有明



【博多駅で発車を待つ『有明』。2018年2月撮影】
2018年3月のJRグループのダイヤ改定で、一部の人々にとって、一時代の終わりの象徴ともいえることが実行される。
鹿児島線から、下り(大牟田方面)のみだが、特急『有明』が廃止されるのである。
今回の改定では、『有明』は朝の上りの大牟田からの博多行き1本だけになる。
この1本も、何年残るかはわからない。

『有明』は1960年代から鹿児島線(2004年から一部が肥薩おれんじ鉄道に移行している)を走り続けてきた。
筆者が小さい頃親と乗った列車が『有明』だった。
実際には有明の前にも今のJR小倉工場のイベント列車に乗った記憶がかなり朧げながらあるが、有明の方がなぜか断片的ながら比較的記憶に残っているのである。

その後、実家がJRの駅に近かったこともあり、大学受験や買い物、デートや就職活動で福岡に出かけるときは、基本的に熊本駅で乗り換えて『有明』(とほぼ同じ系統の『つばめ』)を使うことが多かった。
無理を言って鹿児島線にしてもらったこともあった。
当時は熊本市内〜福岡市内までの往復割引切符で4,000円〜4,600円で出かけることができ、しかも時間が読めて、筆者は重宝したのである。
2010年代の若者言葉で言えば『バイブスがアガる』(気分が高揚する)のは、どういうわけか『有明』『つばめ』で鹿児島線を北上するときであった。
福岡・熊本・鹿児島県の人々の生活の一部に、『有明』はあったのだと思っている。
人生を運び、時には『厭らしさも汚ならしさも剥き出しにして』鹿児島線を走り続けたのである。
主に帰りの車中で聴くことが多かった曲の一部を紹介しておきたい。
”The image of me"




"The little things gives you away"



『有明』、そして1992年から西鹿児島(今の鹿児島中央)行きを担当した『つばめ』は、日本の現代史の汚点として歴史に残る水俣病の歴史も見てきたことになるのだろう。
患者さんやそのご家族の方たち、支援者の皆さんたちは、おそらく鹿児島線で熊本や鹿児島、時には遠く関東まで出かけたり、また、水俣に通ってきたのかもしれない。
むろん、国道3号があるので、車を使うことも多かったはずだが。

これは余談であり、『有明』デビュー前の話であるが、ある患者さんのご家族の話で、熊本大学病院で解剖された方の亡骸を背負って、今は肥薩おれんじ鉄道に組み入れられた区間を歩かざるを得なかった、という強烈な話を何回か読んだり聞いたりした。
このことは、国鉄(今はJRグループに引き継がれている)の旅客営業規則の問題(死体持ち込み禁止の規定の問題)だと軽く考えていたが、先日水俣病展をみて、列車に持ち込めないという問題以前に、国道3号を使うことすら憚られたような雰囲気を察してしまったのである。
言い方を変えると、当時『奇病』『伝染病』として極めて冷淡な視線を投げかけられていた患者さんとそのご家族が、私達には到底想像できない底知れぬ屈辱感、絶望感、怒り、悲しみを心中に抱えていたことの一例だったのかもしれない。

患者さんたち、ご家族、支援者、医療関係者、メデイア関係者、行政関係者、チッソ関係者…彼らも『有明』のお世話になったことがあっただろう。
今は九州新幹線があるが、日本の歴史の黒衣として、『有明』は走り続けたのだと思っている。

その『有明』が、鹿児島線から消える日がいつか来る。

追記:この文章のようなものをアップしようと思っていた2月10日に、水俣にとって極めて大きな存在だった石牟礼道子さんが亡くなった
この件は、別に書いてアップする。




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