続・2020年東京五輪後に生きる君たちへ--記録すること
【唐津くんちの曳山。2017年11月、唐津市・JR唐津駅前にて】
先に紹介した、ブログ『日本語練習帳』の中の人の投稿で、
自分が日本人ならば、もう政治的行動や、まして発言なんかで憂さ晴らし以外のなにかになりうる時期は過ぎているので、自分に出来ることは記録することだとおもいさだめるだろう。— James F. (@gamayauber01) 2018年1月4日
もしかしたら生き延びていてくれるかもしれない日本文明の後生に伝えるために意見なしの事実を筆記するだろう
https://twitter.com/
『自分が日本人ならば、もう政治的行動や、
もしかしたら生き延びていてくれるかもしれない日本文明の後生に
事実と社会を通行した観念を写生的に記録することさえできれば、後から来た人間は参考にできるはずである。なにがダメだったか、どこに希望があったのか、丹念に書いていけば、きみよりも賢いんだもの、きみの子孫は、見て取って、感謝するだろう。先人への尊敬を取り戻すだろう。 https://t.co/PdeiC2qZaN— James F. (@gamayauber01) 2018年1月4日
https://twitter.com/
『
悲惨を記録するのは人間の理性の最高の働きだび。— James F. (@gamayauber01) 2018年1月4日
政治的な発言を、日本社会で、いまみたいな時に煩い声で繰り返すような人間と、まるで感情がない人のようにコソボの地獄で、起きていることを冷静に書き記していった詩人たちとでは人間としての品位が異なる。
高い人間性は後から来た人間を感動させる https://t.co/l6TQ4FoM5w
https://twitter.com/
『悲惨を記録するのは人間の理性の最高の働きだび。
政治的な発言を、日本社会で、
高い人間性は後から来た人間を感動させる 。』
『練習帳』の中の人の『もう政治的行動や、
筆者が、なぜこのブログ主の方の意見を紹介したか。
それは、
思想信条を問わず、この国の多数は、
万物は流転するのである。
この国が滅びるおそれがゼロだとはいえないのである。
『日本沈没』
もしかすると、
それを、
永田町の生臭い話しや東京の流行のネタは個人的にはあまり得意ではないようである。
筆者のルーツが熊本県という、東京から見れは『辺境の地』にあるからだろうし、東京の東京中心主義というべきものが醸し出す空気になじめないからだと思う。
ツイッターでやるという人、というかやってる人もいるが、
(などと言ってるそばからすぐ復帰するかもしれないが)
『日本人が、
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