熊本桜町界隈を歩く 2019師走 #熊本桜町再開発 #サクラマチクマモト


1:
2019/09/14、熊本市に大規模バスターミナルが再開業した。
桜町バスターミナル"SAKURA MACHI Kumamoto”
https://sakuramachi-kumamoto.jp/ と呼称される。
過去の歴史を遡ると、19世紀末は旧帝国陸軍の演習場だった熊本城の南側に熊本県庁が設置された。その後1960年代に県庁が郊外部(熊本市東区)に移転し、その跡地に熊本交通センターが造られた。
2010年代に熊本交通センターの再開発計画が始まり、2016年熊本地震や熊本市長選挙など紆余曲折を経て2019年9月に開業。
桜町バスターミナルの開業当日は、その日限りであったが、九州産交ホールディングスが旗振り役となって、『熊本県内の一般路線バス・熊本電鉄・トラム(路面電車)の運賃無料』という壮大な社会実験が行われた。

参考:

https://trafficnews.jp/post/88926/
全国初「県内バス・電車無料の日」なぜ実施? 他社の減収も負担 バス会社の壮大な挑戦

https://trafficnews.jp/post/91419
県内バス全無料化「1世帯月1000円負担で可能」 熊本で1日やってわかったこと

東京・京阪神地区やその他大都市近郊以外はほぼ車社会となり、それを前提とした都市計画や商業施設の開業が進み、路線バスやJRグループを含めた地方鉄道などの交通網の再編・統廃合が進行している日本の地域社会。
社会実験を行ってまで、2020年代以後を見据えた再開発プロジェクトを敢行した九州産交ホールディングスと熊本市。
交通事業者は民営が原則となっている2010年代の日本に於いて、日本の社会そのものの持続可能性を考慮すると、各所でその限界が近づきつつある中、民間事業者の独立採算だけで地域の交通網が維持できなくなることを想定し、公的セクターとのコラボレーションはいよいよ重要性が増してくるのではなかろうか。
もしかすると、地方政府などによる公営企業からの民営化のムーヴメントが終わり、再公営化が始まるのではないか、むしろ公営化の方がよりマシだったんじゃないか、というようなことを頭の片隅に置き、師走の熊本桜町へ向かった。

2:
当日は大学時代の先輩に先日の釜山旅行の土産を渡して(遅めの誕生日プレゼントを兼ねたつもりで)一緒に昼食を食べてスターバックスのコーヒーを飲み、先輩と別れて桜町バスターミナルに向かった。
熊本駅は再開発プロジェクト真っ只中であり、国鉄時代の1950年代からの旧駅舎が完全に解体された後の広々とした広場と、両脇のホテル・アミュプラザ(JRのショッピング施設)建設現場がある。
JRの利用者は主に出張族や観光客、そしてJR線沿線の通学客であり、大都市圏以外ではありがちな光景である。
大抵の人、特に熊本県外からの訪問者は熊本市中心部に向かう人々は正面にあるトラム乗り場に向かう。
熊本市内各方面に向かうバスの乗り場は駅から少しズレた場所にある(桜町バスターミナル・中心部方面行きはホテルニューオータニ寄り、南区・天草方面行きは向かい側の予備校前)ので、バスを使い慣れた人でなければパッと見てもその存在が分からないだろう。

鉄道が廃止された地域で公共交通機関の存在感が薄くなるのは、見た目でそれとわかるものがせいぜいバス停くらいで、ビジュアル的に認知されにくくなるということもあるのかもしれない。

熊本駅から乗った熊本バスの白とオレンジのいすゞ車は、トラムより速いスピードで桜町バスターミナルに進入。
バスターミナルの乗り場は、緑(主に東部方面)・青(主に北部・熊本駅方面)・赤(主に南部方面・長距離路線)の3色で大別されている。
この色分けは1990年代の先代のバスターミナル(旧熊本交通センター)改修の時から採用されているが、それが引き継がれたのは利用者を混乱させないようにしているためだろう。
待合室の中だけでなく、反対側から見える部分も色分けしてある。
ガラス窓で車道と待合室が分かれているのは、西鉄天神高速バスターミナルや博多バスターミナル、光州(韓国)の総合バスターミナル・Uスクエアと似たような構造である。
車道やバスの待機スペースは光州のUスクエアほどではないにせよ(土地の問題もあるが)天神や博多バスターミナルより広い。
ターミナルの商業施設自体の規模は光州Uスクエアより大きいようである。

ターミナル内部は乗り場間の通路をコンコースとして地下1階から2階に飲食店や雑貨店など多数のテナントが入居している。
その一角にバスの発券所があるが、それを除けば、パッと見はJR東日本の大宮駅や品川駅などの『エキュート』(駅のコンコースを利用した商業施設)のような趣きである。
JR東の『エキュート』は元々は駅のコンコースの空いた空間を商業施設に転用したものであり、元々人通りが多いところに出店しているので、それ相応の収益は見込めると踏んでJR東は事業展開している。
桜町バスターミナルの場合は、建て替えに合わせて乗り換えの通路に沿って改めて店舗を作ったものである。

3階以上には飲食店だけでなくシネマコンプレックス、保育園もある。
車社会の熊本県民からみれば見ようによってはデカイショッピングモールが熊本城の近くにできたようなものだが、車で動けない事情があればバス(少し歩けばトラムも使える)で行けて、上手いこと使えば一日を過ごせるような施設だともいえる。
テナントはお定まりの今風の全国チェーン店だけではなく、昔から熊本市内にあった子供服の店や飲食店も新規(あるいは移転しているのかもしれないが)出店している。






3:
HUB空港というものがある。
シンガポールのチャンギ空港やドバイが有名である。
航空路線の場合は、同じ航空会社が複数の幹線としての国際路線を持っていて乗り継ぎなどの拠点を設ける場合に、その乗り継ぎ空港がHUB空港になる場合があり、巨大な国際空港がある都市がそのまま拠点空港都市になることもある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%96%E7%A9%BA%E6%B8%AF

桜町バスターミナル建設前の2015年春に旧熊本交通センターと県民百貨店の閉鎖を見てきたが、その時、1960年代の旧交通センター開設時の熊本日日新聞の切り抜き記事が紹介されていたのを思い出した。
1960年代は日本全体が『15年戦争』〜第二次大戦という国家ぐるみの壮大な破滅的愚挙(及びその後の国家財政・経済の破綻)のダメージから立ち直りつつあった、まさに日本人が『登っていく坂の上の青い天の一朶の白い雲のみを見つめて、坂を登ってゆく』時代、そんな時代の空気感が伝わってきた記事だった。
記事からは、将来の九州自動車道の全通(1995年)や九州新幹線鹿児島ルートの全線開業(2011年)を待ち焦がれ、九州のHUBたる拠点地になり、リーダーとして振る舞いたかったであろう熊本県の政財官界の希望的観測が満ち溢れていた。
しかしながら、天の時・地の利・人の和がものごとの成否を左右することがあるとすれば、少なくとも地の利は博多にあったのではないか。
博多港・博多湾が天然の良港として古代からユーラシア大陸との交易の拠点として利用されてきたこと、陸・海・空の交差点として変化してきた博多の地が拠点都市としてより有利だったのではないか
それを考えると、陸の拠点都市としては優れていたであろう熊本の地は、特に海に恵まれなかったことで九州の拠点都市としてはハンディを負うこと運命であったと言っても過言ではない。

今はどうかわからないが、一時期までは熊本県の政財官界の人々に『熊本を九州の中心都市にしよう』という動きがあった記憶がある。
残念ながら、拠点都市として有利だったのは福岡都市圏であった。
2010年代の人口動態をみればそれは明らかだった。
尤も、茨城県のつくば市や米国カリフォルニア州やオーストラリアやブラジルや韓国やかつての西ドイツのように機能分担を担う方向性はあるのだろうが。

桜町バスターミナルの再開発は、いっそのこと熊本都市圏・熊本県の陸上交通の拠点として割り切るべきなのかもしれない。
熊本県、特に熊本都市圏の交通網の現状は、三大都市圏や福岡都市圏以外の日本の2010年代の地方都市と似ているように思え、また、鉄道網の存在感の薄さ(トラムは別として)とバス中心の交通網は韓国の光州広域市にも似ているので、交通網の比較検討は国内外の地方都市同士で行うのが妥当であろう。

熊本都市圏・熊本県は、おそらく今後50年・100年はよくて現状維持・悪くても人口流出が加速すると想定しておくべきであろう
熊本の地に旧くから根付いている縁故主義的・封建的社会秩序と21世紀的価値観や経済・労働環境のギャップと折り合いをつけなければ、この桜町バスターミナルも半世紀後にはただのハコになってしまうかもしれない、と想定して持続性の維持を図るべきではなかろうか。
むろん、熊本の人々の労働条件など経済的基礎の強化は必須であるはずだ。
日本の中でも所得水準が低く、もはやOECD加盟国の『中程度』の所得水準である熊本の人々が貧乏なままでは、桜町再開発も無駄になってしまう。

余談だが、巨大プロジェクトを求めて焼畑農業のように各地を移動する建設労働者たちのことをふと思い出した。
桜町再開発のようなプロジェクトが続かない限り事業継続が止まってしまう、人によって自転車操業に見えなくもない焼畑農業的な建設業界の在り方も早晩問われることになるであろうが、その日は遠いのだろうか。


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