地方と中央 2018 その3 地方を、草の根を、仲間以外を省みない社会運動
随筆集『歴史と風土』に収録されている、『文藝春秋』
スラングで『ほんこれ』という表現がある。
これまでSNSなどを介して筆者は様々な社会運動を見てきたが、
そのモヤモヤを、30年以上前のある日の新聞を通じて、
2018年に読み返して、『ほんこれ』
社会運動家や、各SNSの有力・人気アカウントの皆さん、
それでも、九州の片田舎の弱小ブロガーの言うことは、
社会運動がガタガタになって崩壊していくのを黙って見守るしかな
それでも、
『反核アッピールにみる都鄙意識』の章より。
司馬がある日の朝見た、「核戦争の危機を訴える文学者の声明」
当時署名していた京都や大阪の文学者については、『
『私などは、新聞を見て中央のそういうイベントを知るのみです。
中央と地方の距離感。
司馬はベースが東大阪だったこともあり、
例として鮮魚商組合や履物商組合を挙げているが、
商工団体で連絡洩れ・署名洩れがあれば、
一人でも、1店舗でも、連絡がこないことが、
連絡が回ってこないことについての想像力については、『
連絡がこなければ、こなかった側は村八分にされたのではないか、
たとえ連絡ミスだったとしても、疑心暗鬼になる。
そういう簡単なことを分からないのか。
それすら分からない連中が、やれリベラルだの、脱◯◯だの、
そして、身内で馴れ合い、
そんなことをやってると、都会の連中は、地方を見下している、
ちなみに、自分は、そういうことを目の当たりにして、
核廃絶のキャンペーンについては、
『なぜ広島や長崎や沖縄の在住作家を主にしてあげなかった』
この核廃絶キャンペーンのことに限らず、
所詮は他人事、と地方からは思われている
が、水俣病は例外だったのではないか、と筆者は思っている。
患者さんや石牟礼道子さんなどの有志が地元から発信し続け、
社会運動のオピニオンリーダーについては、
と、
『韓国人や、マレーシア人や、
『さらにいえば、
『このままでは都から鄙へ、署名運動というファッションが流れ、
この司馬の指摘を、特に左派・
自らのものとして即行動するべきだ。
寺山修司風に言えば、スマホを置いて、パソコンを閉じて、
数年前に『シールズ』
地方の人間をもっと起用しなければ、
自民党や公明党や共産党が一定程度の勢力を保つのは、
地方の小さな食堂にもポスターを貼ってもらっているし、
ナマで与党の街頭演説会やポスターのある光景をもっと見て、
ドブ板をやらず、ネット空間で拡散することだけを考えても、
その危機感を分かってないヤツが多すぎやしないか。
いくらネット空間で人気者になっても、
地方を蔑ろにし、東京だけ・仲間内だけで馴れ合って、
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