スターウォーズ #最後のジェダイ から感じたアメリカ文明


【『スターウォーズ』最新作『最後のジェダイ』をテーマとした、博多祇園山笠・上川端町の2017年の山笠。2017年7月撮影】
映画を観ることが少ない筆者であるが、先日福岡市内で『スターウォーズ 最後のジェダイ』を観てきた。夜は家でゆっくりしたい気分だったので、夜の部のIMAX3D版ではなく通常の字幕版を観ることにした。
このシリーズの上映を知ったのは、今は閲覧のみにしているが、筆者の実家の近くにお住まいの映画好きの方のツイッターのアカウント経由であった。
映画館では空腹感を紛らすためにポップコーンと烏龍茶を買ったのだが、『Mサイズの』ポップコーンがバケツ並みのサイズの入れ物に入って出てきたのに内心閉口しつつ、本編前に3分の2、残りを少しずつ食べ、3時間かけてようやく完食した。あのサイズをしょっちゅう食べ、自己管理を誤れば、容易に肥満体になってしまうのではないか、と思った。
シネマコンプレックスの形態の原型がアメリカにあることから、運営が日本法人であっても、サービスなど、アメリカの影響を多分に受けていることは否めない。
『わずか五セント(筆者註:1890-1900年代の物価)でビールをたっぷり飲んで、無料のビーフをおつまみに食う"自由"こそアメリカの魅力であったろう。同時に、この魅力がアメリカからもし消えることがあれば、アメリカそのものが消滅することになるだろう。』(『アメリカ素描』文庫版269-271ページ)と、1890年代の食料品が溢れんばかりのフィラデルフィアの街中について司馬遼太郎が生前述べているが、あの馬鹿でかいMサイズのポップコーンも、見方を変えれば『アメリカの魅力』ということになるのかもしれない。

さて、映画を観て思ったのは
・敵を殲滅することよりも生き延びること
・ルーク・スカイウォーカーの台詞にあったように、成功も失敗も含めて次の世代に伝えていくこと
主要な登場人物が敵同士であっても理解しようと努める姿をみてどう思うか
ということを、ジョージ・ルーカスが私達に投げかけているのではないか、ということだった。
ちなみに余談だが、クライマックスの大立ち回りの殺陣は、日本の時代劇や侍の映画を知らないとできない演出だと思った。キャラクターたちの赤い甲冑は、日本の戦国時代の武田信玄や真田幸村のシンボルカラーを思い起こさせたものだった。
なお、かつて初期作をテレビで観たうろ覚えの記憶しかない筆者は、作品の細部にこだわったり、演出の基にある要素(過去のシリーズとの関連性をあらわす設定やキリスト教の世界観など)についての解説はファンの方々に譲ることにし、作品の中のメッセージの普遍性(平たく言えば世界中で観る人たれもが感じるであろうこと)について考えてみることにした。
ちなみに、コアなファンが細部や過去との関連性や世界観などを深掘りして熱く語るのは、アニメーション作品『新世紀エヴァンゲリオン』が四半世紀前に大ヒットした際にもあったことである。

作品の要素の一つである(と筆者が勝手に思った)、
『敵同士は理解し合えるか』
『生き延びることの重要性』
という普遍的な問題を、巨額の資金や数千人もの関係者のエネルギーを投入することで、エンターテイメント市場で、しかも長年のファンの鑑賞に耐えうるレベルまで昇華し、スターウォーズシリーズ全般について数十年もの間生み出し続けられるのは、司馬の言葉を借りれば、『普遍性があってイカす』モノやコト、もしくは思想を生みつづけることができる能力がある『巨大な人工国家』アメリカ合衆国だからこそだとも思う。

今回の『最後のジェダイ』は、女性が作品中の重要な位置についている。
近年のアメリカ映画のヒット作は、例えば『マッドマックス 怒りのデスロード』もそうだったが、俳優陣や作品中のキャラクターで女性の存在感が増しているように思える。
『坂の上の雲』の秋山真之風にいえば『自主自立、一身独立』という雰囲気を醸し出す、自分の中の『核』を持って物怖じしないキャラクターが重要な役割を担う、その位置にいるのがたまたま女性であった、という印象を持つように設定しているのかもしれない。

『多民族国家であることのつよみは、諸民族の多様な感覚群がアメリカ国内において幾層もの濾過装置を経てゆくことである。そこで認められた価値が、そのまま多民族の地球上に普及することができる。
右のことは流行で考えればいい。たとえばジャズはアメリカで市民権を得たからこそ世界へ普及できたのである。文明というのはそういう装置をもっている。』(『アメリカ素描』文庫版30-31ページ)
時に人種の坩堝といわれたアメリカで『幾層もの濾過装置』を経た作品が大ヒットし、世界的名作として歴史に残り、普及していく。
スターウォーズのファンが世界各地にいることは、アメリカ合衆国の文化がもたらす普遍性の一例ともいえるのではないか。

劇中のセリフや話の流れは、今後制作される続編に期待を持たせるような雰囲気があり、『戦争は終わらない』というものなのか、ということも思わされた。
スターウォーズの世界の戦争は、あまりにも強大な『ファースト・オーダー(帝国側)』が自滅するか、『レジスタンス』が殲滅させられるかしないと終わらないのではないか、と思わされた。
これも余談だが、エンディングシーンを観て、ベトナム戦争に関する『人間の集団について』の中の、あるサイゴン(現ホーチミン市)のタクシー運転手の「この戦争(ベトナム戦争)は、ベトナム人が一人もいなくなるまで続くでしょう」(『人間の集団について』文庫版35ページ)という声のことも思い出した。
ベトナム戦争は当時のサイゴン政府が「氷のように溶ける」ことで終結(1975年4月30日ののサイゴン陥落)したが、果たしてスターウォーズシリーズの結末はどうなるのか。

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