2020年東京五輪後に生きる君たちへーー人間の攻撃性について
【桜をイメージした竈門神社社務所の天井。2017年3月撮影】
これまでツイッターで皆さんのご意見を拝見していった中で、
『ガメ・オベールの日本語練習帳』というブログである。
https://gamayauber1001.
このブログ主の方は英語園にルーツがある方と思われるが、
筆者や皆さんとは、
この方の投稿で、
自分自身の戒めにもしたい。
人類が、その文明を通して、芸術を科学/数学や政治よりも上位の価値としてきたのは、人類の治癒不能な攻撃性のせいだよね。— James F. (@gamayauber01) 2017年12月31日
人間の文明は芸術を失えば内と外へ向かう自らの攻撃性のせいで滅びる以外にはなくなってしまう。
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『人類が、その文明を通して、芸術を科学/
人間の文明は芸術を失えば内と外へ向かう自らの攻撃性のせいで滅
人間の攻撃性を有効に解体できるのは芸術以外にはない。— James F. (@gamayauber01) 2017年12月31日
芸術は、人間を日常よりもひとつ次元が上がったところで正気に戻す。
ジブラルタルの洞窟でネアンデルタール人がデゥスクを描いていたときから、ずっとそうだったんだよ。
人間が芸術によって自分を救済する努力はいまも続いている。 https://t.co/lNRmrR9w3y
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『人間の攻撃性を有効に解体できるのは芸術以外にはない。
芸術は、
ジブラルタルの洞窟でネアンデルタール人がデゥスクを描いていた
人間が芸術によって自分を救済する努力はいまも続いている。 』
先日来読み返している司馬遼太郎の著書の中にある陳舜臣との対談
日本人だけでなく、攻撃性というのは、
もともとは人々の生活に潤いを与えるはずだったインターネット、
筆者の友人も先日、
日本語圏だけに限らないのだろうが、
人々は現実社会のさまざまな縛りから解放され、
いつしか、筆者も争いの渦の中に巻き込まれ、
『人間を日常よりもひとつ次元が上がったところで正気に戻す』
『人間が芸術によって自分を救済する努力はいまも続いている』
そのための手段は、漫画だったり音楽だったり絵画だったり、
筆者にとって身近なのは写真だと思っている。
最後はインスタグラムの『推し』になってしまうが、
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