6月民主抗争の記憶 #1987ある闘いの真実

映画公式サイト
http://1987arutatakai-movie.com/

6月民主抗争(韓国)
https://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%88%E6%B0%91%E4%B8%BB%E6%8A%97%E4%BA%89

筆者が小学生だった頃、テレビで(おそらく)ソウル市内のデモ(と警官隊の衝突)の光景を観たことがある。

場所は分からないが、'16年にキャンドルデモが敢行された光化門広場だったかもしれない。
名古屋の100m道路や札幌の大通より広く感じる道路いっぱいにデモ隊が練り歩き、警官隊が催涙ガス弾を発砲し、白いガスが拡散し、人々は逃げ惑い、モノコックの右ドアのバスがバリケード代わりに幾重にも止められていたのをぼんやりと覚えている。
韓国では高速道路などの主要な道路が広く作ってあるのは、『有事』に飛行機の滑走路に転用できるようにするためだと聞いたことがある。
その道路いっぱいに広がり、催涙ガス弾から逃れる人々の群れ。
そのデモの背景にある事件が、本作『1987、ある闘いの真実』のテーマである。
この『6月民主抗争』は韓国では漫画『沸点(100℃)』(日本版は『ころから』http://korocolor.com/book/zouho-futten.html
から出版されている)でも描かれている。

かつて司馬遼太郎が『城塞』などで指摘した『世界史の同時性』というものが、当邦では1960-70年代の『安保闘争』や『成田闘争』や『三池争議』や水俣病に関する運動などにみられるような、『生物の次元』で解釈したほうが理解しやすいであろう、市井の人々の権力への異議申し立てのムーヴメントという形で、世界各地で沸き起こっていた時期である。

韓国の場合、『第5共和国』体制下での経済成長が市井の人々に犠牲を強いてきた結果、先に公開された『タクシー運転手』で取り上げられた光州事件(5・18光州民主化運動)
【参考 http://onthewayinkyushu.blogspot.com/2018/05/518.html 】
に続き、1987年1月にソウル大の学生が亡くなるという形で市井の人々に犠牲が生じた。
(実際には他にも拷問などで多数の犠牲者が出ていたが、本作を観るまで筆者はこの6月民主抗争のことはぼんやりとした印象しかなかったのである。)
人々は『それはダメだ』と当然の反応を示し、抑圧的な体制下で、命懸けで事件や全斗煥体制に異議を唱えるよう努力してきた。

本作では、ある個人タクシー運転手の視点が主だった『タクシー運転手』と異なり、検察官やマスコミ関係者や治安警察や大学生などの多くの登場人物の視点から6月民主抗争を描き出している。

法に則るか、法を曲げて『力』に屈するか。
本当のことを書いて世に出すか、封印するか。
大切な人のために何ができるか…etc.

子供の頃にテレビでしかデモ隊をみたことがない筆者の想像でしかないが、この民主抗争は、韓国の人々が彼等にしかわからないだろう『本当に大事なもの』を守るということで一致した結果だったのではないか、と本作を観て思った。
それは、光州事件で『権力者は時として国民を容赦なく殺す』ということを思い知らされたこと(それ以前にも朝鮮半島(韓半島)が度々戦場となったり外国勢力の『草刈場』『植民地』となった歴史もあるのかもしれないが)や、戦争や権力による弾圧という『人災』を防ぐためにできることをやろうという感覚があるのかもしれない。
いつか、韓国の人々と話をして、そのあたりの感覚を少しでも知ることができるといいかな、と思う。
果たして、当邦・日本の人々は、彼等のように『大事なもの』を守るために一致しても、権力に立ち向かってでも守るのか、という疑問を筆者は持っている。
おそらく、『空気を読む』なり『枝葉末節に拘る』なりして、巨大なムーヴメントが起こってもあっという間に雲散霧消するのではないか、日常の生活の中で記憶を消していくのではないか、という気がしている。
当邦の人々にとって、権力者は『親』であり、『親が間違えることはしない、過ちはしない』という無邪気な感覚があるのかもしれない。
そこからスタートしなければ、韓国の(特に『硬派』な)映画やドラマの世界観を理解し血肉化するのは難しいのではないか。

余談であるが、延世大の学生役の俳優の髪型や化粧が筆者の若い趣味仲間にむちゃくちゃ似てたのは気のせいだと思いたい。


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