釜山紀行・2019秋 #부산 #busan その2



3:近代歴史館・少女像
午後訪れた釜山近代歴史館は日本統治(日帝)時代が始まる前に設立された国策会社『東洋拓殖』の釜山支店として建てられた建物を使用している。
第二次大戦後は『アメリカ文化院』として米国が使用してきたが、1999年の米国からの返還後に歴史館として再度利用されることになった。
2019年秋の時点で1階は日本統治(日帝)時代に上海で設立された『臨時政府』に関する写真が展示されていた。
初代大統領・李承晩(イ・スンマン)だけでも押さえておくとよい。
2階・3階が常設展示コーナーである。
大韓帝国末期〜日帝時代〜アメリカ文化院〜返還までの流れが紹介されており、日帝時代の3・1独立運動などの植民地統治へのレジスタンス運動や第二次大戦中の『徴用』『慰安婦』『創氏改名』などについてもビデオなどで解説がある。

昨今、本邦のツイッターなどソーシャルメディアユーザーでは『ブラック企業』などの労働問題が話題になりがちであるが、かつて本邦は『大日本帝国』時代に韓半島など版図に治めた地で国策会社などを使った搾取を繰り広げてきたことを考えれば、『ブラック企業』問題もこの植民地統治とやっていることはあまり変わりはないようである。
過去に学ばず、同じ過ちを繰り返しているのが2019年の本邦の姿である。
また、時々植民地統治の『遺産』について『良いことをしたんだ』という人が出てくるが、それはあくまでも『入植する日本人にとって良いこと』だったと解釈するのが正当であり、韓半島の人々など支配される立場の人々の利益を目的としたものではなかった、そして、搾取・収奪のためのものだったとみると辻褄が合うとみるべきである。


東萊(トンネ)区には温泉があるが、ここの開発も日帝時代に行われたものである。
近代歴史館に収蔵されている資料に観光案内(今だとパンフレットにあたる)があったが、そこからも察するに、東莢も日本人向けに開発された地区だったようである。
司馬遼太郎が生前『街道をゆく』で東莢に滞在しているが、当時龍頭山公園などで物珍しい視線で見られたという話があった。
司馬が訪ねた時期はちょうど『第5共和国』時代だったことを思い出していただきたい。

南浦洞の女子高校近くのカフェで遅めの昼食としてアメリカンコーヒーとパンを摂り、草梁(チョリャン)駅(=釜山駅から一つ西面駅寄り)の近く、日本領事館前の『平和の少女像』を見てみることにした。
というより、一度だけでも現物を見ておくべきだと決めていたのである。
草梁駅の直上に、像はあった。
両脇にハングルの説明文があり、右側に腰掛けることができるようだ。
スマホで少女像を撮っていたところ、たまたま通りかかったおじさんが『勝手に撮るんじゃないよ』的なオーラを漂わせていたので、最小限の枚数だけ撮り、おじさんの感情を推し量りその場を離れることにした。
筆者が日本人だということがおじさんには雰囲気から伝わっていたのだろうし、少女像に纏わる種々のゴタゴタは当地でも伝わっているはずである
それも、本邦内の報道よりも深掘りしているはずだし、大日本帝国の遺した疵の象徴とも言えるのである。
尤も、戦時犯罪や古今東西の性的搾取が本作の基礎にある。
決して見せ物じゃないということは承知しているが、それでも報道関係者でもない限り外国人がカメラに収めるのは快いものではない人もいるのだろう。
大日本帝国の植民地統治というものは、結果として、そういう感情を2020年代目前に至るまで当地に遺してきたものだったのである。

4:海雲台の夜
南浦洞に戻り影島(ヨンド)大橋付近で夕暮れを眺め、ロッテマート内のLINEグッズの店で土産物を買った。
影島(ヨンド)大橋は、かつて6・25の避難民のランドマーク的存在であり、『影島大橋で逢おう』という合言葉が使われたこともあったそうである。

その後、ガイドさんが夜景見物のおすすめスポットとして紹介していた海雲台(ヘウンデ)区に向かうことにした。
海雲台区検索してみたところ冬伯公園が出てきたので、冬伯公園に向かった。

冬伯公園の下に『ザ・モール101』というレストランやカフェが入った商業施設があり、その前が整備されている。
クリスマスシーズン前ということもあり、クリスマスツリーなどのイルミネーションが点灯しており、記念撮影の人々やSNS映えなどを狙う人々が思い思いに写真を撮っていた。
その光景は、普段私たちが日本各地で見るそれと同じであった。
洋の東西を問わず、SNS時代の人々の行動は似てくるものである。

釜山の街の現状を知るには、中心部(龍頭山公園周辺)や西面地区を見るだけでなく、海雲台地区も比べて見てみるとよい。

5:釜山港の朝
11/22の朝食後、ホテルから歩いて釜山港に向かった。
国際ターミナルに入り、各運航事業者のカウンターの上の出発便の案内を見たところ、前回5月よりとりわけ対馬方面が大幅に減便されていたことに(ニュースで知っていたとはいえ)内心驚いた。
2019年5月の午前のダイヤでは
7:40(対馬)
8:00(対馬)
8:30(福岡)
8:40(対馬)
9:00(対馬)
9:30(対馬)
9:45(対馬)
12:15(対馬)
となっていたのが、2019年11月は
8:30(対馬比田勝経由福岡)
9:30(対馬)
14:00(福岡)
21:00(下関)
22:30(福岡)
という具合であった。ターミナルも閑散としていた。
2018年後半からの日本政府の対韓国外交政策のしくじりというべきなのか何かの悪意をもった振る舞いの結果としての『冷え込み』であり、対馬の観光産業へのダメージは相当なものがあるのだろうということを想像するに難くない状況であった。

韓国からの観光客にとって人気が高い別府・湯布院地区も、観光客の減少が相当な影響を与えているようである。
日本政府、そして筆者を含めた日本人の中に元々ある韓国に対する『上から目線』的なものが後々大きな禍根を残すんじゃないか、そう思わずにはいられなかった。

6:振り返り
前回観ることは出来なかった西面地区だけでなく南浦洞地区もカフェが多い印象であった。
日本国内であればスターバックスやドトール、ベローチェなどのチェーン店が都市部には目立つはずだが、チェーン店よりも目に付いたのは単独出店している店舗であった。
福岡市内であれば中央区の白金や警固・六本松地区、都市圏まで範囲を広げれば糸島市で近年カフェの出店が続いているが、釜山広域市もカフェ出店ラッシュが続いている(あるいは、続いていた)ようである。
韓国料理はグループで食べるものだという感覚があったので、あえてカフェ巡りをしてみたのも良かったかもしれない。

筆者はグルメやファッションや美容を目当てとしない『硬派』なネタに反応するタイプであり、あまり面白みがないかもしれない。
どちらかといえばツイッターなどとあわせて当地の状況を知ろうとするタイプである。
少なくとも映画の『聖地巡礼』的なものをやるタイプであるという自覚がある。

そのうち板門店か青瓦台か光化門に行くつもりである。

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