終わりの始まり:2011年3月11日 #東日本大震災 #福島第一原発事故



2018年。21世紀になってからもうすぐ20年。
歴史に"if"は禁物といわれるが、どうしても"if”を考えろと言われたら、筆者(だけでなく多くの人々が同じことを考えるだろうが)は東日本大震災と福島第一原発事故のことを考えるのである。

エネルギー政策の策定・推進、原子力発電所の研究開発や建設の過程で、『もしアレをやっていれば』『もしあの諫言を意思決定権者が聞いていれば』というのは多々あると思う。
それを権力者がやらず、反対派の意見を黙殺した結末は、福島県の浜通り地方の2018年の今を見れば一目瞭然である。
そして、東日本大震災と福島第一原発事故は、この国に住まう人々の中にあった、権力や国家体制、ひいてはこの国そのものへの絶望的なまでの不信感・嫌悪感を呼び覚ましてしまった、と思う。
2011年3月11日は『終わりの始まり』だった、と後世に伝えられることになる、という悪い予感がずっとある。

司馬遼太郎の著作活動の根本にあったのは、日本の第二次大戦(というか十五年戦争)参戦について、「なんであんなバカなことをやったんだ?」という疑問であった。
筆者の場合は、水俣病もだが、特に福島第一原発事故について「なんであんなバカなことを防げなかったんだ?」という疑問を抱いたのである。
司馬の著書に手を出すようになったのは、『坂の上の雲』を当時NHKで放映してハマったということもあるが、この疑問を個人的に追いかけてみようと思ったからである。

ここで対談集『日本人を考える』に収録されている、向坊隆との対談を一部紹介しておきたい。

向坊『原子力発電には、安全性の絶対確保という非常に重大な問題があるわけです。広島に落とされた原爆は重さにして二キロから三キロの"死の灰"をばらまいたんですが、原子力発電所にはその灰がトン当たりで溜まっていくわけです。これを絶対にばらまかない、漏らさない工夫、設備が必要です。』
司馬『万に一つも間違いは許されない。』
向坊『設備の安全性だけでなく、付近に住んでいる人が安心できるような、万全の監視体制が必要です。それから原子炉の中に溜まった灰をどうするか。』
『日本産業の伸び、文化のレベルの向上なんかを考えると、今世紀(註:20世紀)末には大変な量になります。その始末をどうするかが解決できないことには、原子力利用がやれないわけです。』
向坊『とにかくこの灰をいかに始末するかという問題、これには莫大な費用をかけて十分な研究をしなくちゃいけない。それも、いつまでかかってもいいという研究じゃなく、すくなくとも今世紀(20世紀)末までに、いや、いまから十五年(註:1970年の対談からみて1985年頃)かそこらの間に、答えを出さなきゃいかん研究なんです。なにしろこれを解決しないことには、原子力利用が糞詰まりならぬ灰詰まりになっちゃうんですから。』
『解決できなければ、必ず日本はモトノモクアミに戻りますね。』

結局、21世紀に至って核のゴミの問題を解決できないまま計画は迷走し、『もんじゅ』で1995年に重大事故を起こし、1999年には茨城県で臨界事故を引き起こし、挙げ句の果てには、東日本大震災時に福島第一原発の事故で多くの人々を国内のディアスポラにしてしまったのである。
浪江町の一部は少なくとも100年は『封地』となることになる。
それ以外の地域も、チェルノブイリ原発周辺地域のような事実上の立入禁止区域であり、立入禁止が解除になっても、人々が元通りの生活を送ることはできない。
度々伝わってくる近況を聴くと、筆者のような外野には、政府や各自治体が『全員戻ってくる』ことを想定して立案した計画自体が、破滅した地域経済・社会、住民の方々がディアスポラと化している現実を無視した荒唐無稽な絵空事というか、壮大なフィクションというか、なにかタチの悪い夢想に膨大な時間や労力やカネを注ぎ込んでいるように見えてしまうのである。
発災後の復旧計画立案の検討の早い段階で除外されたのだろうが、『何もしない』『半永久的に放棄する』という選択肢も、もしかするとあったのかもしれない。
『日本沈没』の『D計画』のような事態はあり得ると当時の菅内閣は想定していたようであったが、今の国家のシステム自体が、そういう『D計画』のような事態に耐えられないのかもしれない。

『解決できなければ、必ず日本はモトノモクアミに戻りますね。』という向坊隆のメッセージ。
これがうわ言でもなんでもなく、的中してしまうのではないか、と思っている。

核エネルギー政策すら行き当たりばったりで進めてきて、結局福島県民の一部をディアスポラにしたこの国のあり方を見てきて、核管理もできないこの国には、労働政策も社会保障政策も教育問題も解決できないだろう、とまで思ってしまったのである。

終わりはもう始まっている、と思っておいた方がいいのかもしれない。
筆者にできるのは、穏やかで平和に見える九州の光景を後世に、世界に残すことくらいだ。

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