私たちがよく見かける光景である。
洋の東西を問わず、たれもがやりがちなことだろう。

彼らの指摘をどれだけのツイッターなどソーシャルメディアの利用者(特に政経関係の人気ユーザー)が受け止め戒めとしているのか、いくら中立だと述べていても党派性にとらわれてしまっていることに気づいていないのか、知ってて党派性のことを黙っているのか。

彼らがいつのまにかタコツボにハマっている、ということは、おそらく彼らがソーシャルメディアをやめるなり何なりしてソーシャルメディアから距離を置かなければわからないかもしれない、と筆者は思っている。

一足先にツイッターから離れた筆者は、とりあえずタコツボを出るよう努めるようにしているが、ある程度価値観が固まっているので、完全にタコツボから抜け出すことはできないだろう。

タコツボにハマる危険性は、ツイッターに限らずフェイスブックだろうがインスタグラムだろうがラインだろうがマストドンだろうがつきまとうものだと思う。
それを踏まえてソーシャルメディアを愉しむことが利口なのではないか。
ハマりすぎて『ツイ廃』とやらになって現実社会での生活に差し障りが出るのはもうごめんだし、そんな連中との関わり合いは最小限にとどめるのが次善の策なのだろう。

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