釜山紀行・2019秋 #부산 #busan その1


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2019年5月、筆者は高速船『ビートル』と高速バスで釜山を経由し光州を観てきた。



その時JRがインスタグラムで展開していたキャンペーンに応募したところ、後日平日往復乗船券が当選した。
大韓海峡(対馬海峡)が荒れて欠航しやすくなるであろう冬季に入る前に、前回じっくり見物できなかった釜山を見物することにした。

1:第1日 ぶらり南浦洞
2019/11/20、午後1時の対馬北部・比田勝経由の便で釜山に向かう。
『天気晴朗也、波高カラズ』という海況の中、ビートルは凪の国際海峡を滑るように航行していた。
比田勝経由便は、2018年7月より『ビートル』の2階席の一部を九州郵船(元々比田勝や厳原と博多港の航路を運航している)が借り上げる形で運航している。

船中、韓国で大ヒットした『82年生まれ キム・ジヨン』の電子版を読む。
主人公『キム・ジヨン』の視点で見た、フェミニズム的視点を主とした韓国現代史という趣きであり、釜山港到着までに1990年代のIMF危機の場面まで追いかけることができた。

釜山港から釜山駅周辺にはシャトルバスが運行されている。
交通系ICカード『Tマネー』をコンビニなどで先に購入しておくと、少々お得になる。
シャトルバスは市内バスと同タイプの大型車だと思っていたが、当日はマイクロバスタイプ(韓国国内のコミュニティバス『マウルバス』と同タイプ)であった。

今回は釜山駅前に投宿した。
11/20に韓国鉄道公社(KORAIL)の労働組合『全国鉄道労働組合』がゼネストを敢行したというニュースが流れていたが、釜山駅構内は普段通りという雰囲気であった。


夕食は釜山駅前のロッテリアで喫食。
ロッテリアの店舗にはタッチパネル式・韓日英語対応の無人POS端末が導入されており、交通系電子マネーやクレジットカードでの決済に対応している。
夕食後、地下鉄で南浦洞へ向かい、光復路を散策しながら土産用の菓子類(ペペロ)と友人用のカタツムリパック("달팽이 팩" タルペギペク)を購入した。
翌日ガイドの方に事情を伺ったところ、カタツムリパックは人気が高く売り切れが続出しているとのことであった。
店によっては30枚程のセットで50,000ウォン(5,000円)で販売していたが、いくつかの店を回って10,000ウォンのセットにした。

光復路は毎年12月にクリスマスイルミネーションのイベントが行われているが、ちょうど準備中で業者の出入りの車や高所作業車が停まっていた。
にもかかわらず、既に試験点灯が行われており、SNS映え狙いなのか記念撮影なのか、筆者を含めてスマホで写真を撮る人が目立ち始めていた。
クリスマスツリーのサイズは博多駅や天神のソラリアプラザのそれに比べると小振りではあるが、光復路自体の風景と絡めた構図にすれば良い写真が撮れるだろう。

翌日も回ることになったが、龍頭山公園の夜景を見ておこうと決め、釜山タワーに登った。
1970年代の日本の観光地に似た雰囲気が漂うものの、夜景は見ておいて損はない。
内部が一部リニューアルされているようであり、エレベーター内天井にはディスプレイが仕込まれていたり、通路も夜景をイメージした絵や鏡張りの内装に変わっているなど、SNS映えを意識したものとなっている。

ホテルではKBSとJTBCの番組をBGM代わりに流してちょっとでも韓国語慣れしようとした。
今回ふと感じたのは、ハングル自体のタイポグラフィの多様性である。
番組のシチュエーションに応じて、日本の楷書体にあたる書式やポップ体にあたる書式、あるいはオリジナリティが溢れる書式で作られた字幕を随所に盛り込んでいた。
日本のテレビ番組から遠ざかっている筆者であるが、おそらく日本語よりもタイポグラフィは多様性があるように思える
また、日本人ユーチューバーが制作する動画よりもタイポグラフィの多様性があるように思える。

KBSの討論番組では、随時ユーチューブ経由での視聴者のコメントが紹介されていた。
近年の日本であれば、これがツイッター経由になるところであろうが、ユーチューブの方がフォーマット的にライブ感が出やすく、また、テレビ局がストリーミング配信を導入している影響もあるのだろう
無論、ユーザー数の相違もあるのだろう。

2:第2日 甘川・国際市場
11/21は朝8時に起き、朝食を取った。
午前10時前に現地のガイドの方とホテルのロビーで合流し甘川文化村〜国際市場〜龍頭山公園〜釜山近代歴史館までタクシーを乗り継ぎ観光することにした。

甘川文化村(村=マウルと表記・発音する)は中心部の西の山肌にある。
釜山広域市の人口増加が起こったのは6・25(韓国戦争・朝鮮戦争)に伴う避難民の流入の影響が大きく、甘川地域は避難民の人々の『キャンプ』のような状態であった。
当時建てられた家々はいわば仮住まいのようなものであり、上下水道や電気・ガスなどのインフラ整備までできる状況でなく、まして今の建築基準法(にあたる法制度)や土地所有・住居確保に関する制度の整備もままならない状況から出来上がったマウルである。
家のひとつが村の資料館として利用されているが、現在の日本の住宅だと1DK相当の広さである。
そこに、例えば5〜6人家族がひしめき合って暮らしていたということを想像すると、住環境は厳しいものがあったといえる。
ガイドさんの話によれば、甘川地区の近くには日本人墓地がかつてあったが、6・25の避難民が已む無く『難民キャンプ』として使うこととなり、墓地は無くなってしまったようである。

甘川地区は近年は住民の高齢化が進み、より広い住居が確保でき、再開発が進む東側の海雲台(ヘウンデ)区などに住む人が増えており、地域の存続の危機が迫っている。
そんな中で観光地として整備が行われているのが甘川である。

インスタグラムなどSNSの隆盛に伴い、SNS映えを狙う観光客が多く出入りするが、元々の住民の人々の中には反発もあったようで、当局は支援策などを取り入れ、地元民に配慮するようになっているとのことである。
私達が訪れる場合には、住民の皆さんの生活にも配慮する必要がある。
フォトスポットがいくつかあり、サン・テグジュペリ『星の王子さま』をイメージした場所や『我が家』と入り口に標記した場所がある。

その後タクシーで南浦洞へ戻り、国際市場や光復路を歩き、龍頭山公園で釜山広域市中心部の概略を聞いた。
龍頭山公園に大きな釣鐘があったので、ガイドさんにいつ頃できたのかと尋ね、そこから韓国の文化財の復原・再建に関する話を伺った。
『第五共和国』というドラマなどで一部の人にはお馴染みである韓国の1970年代の『第5共和国』体制下、朴正煕政権により韓国の文化財の再建が推進されたそうである。
再建の時期をみると、1973年ごろに集中しているのは朴正煕の政策によるものだということだった。
それは、『漢川の奇跡』とも称される軍事政権下での韓国のアイデンティティ回復を志向してムーブメントに関わるものだろうと思う。
尤も『漢川の奇跡』は国民に相当な犠牲を強いたものだという評価があることを頭の片隅に置いていただきたい。

後日朝倉市の秋月地区を散策しつつ釜山や光州の街並みを思い出してみたが、『味わいのある』街並みや建物が韓国の都市に少ないようにみえたのは、日本統治時代の影響や6・25による破壊というものが大きく影響しているようであり、韓国の人びとが己の心象風景をなんとかして復活させようとしているのかもしれない、と思った。

龍頭山公園から徒歩で南浦洞へ下った先に国際市場や富平(プピョン)市場がある。
国際市場など南浦洞一帯は元々は海岸だったが、主に日本統治時代に日本人向けの商店街や港湾などの開発が行われたのが現在の市場の原型である。
国際市場にある雑貨店のひとつが『国際市場で逢いましょう』で使用された店であり、看板が掲げられている。
国際市場は生活雑貨や普段着が主であり、近くの『カンヅメ市場』は食料品が主である。

昼食後、『近代歴史館』『平和の少女像』などをみるが、『その2』で書くことにする。

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