地方と中央 2018 その3 地方を、草の根を、仲間以外を省みない社会運動


随筆集『歴史と風土』に収録されている、『文藝春秋』1982年5月号の寄稿文『中央と地方--いわゆる都鄙意識について』より、改めて考えてみたいことがあった。
スラングで『ほんこれ』という表現がある。
これまでSNSなどを介して筆者は様々な社会運動を見てきたが、ずっと心の底にモヤモヤしていたものがあった。
そのモヤモヤを、30年以上前のある日の新聞を通じて、司馬遼太郎が言い当てていたのである。
2018年に読み返して、『ほんこれ』と何十回と繰り返したくなったのである。
社会運動家や、各SNSの有力・人気アカウントの皆さん、人気ブロガーの皆さんには、司馬のこの寄稿を是非ご一読いただきたい。
それでも、九州の片田舎の弱小ブロガーの言うことは、東京で仲間内で馴れ合って優越感に浸っている連中には多分読んでもらえないだろう。
社会運動がガタガタになって崩壊していくのを黙って見守るしかない、という虚しさも感じている。
それでも、これから日本国憲法の改定に向けて各所で繰り広げられるであろう様々な宣伝への対処、社会運動の一助となれば幸いである。

『反核アッピールにみる都鄙意識』の章より。
司馬がある日の朝見た、「核戦争の危機を訴える文学者の声明」とその後の会合に関する記事について『まことに中央構造そのもの』と述べている。
当時署名していた京都や大阪の文学者については、『たまたまお仲間がいらしたからでしょう』と。
『私などは、新聞を見て中央のそういうイベントを知るのみです。鄙とは、そういうものです。』

中央と地方の距離感。
司馬はベースが東大阪だったこともあり、距離感について体感することも多かったのだろう。
例として鮮魚商組合や履物商組合を挙げているが、商工団体が核廃絶運動に起ちあがるとすれば、種子島の小さな町の同業の店ですら連絡がいくはずだということを述べている。
商工団体で連絡洩れ・署名洩れがあれば、そのこと自体が意味をもちかねない、という。
一人でも、1店舗でも、連絡がこないことが、どういうことなのか。
連絡が回ってこないことについての想像力については、『都のほうでは、鈍感』という。
連絡がこなければ、こなかった側は村八分にされたのではないか、などと疑いを抱く。
たとえ連絡ミスだったとしても、疑心暗鬼になる。
そういう簡単なことを分からないのか。
それすら分からない連中が、やれリベラルだの、脱◯◯だの、真っ当な政治だの綺麗事を言っている。
そして、身内で馴れ合い、少しでも気にくわないヤツをブロックしたり排除したりするのである。
そんなことをやってると、都会の連中は、地方を見下している、と思われても仕方ないのではないか。
ちなみに、自分は、そういうことを目の当たりにして、あるリベラル側のオピニオンリーダー(とその仲間)に失望し、ツイッターを(ほぼ)やめることにしたのである。

核廃絶のキャンペーンについては、
『なぜ広島や長崎や沖縄の在住作家を主にしてあげなかった』のか、『核廃絶は万人が合意できるもの』のはずなのに『なぜ、せめて被爆地や基地の所在地の作家を先頭に立てるという気くばりがなかった』のか、『長崎あたりの作家が言いだしても東京の文学者の人達は動くまいということがあるから』なのか、『やはり中央から『流す(傍点あり)』ほうが日本的』なのか、と嘆いている。
この核廃絶キャンペーンのことに限らず、原発の問題や公害の問題も、東京以外で起きた問題に関しては、東京人の反応が鈍いように思える。
所詮は他人事、と地方からは思われている

が、水俣病は例外だったのではないか、と筆者は思っている。
患者さんや石牟礼道子さんなどの有志が地元から発信し続け、遠く離れた東京に足繁く通い、ロビー活動を行い、若槻菊枝さんなどのサポーターが支援し、時には実力行使をして、社会に訴えかけてきたからこそ、問題を発掘できたし、近代日本の資本主義社会から葬り去られることにはならなかった。

社会運動のオピニオンリーダーについては、下駄屋組合や砂利採取組合や日本コンニャク協会を例として、『いいことなら、すぐ他に連絡して、運動を起こすということであるべきだと思うんです。あのときに、都鄙の問題というのは、依然としてこんな問題でもあるんだなと思いました』
と、運動の進め方や運動そのものの草の根的な広がりについての重大な指摘をしている。

『韓国人や、マレーシア人や、スリランカやドラヴィダ語の作家が、もしやって来て、核廃絶に立ちあがりましょうと言ったら、日本の文壇はお受けになるでしょうか。』
『さらにいえば、なぜ中国の作家にもよびかけてくださらなかったかとくやまれます。』
『このままでは都から鄙へ、署名運動というファッションが流れ、ひとわたり流れすぎていつのまにかわすれられるだけでしょう。…明治の東京とはちがい、いまの東京がもつ力--経済力だけでなく意識の統御力など--の強大さがどれほどのものであるか、これは地方に住まないとわからないほどのものだと思います。それほどに力をつけた以上、その思考と行動はもっと独創性をもっていただきたいと思います。
この司馬の指摘を、特に左派・リベラル系の活動家やオピニオンリーダー、人気ユーザーは何百回も読み返してほしい、というか読み返すだけではダメだと思う。
自らのものとして即行動するべきだ。
寺山修司風に言えば、スマホを置いて、パソコンを閉じて、街に出よ、と言いたい。

数年前に『シールズ』が安全保障法の制定にあたり問題点を提起し、規模の大きな運動を行った。彼らの取り組みは称賛に値するが、東京のインテリが始めたことで、地方で定着したかどうかは疑問に思う。
地方の人間をもっと起用しなければ、ドブ板選挙みたいなことをやらなければ、運動は定着し身近にはならないのではないか。
自民党や公明党や共産党が一定程度の勢力を保つのは、どれだけドブ板やってるか、ということではないのか。
地方の小さな食堂にもポスターを貼ってもらっているし、選挙の時の街頭演説では数百人規模の動員ができることがどれだけ強いか、ということを、東京のインテリは、ネット界の人気ユーザーは、もっと己の問題として理解すべきだ。
ナマで与党の街頭演説会やポスターのある光景をもっと見て、恐れるべきだ。
ドブ板をやらず、ネット空間で拡散することだけを考えても、それは限界がある。地方の人々のナマの姿を見なければ、東京のインテリは再び敗けて内ゲバを繰り返し、支持を失うことになるだろう。
その危機感を分かってないヤツが多すぎやしないか。
いくらネット空間で人気者になっても、現実に社会運動や社会問題に関与していない限り、所詮は井戸端会議の一オブザーバーにしかすぎないという感覚を忘れてもらいたくないし、ネット空間での人気を手前の現実での人気や得票力だと勘違いしてはならない。
地方を蔑ろにし、東京だけ・仲間内だけで馴れ合って、支持者を幅広く獲得しようとしなければ、凡ゆる社会運動に勝利も成功もない。

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