地方と中央 2018 その2 明治150年:文明開化が遺したもの

【ポップなファッション、『KAWAII』文化の発信源として知られる東京・原宿界隈の最寄り駅、JR原宿駅の駅名標。2017年1月撮影】

引き続き、司馬遼太郎の『文藝春秋』への1982年の寄稿『中央と地方』よりいろいろ考えてみる。

1868年のいわゆる『明治維新』後の『文明開化』。
これは東京一極集中、中央集権制だからこそ劇的に進行したのかもしれない。
司馬は、明治期の東京を、『世界史から見ても異常な都市』『単なる首都というものではなく、欧米文明の吸引装置であり、伝播装置を兼ねていました。』
『徹底的に、奈良の都の規模を何百倍したような、巨大な文明開化の装置』
と述べている。
東京がもたらしたものが、明治期の日本に及ぼした影響は極めて大きかったということであろう。
大久保利通をはじめとした明治政府のコアメンバーが、(今考えると独裁制じゃないかと言われるだろうが)権力をフルに活用したがゆえ日本の近代化を進めることができたともいえるのではないか。

言語の観点からみると、小学教科書の制定、小説の言文一致運動は、『言語の文明開化』であったと司馬は述べている。が、その結果、地方の言語文化が決定的に敗者もしくは奈良朝ふうな鄙の位置に落とし込まれ、市民権を失ったという負の側面があった、という。
各地方の方言を使うことが憚られるような空気を体感した方々がいらっしゃると思うが、これは明治維新の影響が大きいのだと思えば、腑に落ちるかもしれない。
『標準語』を浸透させる過程で、うっかりでも方言を使った子供に『方言札』を提げさせるという、21世紀の概念からみると明らかにパワーハラスメントであるペナルティを科したという話もある。
そこまでして、地方の人々に多大な苦痛を与えてまで、日本は近代化を進めてきたのである。
参考:方言札
https://kotobank.jp/word/%E6%96%B9%E8%A8%80%E6%9C%AD-627441
近代沖縄における方言札の実態 禁じられた言葉
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180202134045.pdf?id=ART0007398707



日本の文化の東京中心主義的なものの典型として、司馬はファッションについて言及している。
ファッションの情報は東京から地方に流れることが多く、洋装は東京発であり、京都発ではなく、ファッションはすべて東京に従属している、と述べている。
『ファッションなどは、所詮は『はやり(原文では傍点あり)』という虚のもので、良否の実質的根拠などいっさいないもの』
『逆に虚であればこそ、それが「中央」の好みであるかどうかに過敏になる』
業界に関わった方だとピンと来るものがあるのかもしれないが、東京を異常なまでに意識するようになるのだろうか。

東京のテレビ局から全国に放送されるテレビ番組や、東京の出版社で制作されるファッション誌、東京の拠点から発信されるファッション系のウェブサイトなどの内容を思い起こせば、まさに東京従属が露骨といえば露骨に出ている。
もっとも、大手のメディアが東京中心の発想でしか物事を捉えることができていない、東京でイケてるものに地方がなびくのは当然だという感覚がある、のかもしれないが。
ファッションだけに限らず、音楽、出版、映画、演劇、漫才、落語、能楽、インターネットの各種コンテンツ類など、種々の文化的なものごとの発信源が東京に集中しすぎてはいないだろうか。
東京の『文化人』のみならず一般庶民も、そのことにあまりにも鈍感すぎてはいないか。

東京指向について、司馬は九州の女性が東京の短大を志望するのはなぜかという推察をしている。
『「やっぱり東京のモノはどこかちがう」ということで、地方のお嬢さん方は、足摺りするようにして焦れています。この自主性のなさこそ、奈良朝以来の都鄙の意識構造というべきものでしょう。』
青山や六本木あたりで、東京の流行のファッションを真似たい(『都の手振り』をならいたい、と表現している)、地方に帰省するときに羨ましく思われたいという意識があるのか、ということを述べている。
司馬は言語やファッションの例を引用しているが、東京指向については、地方と大都市の間の、人々の交流の場、特に知的なものに関する好奇心をかきたてるものの多寡の差、大学卒業者の『居場所』がそもそもあるかどうか、などの点もあわせて理解しておくべきだと思う。
これらの問題を解決できなければ、結果として、
『江戸期につちかわれた地方の文化の自己崩壊』
が進行し、人々(とりわけ若い世代)が大都市に流出し続けるのである。

司馬の嘆きは続く。
『こんなことをしていたら、いつまでたってもダメだということです。』
『非常に多様な文化の価値観と、文化とがあって、社会というのはきらびやかなものになり、あるいはそこから生み出される文化もきらびやかなものになっていくのですが、こんなことをしていたらどうしようもありません。』
日本人は21世紀の今に至っても画一化、均質化、を指向しがちなようである。
いや、『シンクロニシティ』というか、『歴史の同時性』
というか、世界各地で多様性指向へのブレーキがかかろうとしている。
それでいいのか、という警句、嘆きが、明治維新150年という取ってつけたようなイベントが行われる2018年になっても色褪せてはいないように思える。
どうせ150年なんだから、こういうことももっと考えて欲しいものだ。

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