完全アウェイの世界で生き残ること--2015年のフィリピンにて
【フィリピン・セブ市内。2015年6月撮影】
【セブ州庁舎。2015年5月撮影】
2015年の初夏、筆者はフィリピンに滞在していた。
当時はアロヨ大統領のもとで(
転職活動の傍ら、中部ビサヤ地区のセブ市で、後学のため、
近年、フィリピン国内は東アジアに近いこともあり、
いわゆる先進国との経済格差や貨幣価値の違いもあるが、
元々、
語学学校の若い講師たちや市内の人々は、どこか楽天的というか、
『登っていく坂の上の青い天』の『一朶の白い雲』
当時ボクシング界でブレイクしていた、フィリピンの英雄マニー・
社会科で人口構成のことを扱ったことがあればピンとくるだろうが
いわゆる『発展途上国』
彼らを含めた当時の同志たちと学校にこもり、
そんな中、自分たちは経済格差の上に生きている、
また、日本人が明らかに少数派である空間に身を置くことで、
たいていの人は、海外旅行するときは『地球の歩き方』
語学学校の講師たちや学校職員の奮闘ぶりを見、
『異民族の社会でその拒絶に遭えば死なざるをえない。
(『人間の集団について』文庫版93ページ)
という一節を思い起こした。
第二次大戦中南ベトナムに駐留していた日本兵は、日本の敗戦後、
一概にはいえないが、島国にこもり、
少なくとも英語の影響下にある社会では、日本語を使わず、
『異郷に流離するというのは大変なことである。
日本人には、サッカーのワールドカップをナマで観戦しない限り、
筆者は『完全アウェイ』
日本語を使わないで現地の人と意思疎通を図ることが、
日本語だけで事足りる環境や、
まして、『信用を得る』ためになにができるか。
最終的には語学だけでなく、
『日本人が、
庶民的なものに限らず、
サバイバルのために『信用を得る』だけでなく、
コメント
コメントを投稿