2021年正月、『終戦日記』を読む その2
【その1の続き】
1944年9月に始まる大佛次郎『終戦日記』。
1945年早春までは何処か『終わりなき日常』という趣である。
しかし、1945年3月9日夜(10日未明)を境に『日記』の行間から伝わる『空気』の変化を感じることができる。
その日、東京市(東京23区)の東部(主に現在の墨田区や台東区などのエリア)が米空軍の大規模空爆により焼き払われ、10万人が亡くなった。
それまで第二次世界大戦を何処かで『他人事』として処理してきた東京・横浜・鎌倉の人々にとって『戦争』が『我が事』となった。
そして日本は『破局』へ暴走し、崩壊していくことになる。
3:終わりの始まり、破局、混沌(1945/03/09-10/10)
(1945/03/09)
『(※東京空爆への反応)…まだ好い気でいる人間が一部に存在する。その為に大部分が苦しんでいるわけである。勝てる筈の戦に破れた原因は決して国民ではない。』
大佛を含めて当時の日本人の大部分は15年戦争(満洲『事変』など含む)そのものを『勝てる筈の戦』『大義名分のある聖戦』と思っていたのかもしれない。
それを差し引いておく必要があるだろう。
とまれ、後世からみれば東京市が大規模空爆により焼かれ薙ぎ払われたこの日が『終わりの始まり』となった日であろう。
(1945/03/14)
『(ある代議士との話より)罹災地に捨子を見るようになりしと。悲惨目を蔽わしむることなり。救済の方法など政府は全然持たず、乾パン少量と握飯を時を遅れて給せしのみ。罹災証明書なければ配給もせず、それの交付を受くる為行方不明の区役所を探す。…震災(註:1923関東地震)の二の舞をやらぬようにといいつつ、震災時以上に準備なきは如何なることにや。このセンスが敵性円盤(ジャズ等のレコード)の回収をしたり…愛国的な仕事をしていると盲信させるなり。軍人は行くところまで行くより他に方法にも事情にも無知にてこれをよしとし、政治家は怯懦(きょうだ)にてただ太鼓を打つ。敗戦と明瞭なることを国民は盲にされ、ただ苦痛の転嫁を負う。…』
この頃は3/9夜の東京空爆による犠牲者など被害者の様子や、生存者が次々と新潟や仙台などへ避難していくことも日記で触れられている。
行政システムも崩壊状態であることも窺える。
大規模な災害(この場合は『戦災』であるが)に行政システムが機能不全に陥るのは2020年に至ってなお見られることがある。
(1945/03/25)
『(大佛の知人)戦争はつくづくいやだとほんとうにいやそうに云い皆を笑わせる。いやでもやむわけはないのである。兄弟に手のつけられぬ不良がいるようなものであろう。』
東京市内では普通の住宅の前で家具類の投げ売りが行われていたという。
(1945/03/27)
『…疎開者が東京の悲観的空気を地方に撒きおる也。政府は無方針にてただ罹災者を地方へ送る、地元は何とかして他府県へ送り込もうとし、駅毎で揉める。』
罹災証明書の転売を目論む者もいたと述べられている。
被災者が携帯できる荷物の量の制限が緩和されていたようで(今の航空会社の搭乗時の手荷物制限に似ている)、誰もが己の身が可愛く、少しでも有利に事を進めようとしたのだろう。
ニーズが高い物の転売は、2020年代の今はメルカリなどのフリーマーケットサービスでもよくあることだが、巨大災害の際にはこのようなことは起こりうると見ておくべきである。
行間から伝わる1945年3月の大規模空爆後の東京市の『空気』は、2011年3月11日14時46分(Mw9.0の東北地方太平洋沖地震本震)以後筆者を含めて関東地方に当時いた人々が体験した雰囲気によく似ている。
パニックになり右往左往する様は、福島第一原発事故時の放射性物質の拡散に右往左往した人々の姿を思い起こす。
【1945年4月頃の世情について】
・今のJR横須賀線や東海道線(湘南新宿ライン、上野東京ライン)、京急線も空爆で設備が破壊されたことを受け、横浜から先で、車両交換(牽引していた電気機関車や蒸気機関車の交換)を強いられたことなどで鉄道のダイヤも崩壊していた。
・現在の東京都中野区にあった遊廓と思われる『夜のビジネス』の店に、『闇商売』で儲けた人々が客として集まり、東京空爆で焼け出された女性たちが次々と働きに出ていたという記述もある。
このくだりで、先に岡村隆史が深夜ラジオ番組内で『COVID19で失業した女性たちが『夜の世界』に流れている』という話をして抗議を受けたという話題を思い出した。
当時も今も弱い立場の人が暗黒世界に追い込まれていくのであろう。
(1945/05/22)
日本が侵略・占領した国や地域から逃げ出す人々の話。
『上海には数億ドルの資産を作った日本人が多いがこれが日々にさがるので物に換えようとあせっている。金を日本に持って帰れないのだからつらいのである。笹川良一は十数億ドル作ったがこれは物を買込んで飛行機に積めるだけ積んで内地へ送った。幹分の児玉(誉士夫)というのがギャングもどきに猛者を集め、ピストルを閃かしてプラチナ・ダイヤモンドを買い集め内地の軍需にあてその間にその間に儲けた金である。…』
笹川良一・児玉誉士夫という、1970-80年代の日本政治のマニアには聞き覚えのある名前が出てくるが、彼等を含めて第二次大戦で作った富を掴んで離さぬよう我先に逃げようとする様は、日本の帝国主義体制崩壊前夜の象徴に見える。
金持ちや有力者が真っ先に己を守り、一般の人々が犠牲を被るのは古今東西本質的に変わらないようだ。
(1945/06/04)
沖縄戦:帝国陸軍は首里(那覇市)を放棄し摩文仁(糸満市)へ撤退している。
『「急迫」と報道せられると玉砕(註:『全滅』の言い換え)と続くものと見なければならぬ。一つ覚えのように繰返して止るところを知らぬのだから軍人に神経はないのである。…一番戦争を知らぬのが戦争の専門家なのである。』
この頃には5月末の横浜空爆などに際し米軍から日本語のビラが撒かれていたという記述がある。
また、労働者には厭戦気分が広がりつつあったとも述べている。
『急迫』というニュースの表現を『玉砕』だと看破した大佛の視点は、COVID19パンデミックに見舞われている今の日本国内でも充分通用する。
(1945/06/10)
当時の帝国議会について、『大政翼賛会』の存在などにより審議が『出来レース』化していた状況を批判している。
『(帝国議会の審議)…本土作戦という言葉がいよいよ幅をきかして前面にのり出してきた。首相も陸相も耻(はじ)なくそれを公言する時期が来たのである。国民の運命を俎(まないた)の上に乗せる重大な諸法案が出ているがこれを廻って議員は憲法論をしている。しかし通過させることは最初から予期しているわけだ。軍部は軍政の名目を妙に避けて実質は軍政を施こうとしている。責任を取るのをのがれているのではないかの不安がある。あるいは軍政を施く実力が既になくなっているのかも知れぬ。…』
『六月を終わろうとして』(1945/06/23:沖縄戦で帝国陸軍降伏)というコラムのような長い日記が書かれている。
『中央だけが本土作戦でいきり立ち、また現実の圧迫が刻々と加わりつつある。』
『人の感覚なり頭の方がより終点に近づいたという感じなのである。』
『(汪兆銘政権を介した終戦工作に関して)これも焼け石に水の感ある。成功したとしても期待は持てないのである。寧ろ敵による徹底的破壊に希望がかかっている。日本はその場合だけ蘇生し回復するだろう。』
ナチ政権の壊滅(4月のベルリン陥落)についても報道管制により報道されていなかったことについての記述。
『極端に云えば刻々死に直目している現状を人が意外に苦にせぬものだ。なるようになれと思っているせいもあるが感覚で漸次調整され慣らされて来るのである。…』
この日、沖縄本島では帝国陸海軍が降伏し、いよいよ第二次世界大戦の末期のもうどうにでもなれ、というヤケクソというか開き直り的な厭戦気分が蔓延していたのだろう。
人々は明治維新の薩長土肥の藩閥から始まった『大日本帝国』の壊滅を受け入れようとし始めていたようにみえる。
大佛の中には『破局』によってのみ日本が再生できないのではないかという失望があったようだ。
(1945/07/19)
国内に流通する物資や食料品もいよいよ不足し、米軍機は連日日本列島上空に飛来し、太平洋側では艦砲射撃も行われる状況だった。
大佛のところでは在外邦人の救出・帰国も難航・断念したという話があるも、茹でガエル状態に置かれてしまった一般の人々。
『そういうもの』だと思って破局目前でも『日常』が続くものとして人々は『正常性バイアス』の罠に嵌ってしまったのだろうか。
『(7/17の水戸市・日立市への艦砲射撃を受けて)…軍艦はなくなっている事実を国民に明瞭に感じさせた。是非もなきことと国民が認めるであろうことは知れ切った話である。ただいつも何も事実を知らずに来て最後の時が来て突き放されるのである。いよいよその次に何が来るのか。誰れも知らない。しかしそう悲観もしていないのは、どうしたことか。ただの諦従の習慣と見たらこれは危険である。羊の如くそれには違いないが、羊飼よりも羊の方が賢こいようである。指導者がこの隠れた危機を感じているだろうか、危いことである。本土の制空権我にありと云われるより頭の上を日夜往復する現実の方が率直で納得力があるのは云うまでもない。』
・7月下旬にはJR東海道線に攻撃があり、『空襲が交通破壊の段階に入った』と述べている。
ちなみに九州では、
西鉄天神大牟田線:筑紫駅付近(1945年8月)
JR肥薩線:大隅横川駅付近(1945年7月)
などでも攻撃があったという。
(1945/08/04)
空爆による家財などの損害に対する保険金が下りて、『国民酒場』で大枚を叩く「保険成金となった人々の様子が出ている。本来なら1回だけ飲めないところを他人に金を払って並んでもらって何回も飲むという具合。
徳川時代末期の「ええじゃないか」のように見えなくもない。
『人間って勝手なものだという印象が深い。…しかし結局他人の苦しみを進んで分とうと云う心持は人間に薄いものらしいのである。インテリがかった階級が一番それだ。またこの階級が最もくらしにくい位置にいるのだろう。』
この頃、陸軍の准尉の密輸や不倫行為についても触れている。
軍の腐敗についての嘆きだろうか。
(1945/08/05)
『…全部のことが戦争によって崩れた。個人の生活は無論のことだ。家自体が分解しつつある。この事実は日本の文化に大きな変動を呼ぶであろう。…』
『(連日の米軍機の侵入について)こういう日々というのは我々でさえはっきり呑込めぬのだから、後世の平和の時代の人々には想像もつくまい。死の天使は急遽襲い来たり、短時間でまた風が落ちた後のように静かな日常に戻る。人間は兎に角生き続けていくのである。無惨にぷつと切られるまで。』
この『(戦時下の生活について)我々でさえはっきり呑込めぬのだから、後世の平和の時代の人々には想像もつくまい。』という記述。
今思えば本当にそうだったんだと言わざるを得ない。
子供や孫に『なんで戦争を止められなかったの』と問われ答えに窮する親・祖父母の話が時々出てくるが、当時の『空気』はとても説明するのが難しいだろうし、想像しようがないものだと思う。
2020年代のCOVID19パンデミックを経験して、漸く当時の世情について想像をめぐらし、2020年代にフィードバックしようとする人が出てきたのがせめてもの救いだろう。
(1945/08/07)
前日(8月6日)、人類史上初の核攻撃が広島市に対して行われたことを知人より知り、大佛は『2回目』のみならず、戦後の米ソ冷戦・核開発競争を予期するような内容を書き残している。
『米国側では一九四一年からの研究(マンハッタン計画)が結実したと発表している。何としても大きな事件で閣議か重臣会議がこの為に急に催されたが結論を見なかったそうである。次の効果を見てからのことに成るのだろうが、ロッキー山研究所(現在のロスアラモス国立研究所)のウラニュウムが物に成ったのだとしたらこれは由々しいことで、戦争が世界からなくなるかも知れぬような劃期的の事件である。
また自分の命など全く保証し難い…』
『空想的な科学小説が現実のものとなり木っ端の如くこの命を破るわけであった。』
『…革命的に有力なものだということだけは疑えぬ。自分がやられるとは思えぬがやれやれと云う感あり。』
『(隣家の親子喧嘩に反応して家の外に出た時)頭上の空の夏の星座のさんらんたるを見る。銀河が水煙の如く丁度真上にあるのである。最近静かに見たこともない美しさである。ウラニュウムもこの空までは崩せぬ。こう思うのはいつ死ぬかも知れぬと暗に考え初めた人間の負惜しみであろうか。自分たちの失敗を棚に上げ、本土作戦を呼号し、国民を奴隷にして穴ばかり掘っている軍人たちはこれにどう答えるか見ものである。部外の者を敵視蔑視して来たことの結果がこうも鮮やかに現れて、しかも無感動でいるのが軍人なのである。
話が真実ならば国民は罪なく彼らとともに心中するのである。…』
大佛が『ウラニュウムもこの空までは崩せぬ』とまで言い切った銀河の『最近静かに見たこともない美しさ』は、当時電力などのインフラが壊滅していた状況だから見ることができた光景だろう。
2020年代の今それを観るのは、北海道の原野地帯や八甲田山や尾瀬や北アルプスや阿蘇山上など人里離れたところで、しかも天候に恵まれなければ厳しいかもしれない。
もし、筆者が満天の星を観たら、今後大佛の言葉を思い出すことになりそうだ。
(1945/08/11)
知人の話よりポツダム宣言受諾を知る。
『嘘に嘘を重ねて国民を瞞着し来った後に遂に投げ出したというより他はない。…卑劣でしかも傲慢だった闇の行為が、これをもたらしたのである。』
(1945/08/12)
この日大佛は、後に『日本のいちばん長い日(半藤一利)』で取り上げられる、陸軍内部のクーデター未遂事件『宮城事件』を予期するようなことを書いている。
『軍隊の暴動が起らぬかという不安、武装解除など如何なる形で行わるるにや、開闢以来のことだし他に及ぼす迷惑を考えぬ血気の徒が多いことで何が突発するや予測し難いのである。食料の欠乏、必然のインフレエションのことなど前途は困難のみである。ただそれにしても今日までの希望のまったくない月日とはやや異ったものが生れつつある。』
(1945/08/15)
日本の敗戦の日(終戦記念日、韓国・北韓の光復節、米国のVJデーでもある)。
『大部分の者が専門の軍人を含めて戦争の大局を知らず、自分に与えられし任務のみに目がくらみいるように指導せられ来たりしことにて、まだ勝てると信じおるならば一層事は困難なるらし。』
8/16以降、敗戦により、『大本営発表』により歪められ、軍の検閲により隠されてきた人類初の核攻撃の実相が明らかにされたことを大佛が『日記』に書いている。
被害を軍が隠したのは、軍という組織の『元来の性格』の為せる業/悪癖だったと見ているようだ。
(1945/08/16)
種々のデマが飛び交い、混沌状態が始まった日本国内。
『原子爆弾の効力を朝刊がくわしく書き立てている。…参謀は国民を詐(あざむ)いたのである。』
『驚いてよいことは軍人が一番作戦の失敗について責任を感ぜず、不臣の罪を知らざるが如く見えることである。軍隊の組織と云うのが責任の帰するところを曖昧にしているその本質に依るものであろう。戦争に敗けたのは自分たちのせいだということは誰れも考えない。悲憤慷慨して自分はまだ闘う気でいるだけのことである。…不臣の罪を自覚し死を以て謝罪すべきものは数知れぬわけだがその連中はただ沈黙している。…人間中最も卑怯なのが彼らなのである。』
(1945/08/20)
『敵占領軍の残虐性については軍人から出ている話が多い。自分らが支那(原文ママ)でやって来たことを思い周章しているわけである。日本がこれで亡びないのが不思議である。』
(1945/08/22)
『長崎の惨状が毎日新聞に写真が出た。大本営の発表は損害は軽微なりとありしが、実は一物も存せざるような姿である。敵側は地形のせいか完全に効果があったと発表していたのだ。どうしてこういう大嘘を平気でついたものだろうか。これが皇軍なのだから国民はくやしいのである。部下が妄動しているのも取締れぬ筈だ。彼らも上層部から無智にせられ欺瞞されてきたのである。あるいは純朴に自分たちがまだ勝てると盲信している若輩もおるのであろう。…』
(1945/08/27)
鎌倉市の由比ヶ浜で、この日大佛は米海軍の艦隊を目撃している。
1853年のペリーの来航を彷彿とさせる描写である。
そして、『進駐軍』をはじめとするて第二次大戦後の米国や欧州からの文化流入(映画やポップカルチャー、ファッションや食生活などの生活習慣の変化)を予期しているようだ。
『心外だが堂々としたもので持っているなあと感心させられる。船だけでなく飛行機その他でも日本人は間もなく圧倒せられるに違いない。その場合に何を守るべきかが国民文化の問題であろう。』
(1945/10/08)
『世相は戦時中と同じく軽薄で過激な形相を呈している。亜米利加の強引な民主化政策はわかるが一せいに尻尾を振っている日本人が安易過ぎ危っかしいのである。亜米利加がこれで安心するとしたら馬鹿である。』
2020年代に至ってなお軽佻浮薄に流れがちな私達の愚かさを見抜かれているようである。
4:随筆
1945年9月の東京新聞への寄稿『日本の門出』で、大佛は、大日本帝国の国是だった『皇国史観』の影響を残しつつ、第二次大戦後より2020年代の今に至るまで続く外国からの文化的影響の波や、上っ面しか見ずに形から入って終わりがちな諸々の社会現象の推移を予期している。
『日本の門出』上(1945/09/09・東京新聞)
『現在国の再建に当って、すくなくとも明治の鹿鳴館時代以上の外国文化の洪水を予期しつつ立ち向かわねばならぬ。…清潔の民、誠実なる人間として復活することである。
その他のものは膿を流して自滅させるのだ。』
『日本の門出』中(1945/09/10・東京新聞)
『(明治維新以降の日本国内における西洋文化や社会運動のブームについて)凡そ、文化とは云い難い。文化の表面を渡って行く風波であった。根のないさまざまの現象が、ただ騒々しく現れるだけだった。』
『率直に云おう。文化的な素質の上に於て我々は敗れたのだ。兵器の不足よりも原子爆弾よりも前に、此問題があったのである。』
『自惚れを残したり慰めたりしてはならぬことである。』
『日本の門出』下(1945/09/11・東京新聞)
『考えて見よう。どれだけ沢山の勉強すべきこと努力すべきことがわれわれの前に積っていることか?美術の狭い世界のことだけではなく文化のあらゆる分野、あるいは世界の目にも全く新しい未踏の領域に於いても、それも、我が民族でなけれは出来ないとまで自負して掛かってよい仕事なのだ。』
『ただ、我々は働くのだ。勉強するのだ。誠実一途に、新しい世界の建設に突進するのだ。比類のない国体に倚りかかって安心して怠けて来た愚かさを、ここでかなぐり捨てる。…』
『忘れていた本』(文藝春秋・1945/10月号)
第二次世界大戦最末期に、所蔵していた資料や書籍類を、知人たちの協力を受けて中国地方の知人の家などへ避難させていた頃のことを述べている。
『棚をひっくり返したので自分も忘れていたような本が次から次と出てきた。…その一冊にメエテルリンクの「青い鳥」の…舞台衣装の図録が出てきた。』
『我が国の青い鳥の最終上演は、何年前のことだったろうか?こう思い、突如として私は…焼野の眺めと、…若い少年少女の工員たちの姿を、頭の中に列ねていた。今、あの連中にこの「青い鳥」を舞台で見せられたら!…』
『戦時で必要だけに追われているのには違いなかった。しかし、子供たちは、彼らの「木こりの家」を追われ、「思い出の国」を失くし、「未来の国」も「夜の宮」も「森」も見えなくなって了っているのだ。光だの空気だの、牛乳だの、いつも子供たちの夢に囁きかけて来た者が、悉く剥ぎ取られて、その代りに紋切型の必勝の信念の演説と激励とを受け取っているのだ。…子供たちの周りに在るものが殺風景で取りつきにくいものばかりでなく、純粋で美しいものも残っているのだと一語強く告げてやることが出来たら!』
5:結び
『問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。』
-リヒャルト・フォン・ヴァィツゼッカー(元ドイツ連邦大統領・1985/05/08演説より
2020年代は、洋の東西を問わず多くの評論家や知識人が『アフターコロナ』『アフターパンデミック』を論じている。
筆者のような無名の者が思いつくだろうことも述べているだろう。
ただ言えるのは、ヴァィツゼッカーの演説にあるように、『過去に目を閉ざす』ことで『アフター』を語る/考えることはできないということだろう。
長々と『終戦日記』について個人的に考えてきたが、これを読んで、今起きていること/これから起こるだろうことを思考実験的にシミュレーションしてみるのも悪くないだろう。
そして、明治維新、いや、それ以前の武家社会のDNAを引き継ぐ本邦の政治・行政・経済システムについての『対策』を考えることが2020年代には必須になってくる、と思っているのである。
『鬼滅の刃』も良いだろうし『エヴァンゲリオン』も良いだろう。
『アフターコロナ』の評論を読むのもいいだろう。
だが、皆さまには、『終戦日記』などで敢えて第二次大戦中の人々の暮らしの記録に触れることをお勧めしたい。
『歴史』を知らねば私達は失敗を繰り返すだろうし、私達は民主政における個々の確立した有権者として自我を持てぬまま人生を終えてしまうだろう。
コメント
コメントを投稿