国際音痴であることを知ること




どうやら北朝鮮(北韓)が核政策を大転換させるようである。 
【北朝鮮 核実験とICBM発射の中止を決定=党中央委総会 2018-04-21 07:31 聯合ニュース日本語版より】
http://m.yna.co.kr/mob2/jp/contents_jp.jsp?cid=AJP20180421000300882&domain=6&ctype=A&site=0200000000
ただ、北韓は過去にも核開発の中断の宣言後に再開していることがあるため、今後の見通しは不明だと思っておくべきである。

ところで、日本政府は、日本人は何をやっていたのか。
日本人の拉致事件や北韓政府の自国民に対する人権問題は言語道断ではあるが)北韓を『敵対国』として扱い、外交チャンネルを断ち、戦国時代の備中高松城みたく北韓を兵糧攻めすれば北韓は簡単に『落ちる』と思い続けていたのではないか。

外交とはテーブルの上で握手していてもテーブルの下で拳銃を突きつけ合う・足蹴りしあう、と例えられることもあるが、今回の南北首脳会談や米朝首脳会談は、逆にテーブルの上でやりあってもテーブルの下でカネなりなんなりを握らせるようなことをやるよう日々努力してきた成果だったのではないか。
今回の経緯は後年裏話とかこぼれ話が出てくるであろうし、どういう取引があったかも、将来何らかの形で話題になるのであろう。

ここで、司馬遼太郎と高坂正堯の対談『政治に"教科書"はない』(対談集『日本人を考える』に収録)の一部を整理して紹介しておきたい。
ノモンハン事件や日露戦争に関する顛末を受けての指摘である。

高坂の指摘は以下の通りである。
『一般に日本では、国際的な情勢に対する無知があるだけじゃなくて、国際情勢の認識をむしろ拒否するような傾向がある』
『国際情勢の無知から、ときどき日本人はモノに憑かれたようになるときがある』
『日本人の伝書鳩的性格はいろいろ利点もあるけれども、政治家が国際外交をやったりする際には、大変なマイナスに作用する』
『日本の政治家は、日本人の伝書鳩的、島国的性格が生み出す妙な雰囲気につきあいながら外交をやらなきゃいかんわけで、それが日本の外交のハンディキャップになっている』
『国際オンチが国内のエネルギーになっているようなときに、これに会釈するのは大変に危険がある』
『よほどの政治家が、ある時点で急カーブを切れる能力をもっていないといけない』
国際的な力関係や向こうの国情を理解しなきゃいかんという者に対しては…レッテルをはって葬り去っちゃう。そこで正しい判断が働かなくなる』
『国際感覚というのは彼我を比較検討することでしょう。人間関係でも、相手の身になって考えてみて初めてうまくいくものですね。ところが日本人は国内的にはそれをやっていますが、国外のことになると、とたんに融通がきかなくなる。』

続いて、司馬の指摘。
『(ノモンハン事件について)陸軍部内にはモスクワ駐在武官とか、多少ソ連のことを知っていた者もいたけれども、そういうのがソ連軍は日露戦争のロシア軍ではないということを説くと、元気のいい連中からみんな恐ソ病とののしられて葬り去られちゃう
相手を恐ソ病とののしることは魔術的なほどに口封じのキキメがあった。』
『国際感覚の欠如といえば、さきの倭寇も国際感覚がなくて、やたらに勇ましいけれども、どこにどういう商品をもっていけばより高く売れるかなんてことがわからない。わかるのが一人出てくると、手もなくこれに統御されてしまう。 』
たしかに国内の国際オンチにつきあわないと政治がやれないようなところがある』

近年の日本政府や一般の日本人の、諸外国に対する意識を(主にインターネットを通して)見てみると、どうもこの高坂と司馬の対談で指摘されてきたような『国際音痴』という弱点がモロに出ているように思える。
政治や外交だけにみられる現象ではなく、サッカーなどの世界大会の情勢分析などでも往々にしてみられる現象であると筆者は思っている。

日本列島(プラスアルファ)の中で、日本語という独自の進化を遂げた言語圏で、村や仲間内の秩序の維持を重視し、戦国時代の感覚の延長上で争いごとを理解しようとし、それをそのまま外交にも当てはめようとし、物事に対する理解をアップデートしてこなければ、国際音痴どころかあらゆる物事に対して『音痴』になるのではないか。

筆者を含め、私たちは『国際音痴』であることを前提として物事を考え、他人と付き合っていくことが必要だと思う。
まずは己を知ることである。
100年経ったからといっても、情報通信の手段や伝達スピードが速くなったからといっても、そう簡単に民族の性格というものを変えることはできないのである

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