企業の天下争い 戦国時代は続く


日本の経済発展について、かつて司馬遼太郎との対談で、
陳舜臣は『いわば企業間のシェアの取り合いで発展してきた。これは戦争と同じ』と述べ、
司馬遼太郎からの『シェアという概念は、日本人のメンタリティの中では、どういうものだとお思いになります』という問いに
『やはり、天下取りじゃないですか』と答えている。
さらに、
『(領地をふやしていくことを)集団でやるんですね。企業間で戦争をしているんだから、企業のエゴイズムも出てくるわけです。臨戦体制だから。』と続いている。

かつて、ワイドショーなどで小売店のグループの販売競争や価格競争を『◯◯戦争』などと謳って時には面白おかしく取り上げていたが、企業間競争を『天下取り』の争いと、日本の社会を『臨戦体制』と解釈すれば、あながち間違いでもない表現に思える。
日本人が戦国時代や幕末ものの時代劇ドラマが好きなのも、そのベースにある司馬の小説が大ブレイクしたこともあるのだろうが、日本人の感覚は21世紀が始まってもうすぐ20年になる今もなお戦国時代そのままなのかもしれない。

日本国内の携帯電話サービス会社や航空会社、大手家電小売店…彼等は市場を拡大するというよりももはや天下取りというか、領地の奪い合いに血道をあげているように見えてくるのである。
世界各地の領土紛争を日本人は笑えないのではないか。
かつて就職した家電小売店も、市場全体を大きくするというよりも客の分捕り合戦の渦に呑まれていた。結局はその渦の中に消えていったが。
共に育つ、互いを讃え尊重するという感覚は、彼等の中にはないようである。
日本人が臨戦体制にある、と言われて腑に落ちるのは、そういう経験があるからである。

陳舜臣の
・『臨戦体制となれば、損か得かは、非常に端的な選択法です』
・『捨てるものはあっさり捨てなければ、先へ進めない。物ないしは思想を簡単に捨てるというのは、やはり、常時戦いに臨んでいる姿勢とつながるんではないか』
という指摘。
労働問題や社会保障の問題に対する姿勢をみると、この指摘を踏まえて物事を理解する必要がある。
『嫌なら辞めろ』『お前の代わりはいくらでもいる』という使用者の感覚は、まさに臨戦体制のそれである。
平成バブル後・2008年金融危機後の就職氷河期における企業の反応、『小泉構造改革』に関与してきた日本の経済界を見れば、『臨戦体制』下でエゴイズムに塗れた日本の経済界の性格というものが分かるであろうし、残念ながら自浄作用が働くとは思えないのである。
いずれ、日本の経済界は、かつて見くびっていた東南アジア諸国に追い越され、人材は流出していくだろう。
その兆候は既にある。

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