『大人の好き』と『子供の好き』














『大人の「好き」は多くの場合「この人を大切にしてあげたい」だが、子どもの「好き」は「この人に自分の機嫌をとってほしい」である。しかし、大人になっても子どもの心ままに「好き」を使う人がいるので、横から見ると「どうして好きと言いながら、こんな酷いことをするのだろう」という事例が出る。』

『つまり大人の「好き」は受容と奉仕の精神だが、子供の「好き」は依存心。相手に対し「どんなにひどい事をされても許して優しくできる」「どんなにダメな人間でも選ばれた人だと認めてやれる」といった「我が子に対する母親の愛」を要求してる訳。』

『無償の愛を受けた事がない人は本当の愛を知らない。本当の愛を知らなければ「自分が必要とする」事を愛と錯覚する。つまり依存を愛と錯覚する。依存が強ければ強いほど強く愛していると思いこむ。 依存は「してもらう」事を考えるが、愛は「してあげる」事を考える。 』

筆者がツイッターをやめようとした'17年の秋、この投稿を読んでしばらくしてから、振られた人のことや約20年前に付き合っていた人のことを思い出した。
筆者が約20年前に交際していた女性のことを今考えると、筆者は『子供の「好き」』という感覚でしか彼女を好きになったにすぎなかった。内心依存していたのだろう。構って欲しかっただけだったのだと思う。
筆者は末っ子の自分を含めて3児を育てる傍ら看護師や保険外交員や青果店の事務などの仕事をやっていた。結構ギリギリの家計だったのかもしれない。自分が苦境にあった時には、ただ受け止めて欲しかったのだと思う。何処かで切り捨てられたと感じていたのもあり、高校生の頃から冷ややかに見るようになってしまった。
そのうち、女性に理想の母親像や姉妹(とりわけ、姉)を求めるようになったのだと思う。
『子供の「好き」』と『大人の「好き」』の落差ゆえだと思うし、就職先などの問題もあったのかもしれないが、結局破局を迎え、もう20年近く会っていない。もう会うことはないだろう。

去年('17年)振られた人に抱いた感情ついて考えると、手前味噌だが、40代に至ってやっとようやく『大人の「好き」』という感情が身に付き始めたということになるのだろうか。
数年前のオフ会で知り合った後、私用で東京を訪ねた際に偶々時間が合い酒を酌み交わし忌憚のない意見を交わすことができた。そして、墓場まで持っていくべき秘密を持った。
北関東出身の彼女は家が貧乏だったこともあり、進路選択もままならず、東京でも酷い目に遭っている。そんな彼女をいつしか受容し、彼女に奉仕したいと思うようになった。
しかし、自分が貧乏暮らしを続けてきた九州の地と、華やかな(そう見えるだけだが)東京の距離はあまりにも遠かった。

せめてもの願いだが、平和で幸せで穏やかな後半生を送って欲しいし、自分にはそういう環境を作るための努力をする義務があると思う。また、彼女が経験した、とりわけ女性でないと分からない苦しみを我が苦しみとして受け止め、後世に語り継ぐ責任があると思う。
彼女とはもう永久に会えないだろうが、好きになって良かったと思う。

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