光州紀行 20190518 その1 #光州事件 #光州民主化運動

0:そうだ、光州(クワンジュ) 行こう
20195月現在、筆者は運輸業界の一労働者として福岡市内で働いている。

5月のシフトが決まった時、書き入れ時の金曜・土曜が会社の都合上休みになり半ばガッカリしていたが、丁度518日が休みになったのは何かの運命だと思った。
518日といえば、『タクシー運転手』という韓国の映画を観た人や『第五共和国』という韓国のドラマを観た人であればピンと来る日である。
この日は『518民主化運動記念日』である。

筆者は『第五共和国』のことは以前ネタ素材としてツイッターで流布していたのを見ていたし、『タクシー運転手』は映画で観た。
次第に韓国の現代史の『第五共和国』体制で起きたこと、特に『光州事件』(韓国では『518民主化運動』『光州民主化運動』と呼ばれている)に興味を持つようになった。
参考:当ブログより『タクシー運転手』について

韓国の現代史に興味を持つようになったのは、『崔順実(チェスンシル)ゲート事件』や『セウォル号事件』、その後の『ろうそくデモ』、文在寅(ムンジェイン)の大統領就任までの流れをツイッターやインスタグラムを通じてチェックするようになったためである。
日本語圏のメディアを通すと一種のフィルターを通した形で見る形になるが、そのフィルターが日本人の歪な韓国観に影響されるため歪な見方しかできなくなるのではないか、と危機感を持った。

そこで、近年の韓国からの観光客の方のご利用が増えているという仕事の都合もあるが、筆者は韓国語を勉強するようになり、今回518に光州に行くことに決めたのである。

1:海中のみち、釜山(プサン)へ

517日、博多港よりJR九州高速船のジェットフォイル『ビートル』で釜山に向かった。
釜山港国際ターミナルは入国審査を通過するまで写真撮影できないので注意いただきたい。
釜山港からはやや遠いものの徒歩で釜山駅(KORAIL・地下鉄)に行けるが、できればシャトルバスを使うとよい。
ターミナル内にセブンイレブンがあるが、19時頃には閉店するようである。
可能であれば、ここで交通系ICカード『Tマネー』(関東圏のSuicaPASMO、関西圏のICOCA、福岡地区のnimocaSUGOCAと同様のIC乗車券)カードを購入しておきたい。



早い時間に着けばチェックイン後市内の夜景を眺めるのもよいが、地下鉄駅までの時間がかかったのと、西部・沙山(ササン)区の沙山駅直上にある釜山西部バスターミナルで翌18日の光州行きのバスの乗車券を先に購入したので市内観光の時間がなくなった。

釜山駅から南の方にある、映画『国際市場で逢いましょう』の舞台・国際市場(クッチェシジャン)だけでも観ておきたかったが、それは次回のお楽しみにしておく。
(韓国内の高速バスの公式サイトはあるのだが携帯電話の回線の都合か、事前購入できなかったので時刻の確認だけに留めた。)

西面(ソミョン)地区のホテルに投宿し、軽食を食べようとカフェに入ったがワッフルのセットが売り切れだった。
簡単な韓国語を駆使し、バスターミナルで乗車券を確保し、西面のカフェではカフェラテとチーズケーキを買って食べた。


(釜山西部バスターミナル)
韓国の物価について簡単に書きたい。
20195月時点の為替レートでは100円が約1,100ウォンに換算されている。
そのため、韓国の商品の価格は、値札の表示からゼロを1つ取ると日本円の水準と比べることができる。
今回は主にコンビニで買い物をしたが、サンドウィッチなどの飲食物は日本のコンビニなど各店舗とほぼ同じ価格帯である。
交通費については、
・釜山の地下鉄は初乗りが1,400ウォン(日本円で約140円)
・釜山の市内バスは初乗りが大人1,800ウォン(約180円)
・光州の市内バスは初乗りが大人1,400ウォン
(約140円)
であった。
バスは基本的に市内均一運賃である。
地下鉄もエリア限定であるが均一運賃である。
釜山〜光州間の高速バスは、今回利用した3列座席の便だと24,200ウォン(約2,400円)である。
バスはグレードによってはより安い便やより高い便もある。
韓国は全般的に交通手段の運賃が安く、今回行った光州の場合、ソウル方面へのバスは時間帯によっては数分おきに出発し、それだけ地元の人々に定着しているようである。
九州島内を訪れる韓国からの観光客の中で、JR九州の乗り放題切符とは別に『SUNQパス』という一般・高速路線バス乗り放題のパスをご利用の方が多いが、高速道路網が発達し、高速バスも都市によって多数運行されていることを考えると、バスを利用する旅行者が多いのも頷ける。
今後は鉄道(KORAIL:韓国鉄道公社)なども使ってみたい。

他に、市中の商店の店先の値札を見た限りだが、衣料品類が10,000ウォン(1,000円)台のものも結構出ていた。
近年賃金水準の上昇が進んでいる韓国であるが、食料品の価格が安くなるか、より賃金水準が上がれば、人びとの生活水準は向上する可能性がありそうだ。
あとは住居費の問題であろう。

前日の夜9時のKBS(韓国放送公社)のストレートニュースは『518民主化運動記念日』の話題をトップに持ってきていた。
また、釜山日報などの地元紙も518関連の話題が取り上げられていた。

2:光州への道 Road to Gwangju




518日。釜山は雨だった。
早起きして朝食をかきこみ、釜山西部バスターミナルより8時発の光州行きに乗車した。南海高速道路経由で所要時間は約3時間である。
予定の時間の便の前に臨時便があるのを確認していたので乗り間違えせずに済んだ。
バスはアシアナ航空と同じマークがある起亜自動車の車で、車内は鹿児島方面の桜島号(福岡からの所要時間約3時間半)や宮崎方面のフェニックス号(同上)と同じ3列シートで、充電用のUSBコネクタがあった。
余談だが、高速船ビートルにもUSBコネクタが付いている。
但し、九州島内の高速バスと違い、バス車内にトイレがないので注意が必要である。

今回の旅行にあたり鉄道での移動も検討したが、検索したところ釜山〜光州間が11往復、しかも各停で約6時間かかると分かり選択肢から除外した。
ソウル・仁川発着のルート上(大邱や大田、慶州、全州など)やソウル近郊(仁川広域市や京畿道)であれば鉄道も有力な選択肢であるが、それ以外だとバスが有力であろう。

車内では聯合ニュースのテレビチャンネルニュースを放映していた。
9時半頃、途中の光陽(クァンヤン)市(麗水(ヨス)市の北)のサービスエリアで15分程の休憩があった。
筆者はチョコレートを買ったが、陳列棚のガムはほぼロッテだった。
韓国はロッテグループがホテルなどを所有するメジャー財閥のひとつであり、その影響もありそうだ。
道中の農村部の風景は、ハングルの看板があるのと右側通行であること以外は九州のそれとほとんど変わらない。

サービスエリア発車後しばらくして、車中のテレビで『518民主化運動記念式典』の中継が始まった。
・国旗掲揚
・国歌斉唱
・ご遺族スピーチ(演奏付きである)
・文大統領記念辞
・民主化運動の歌『ニム(あなた)のための行進曲』の斉唱
という流れである

車中の様子は、テレビを除いて普段とあまり変わらないように見えた。
むしろ、その方がまともな世の中なのだろう。

文大統領の記念辞だが、途中で
『チョンマル ミアナムニダ(誠に申し訳ございません)』と2回述べていた。
これは余程のことなのだと思った。
参考として、後日ライターであるソ・テギョさんの投稿


ヤフーニュース日本語版の記事
を拝読し、記念辞の内容を確認した。
記念辞より一部引用。
805月、光州が血を流し死んでいく時
光州と共にできなかったことが
その時代を生きた市民の一人として本当に申し訳ありません。
あの時、公権力が光州で行った野蛮的な暴力と虐殺に対し
大統領として国民を代表しもう一度深く謝罪します。』
文大統領の『ミアナムニダ』の部分は、どうやらこの部分だったようだ。

記念式典の終了とほぼ同じ頃、バスは光州市内に入った。 
光州市内は既に雨が止み、半袖でも十分な気温だった。
スプリングコートも用意していたが、5月になれば不要かもしれない。

3:『聖地』518民主墓地
光州市内では、『518系統(各停のみ)』のバスで国立518民主墓地に向かうことにした。
高速バスのターミナルである総合バスターミナル(Uスクエア)前光州駅(革命の交差点)全南(チョンナム)大学を経由し、バスターミナル前から民主墓地までは片道約1時間かかる。
光州市内は地下鉄が1系統あるが、市内各所を巡るにはバスかタクシーが比較的便利である。
ハングルが読めるのであればバスが使い勝手がいい。
韓国語を喋る自信があればタクシーも検討する余地がある。
12時前に総合バスターミナルを発車した518系統は約1時間で518民主墓地に到着した。
市内は所々太極旗や518民主化運動についてのバナーが掲げられていた。
民主墓地に近づくにつれ、バナーの数が明らかに多くなっていた。
また、墓地周辺には犠牲者を弔うメッセージが書かれたリボンが多数下げられていた。
文大統領の訪問直後ということもあり、警察官や警察車両が多く、物々しさもあった。

民主墓地の中では、既に記念式典の撤収作業が始まっていた一方で、各宗派の形式による追悼が行われ(筆者の到着時は仏教形式の追悼であった)、また、多くの人々が自家用車や貸切バスなどで墓参に訪れ、各々のスタイルで故人を偲んでいるようであった。
韓国の民主化運動の『聖地』の巡礼の旅のように見えるし、単に休日の過ごし方のひとつとして家族や友人と、あるいは一人で出かける、という具合なのかもしれない。
肩肘を張ってシュプレヒコールをあげ、時に感情を露わにして闘い、血を流すという39年前の凄まじい時期と比べるととても穏やかな日だった。
故人に、草場の陰から2019年の風景を『これでいいのだ』『いやまだまだだ』と思いつつ眺めてもらえれば、それだけでもいいのかもしれない。

筆者は(形ばかりかもしれないが)簡単に祈りを捧げ、墓地内や追慕館を見学した。
犠牲者の墓標の側にはそれぞれ花や太極旗が供えてあった。
花は一輪だったり、花束だったり、花輪だったりした。
もしかすると、あえて518を避けて墓参する方もいらっしゃるのかもしれない。

追慕館は、518の前後を振り返る構成であった。
タイムライン形式の説明は、今のところ韓国語表記のみである。
最後にユネスコの『世界記憶遺産』のコーナーがあった。
一つだけ気になったのは、ミャンマーの部分だけ展示物が無くなっていたことである。

今回は時間がなくなったことと、これまで特に思い入れがなかった自分が故人の遺影に向き合える自信がなかったため、遺影を掲げてある場所を巡ることができなかった。
今後改めて訪問してみたい。

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