#日本沈没

『この国はね……
この国はとっくにおしまいですよ。
誰もが気づいてるのに
誰も何もしようとしない。
どうしようもないよ。』
『こんな国、一度滅んでしまった方がいい。』
という主人公.・小野寺俊夫の台詞に衝撃を受けた漫画『日本沈没』

【『日本沈没』(一色登希彦)2巻 65ページより】
この作品は2006年から雑誌に連載されていたが、東京にいた時(おそらくこの時が始めてだったと思う)ネットカフェで読み始めて読了した。
それ以来事あるごとにこの作品のことが心の底に引っかかっていた
そして、東日本大震災、福島第一原発事故、2018年の西日本豪雨、道央胆振・空知管内の直下型地震(とブラックアウト)…
当ブログのネタをいくつか考えていたが、18年西日本豪雨後はこの『日本沈没』のことが頭から離れなかった。
そして、西日本豪雨後に電子版を『大人買い』し一気に読んだ。

原作は小松左京であるが、一色登希彦さんが2006年の映画化に合わせて漫画版で再構成して発表している。
2000年代後半までの情報通信などの科学技術の変化や社会情勢などが取り入れられたSFではあるが、将来起こりうる巨大災害のイメージを持つには極めて優れた作品であると思っている。


以前から一色さんのツイッターの投稿を拝読させていただいているが、大規模な災害の推移を追いつつ本作を思い出し、読み返し、一色さんの投稿を追い、災害の中で人々がどう動き、考えるのか、どんな誤りをしでかすのか、ということを学び、自らを戒めるようにしている。

皆さんに特に読んでいただきたいのは、6巻である。
1923年関東地震に関する研究・被害記録や日本政府などの東京における直下型地震の被害想定、そして一色さんの現地取材などに基づくストーリーであるが、とにかく恐ろしくなってくるのである
あんな死に方はごめんだ、と言いたくなるのである。

2011年3月の東日本大震災発災時は仕事の関係で東京に住んでいたのだが、仕事が無くなったのもあって2011年の暮れで東京を引き払うことにしたのは、この6巻の内容の影響もあるが、『死に方』に関する恐怖心が働いたからなのかもしれない。
ちなみに一色さんも今は東京を離れているが、もしかすると取材の過程でご本人も『あんな死に方はごめんだ』と思ったのかもしれない。

本作の理解と現実社会への還元のために、筆者が重要だと思ったキーワードがあるので、二つ紹介しておきたい。


『カンとイマジネーション』
【同第1巻 201ページより】
第1巻の中にある田所雄介博士の台詞。
『偉大な科学者にとって最も大切なのは、カンとイマジネーションです。』
『…最も大切なのは、鋭く大きなカンなのです。』
同じく第1巻の中の邦枝のモノローグより。
『……戦争や犯罪といった悲劇は"想像力"と"想像力の欠如"の両方によって生じるが……
災害は……想像しようと想像しまいと平等に無慈悲に、ある日突然襲ってくるのだ……』
この二人の言葉(おそらく一色さんの考えもあるのだろうが)を、とりわけ大きな災害の報道に触れる時に思い出しておくべきなのではないか。
そして、『備える』ための基本方針として、行政や政治の当事者のみならず、私達一人一人が、次の災害で生き延びるために、備えるために、心の底に留めておくべき言葉ではなかろうか。

『"現実(リアル)""現状(デフォルト)"の書き替え(アップデート)』
【同第8巻 57ページより】

第8巻にある中田一成の台詞から。
『現代という時代に於いてもはや、人間いち個体の情報処理能力、そして個性なんてものは(中略)情報の海に呑まれて消し飛んでもたない』
『だからD計画(われわれ)は--(中略)情報の海そのものを書き替える。
つまり、人々にとっての"現実(リアル)""現状(デフォルト)"を書き替える(アップデートする)』…
私達の生活や日常の光景が、いつまでも不変不易のものだというのは、実際のところ『錯覚』なのではないか、と、2011年3月11日14時46分に思い知らされたと思っている。
昔の人は『万物は流転する』とか『祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり』などという教訓めいたものを後世に生きる私達に伝えてきていたはずである。
それを物理的に、ナマの形で、多大な被害・犠牲を強いるという形で、日本海溝が私達現代社会に生きる人々に叩きつけたのである。
ちなみに、この中田の台詞が出てくる第8巻では、筆者の故郷である熊本市が阿蘇カルデラの巨大噴火で被災し焼失する光景が(主に熊本城や通町筋・上通界隈)描かれている。
かつては阿蘇カルデラ自体が噴火口だったのであり、巨大噴火も地球の数十億年の歴史では今後起こりうることであるが、特に熊本に関わりがある人の中には地味に堪える人がいるかもしれない。
また、南阿蘇村の立野火口瀬の風景も出てくるが、2016年の地震では(漫画の描写とは異なるが)実際にあの地域の下の断層が動き、国道57号と阿蘇大橋が消滅し、南阿蘇鉄道の鉄橋とトンネルも『ズレ』、近くにキャンパスがある東海大の学生なども犠牲になったのである。

2012年の春と初冬には、当時使っていたツイッターの筆者のアカウントから、
『漫画で見た世界が現実になってしまった』
『漫画版『日本沈没』の台詞にある『現状の書き換え(アップデート)』は東日本大震災のことなのか』という趣旨のことを投稿した
本作をあの巨大地震の前に読んでいたこともあるからだが、本当にそうとしか思えなかったのである。
一色さんも当時筆者のこの投稿をご覧になっていたようである。

『想像を絶する事を想像できる人間は滅多にいない』という、緒方総理大臣の台詞が、科学技術や人間そのものの限界を示しているのではなかろうか。
【同第1巻 173ページより】

『防災』というものは、『カンとイマジネーション』が本当は大切なのかもしれない。

『日本沈没』シリーズは、(できれば小松左京版が良いのかもしれないが)特に何かしらの形で防災に関する仕事をしている人に勧めたいし、一人でも多くの人が読んで欲しい、と思う。

1995年以後、行政機関など統治機構のみならず私達個々人が有事に出来ることには限界があることを知った筈である。
今一度、本作以外でも『日本沈没』に触れて、私達は有事に『カンとイマジネーション』を働かせる訓練をしておくべきなのではないか。

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