原点 #水俣病展2017 を観て 

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 -
【八代海。またの名を不知火海。2017年3月、肥薩おれんじ鉄道『おれんじ食堂』車中より】
約30年前の小学生の頃、母と南九州ドライブに出ました。
水俣から鹿児島に向かう途中に紺碧の八代海を目にしました。この『おれんじ食堂』から見たのとほぼ同じ紺碧の空と八代海だったのを覚えています。
その後、学校に出した日記か何かで、この海が水俣病の悲劇の舞台だったことがマジで信じられない、というようなことを書いた記憶があります。
紺碧の八代海は、自分の原風景のひとつになると思っています。
それから数十年、2010年の秋、当時働いていた東京で『水俣病展』を観ました。
その頃はTwitterを始めたばかりで、何かしらテーマを決めようとしていました。
『水俣病展』をきっかけに、自分の中のテーマの一つとして生まれ故郷である熊本県で発生し、今なお深い疵と確執を残し続ける水俣病を選びました。
今に至るまで、twitterなどの各種SNSやインターネットの掲示板などで追いかけてきたネタの根本的な部分には、水俣病のことがありました。
そして、2017年の今、近代日本が進んできた東京一極化の制約に囚われているTwitterから離れようとしているこのタイミングで再び『水俣病展』を観ることとなりました。
水俣病が日本にとっての『公害の原点』とはよく言われますが、それ以前にも足尾銅山や旧谷中村(渡良瀬遊水地)の問題があったはずです。産業革命期の英国にだって公害はあったはずです。
水俣病それ自体は文明がもたらす悲劇であり、人類の原罪であると思っています。
それでも、1950年代末に適切な対処を行なっていれば、結果はもっと違っていたのではないでしょうか。
企業も、熊本県も、日本政府も、医学会(熊本大学医学部の有志を除く)も、患者さん以外の住人も、結局のところ患者さんの根源的な叫びを黙殺し、時に抑圧し、時に抹殺しようとしてきたのです。
水俣を中心とした八代海で、日本国・日本社会・日本人が行なってきた恥ずべき愚行。
これを反省せず違う形で繰り返した結果が薬害問題であり、福島第一原発事故ではないでしょうか。
これからもこの国は同じことを繰り返すのでしょうか。
それを防ぐためには本来なら弱い立場の人々の声に向き合い、彼らに負担や犠牲を強いるべきではないはずですが、この国では往々にして弱者の側が負担を迫られてきているのです
いくらSNSで声を上げても、多くの人々は黙殺してきたのではないでしょうか。
地方の側、切り捨てられる側、への想像力が足りないのではないのでしょうか
この国が滅びても、私は何らかの形で水俣病のことを後世に語り継ぎます。

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