聖者について
2015年の初夏、フィリピンで筆者は当地の若い世代の人たちに英語
今思えば、(皇室内での『帝王学的』教育というものもあるのかも
以前から、筆者は日本の天皇や皇室というものは私たちにとって『
司馬遼太郎が『人間の集団について』で触れている『聖者願望』と
『「アジアには聖者願望というのがある」…苦力の生活は、人間以
言われてみると、皇室に限らず、孫文然り、蒋介石然り、毛沢東然
ところで、『聖者』が国の最高権力者である場合、どこかで『聖者
そして、それが国家にとって、国民にとって害になるのではないか
当邦の人々は、国の『おえらいさん』『おかみ』が間違えるはずは
また、基本的人権は国民の義務を果たした『御恩』であるという感
そして、国の父母たる国の最高権力者が、赤子たる国民に銃を向け
韓国の人々の間には、光州事件で軍が国民にM16の銃口を向け、
【参考: http://onthewayinkyushu.blogsp
また、中国(共産党政権)の人々も、天安門事件で同様の印象を持
そのような血塗られた人類の近代史を思えば、私たち日本人は、国
『…聖人とは、聖人出づ、の聖人で、かならずしも儒教的概念にの
『毛沢東氏は、革命は銃口から生れるとし、現に馬上天下をとった
『…中国人の心理的風土のなかでは、聖人を欲する余燼がのこって
儒教や漢字、その他中国の文化などの影響を受けてきた東アジア圏
『…絶対的な崇拝の対象になる政治家を持つのが人類の幸福である
ただ、ついでながら、生きた人間を同時代人が過度に崇拝するとい
2018年の日本で、ごく一部なのかもしれないが、『常人ばかり
そして、『聖人』を崇拝することを有形無形の圧力で市井の人々が
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