完全アウェイの世界で生き残ること--2015年のフィリピンにて


【フィリピン・セブ市内。2015年6月撮影】

【セブ州庁舎。2015年5月撮影】
2015年の初夏、筆者はフィリピンに滞在していた。
当時はアロヨ大統領のもとで(過去から続く種々の格差や治安の問題があるにせよ)比較的平和に人々が過ごしていた。
転職活動の傍ら、中部ビサヤ地区のセブ市で、後学のため、サバイバルのため、英語の勉強を本気でやろうと思ったのである。
近年、フィリピン国内は東アジアに近いこともあり、韓国人や日本人向けの短期留学の語学学校が次々と設立されている
いわゆる先進国との経済格差や貨幣価値の違いもあるが、米国や英国への留学より費用が安く済むことが大きな要因である。
元々、フィリピンは日本より言語圏や文化が細分化された島国であり、かつての米国統治の影響もあり、英語が一定水準以上の教育を受けた階層で普及している。現在ではASEAN圏の一国として経済成長が進んでいるが、英語が使えて母国より(職種によるが)稼ぎのいい米国やカナダなどの英語圏への出稼ぎも多い。
語学学校の若い講師たちや市内の人々は、どこか楽天的というか、『坂の上の雲』っぽくいえば、
『登っていく坂の上の青い天』の『一朶の白い雲』のみを見つめて『坂を登ってゆく』ように思えたのである。
当時ボクシング界でブレイクしていた、フィリピンの英雄マニー・パッキャオの生い立ちも、国民的な人気の空気も、まさにこの『坂の上の雲』の冒頭のように筆者には映ったのである。
社会科で人口構成のことを扱ったことがあればピンとくるだろうが、フィリピンの人口構成を考えると、かの国は『少年の国』であると思った。
いわゆる『発展途上国』のくくりで日本から見られていた時期が長かったためか、国の歴史としては短くはないが、経済発展だけみれば筆者には『少年の国』にも見えたのである。
彼らを含めた当時の同志たちと学校にこもり、時々街中や郊外の観光地にでかけた。
そんな中、自分たちは経済格差の上に生きている、彼らに一種の犠牲を強いているんだ、ということも感じた。
また、日本人が明らかに少数派である空間に身を置くことで、基本的に日本人しか見かけない空間が例外的なものだということを知ることができた。
たいていの人は、海外旅行するときは『地球の歩き方』などのガイド本を持っていくが、筆者は『人間の集団について』をあわせて持っていき、折に触れて読み返すことにしていた。
語学学校の講師たちや学校職員の奮闘ぶりを見、地元のスーパーマーケットなどで買い物をし、学習支援施設の子供達とそこで働く日本人職員の姿を見るうち、
『異民族の社会でその拒絶に遭えば死なざるをえない。かれらに受け入れられるには、正直さと善良さと勇敢さーつまりいいやつだ、という信用を得る以外にないということを。生き残ったひとたちは、生死の中で知った。』
(『人間の集団について』文庫版93ページ)
という一節を思い起こした。
第二次大戦中南ベトナムに駐留していた日本兵は、日本の敗戦後、インドシナ内戦に巻き込まれていったのである。そのなかで彼らは生き残り、ベトナムで一定の地位を築いてきた。
一概にはいえないが、島国にこもり、ほぼ日本人だけで集団をつくり、その中で表向きは穏やかに、無難に日々を過ごすことが重要な要素である日本人には、この『信用を得る』ことで生き残るという感覚は理解しにくいのかもしれない。
少なくとも英語の影響下にある社会では、日本語を使わず、英語を駆使して何かしらの形で意思疎通を図り、信用を得るということが人によってはかなり高いハードルではないかと思う。
『異郷に流離するというのは大変なことである。とくに日本人の場合はそうである。日本人はこの島国に一つ民族として(※筆者註:実際にはアイヌや琉球などの少数民族もいる)何千年も住み、相互に影響しあって個が成立しにくいほとに似てしまい、日常的にも歴史的にも相互に監視しあい、相互に心理的記号のような…日常語をつかい、ついには集団として特殊化して、異郷や普遍的世界に踏み出しにくくなっている。』(文庫版103ページ)
日本人には、サッカーのワールドカップをナマで観戦しない限り、『完全アウェイ』の世界というのはなかなか想像できないかもしれない。
筆者は『完全アウェイ』というものをセブ市内をゆくうちになんとかして想像してみようと試みたのである。
日本語を使わないで現地の人と意思疎通を図ることが、日本語しかできない人にはどれだけ労力を要することか。
日本語だけで事足りる環境や、英語ペラペラが当たり前の環境だと、想像がつきにくいかもしれない。
まして、『信用を得る』ためになにができるか。
最終的には語学だけでなく、個々人の人間性や技能が残酷までに要求される社会に日本人が放り出されることが、今思えば空恐ろしいことに思えた。
『日本人が、故国という集団を離れることがいかにつらい民族であるかということも、ここにきてふと思った。』(文庫版208ページ)
庶民的なものに限らず、日本で馴染んできた食材や生活習慣を変えることが難しいのは世の常であろう。
サバイバルのために『信用を得る』だけでなく、食習慣や生活習慣まで『完全アウェイ』の世界に対応することの苦労を考えると、この司馬の所感をもっと多くの人が共有したほうがいいと思う。

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