2021年正月、『終戦日記』を読む その1

1:きっかけ

ネットサーフィン中のある日、日本好きのバイリンガルのNZ人ユーザーと他のユーザーの会話の中で大佛次郎がプッシュされていたのをみた。その時特に印象に残ったのが『敗戦日記』だった。

この『敗戦日記』は、今は随筆の追加収録などで改訂され『終戦日記』と改められて文藝春秋より出版されている。

が、在庫が入手しにくかったため、アマゾン経由で中古書店より購入した。


(補)『敗戦日記』については高見順氏の著書にもあるので、別の機会に読みたい。


今回のCOVID19に対する日本政府(中央・地方政府)のやり方を第二次世界大戦時の旧大日本帝国のやり方になぞらえる言説がネットの言論空間で飛び交っている。

本当にそんな風にみえるのか、と思い、2020年後半から

『ノモンハンの夏』(半藤一利)

『インパール』(高木俊朗)

などの日本の戦争史に関する本に興味を持ち、これらを読んだ後、積読にしていた『終戦日記』を2020年の暮れから読むことにした。


実際に読み比べると、

・『ノモンハンの夏』は傑作だがタイムライン形式で構成されていて、東京・ノモンハン・モスクワと適宜切り替えて頭を整理する必要がある

・『インパール』もまた傑作だが、特にミャンマー(当時のビルマ)とインドの国境地帯に関する地理知識をGoogleマップなどて補う必要がある

という難点があるように思えた。


『終戦日記』は、鎌倉市や横浜市、東京23区(当時の東京市)の日常をベースに書かれており、2020年代の現在と比べて読むことが容易である、と思ったのである。

しかしながら、現在はAmazonなどを使わない限り入手しにくい状態にある。

それゆえ、筆者は本作を皆さまにお薦めしたい。


大佛の『日記』は1944910日から始まっている。

主に第二次世界大戦の戦局のことや、食事・物価などの日常生活にまつわること、大佛のところに出入りしていた知人達のことを書き連ねている。


大佛が『日記』をつけ始めた1944年頃は、日本軍が牟田口廉也などの参謀が立案したインパール作戦により、多くの人々を犠牲にし惨めな敗北を喫したことなど、敗戦の兆候が現れ始めていた。

戦局については、報道管制により『大本営発表』と揶揄されるほど実際とかけ離れたニュース(今風に言えば『軍製フェイクニュース』)が日々流されていた。


米軍機の散発的攻撃や、市中の製品の品質低下、交通網の運行の滞りなども触れられているが、それでも行間に長閑さを感じる。

一方では物資統制が行われ、世情も荒れ始め、少しずつ『終わりなき日常』の『終わりの始まり』の予兆が出始めていた。(今思えば、の話だが)

そんな中でも、大佛は小説執筆の仕事を続けトルストイの小説なども読み進めている。


いくつか大佛の所感をピックアップしておく。

彼のコメントは、2020年代の現在に置き換えてみると中々味がある。


2:終わりなき日常の中の『戦争』(1944/09/10-1945/03/08


1944/10/28

『未来に希望を持たせる文学と云うのはこの日本にはなかなか生まれ得ないのである。何が人々の力となり光明となるのだろうか。横行する戦争ものが士気を鼓舞する力さえ持ち得ぬか、稀れにあっても百に一つである。この奇怪さに世の所謂指導者が気がつかぬ。』


1944/11/03


今でいう『エリート・パニック』に近い現象について述べている。

『中心部が先に狼狽して善意のデマをふりまくものらし。醜態也。頼るものはおのれが良識のみと云うのが如何(どん)な場合にも適用と見ん。』


1944/11/18

『「主婦の友」の最新号を見ると表紙のみか各頁毎に「アメリカ人を生かしておくな」と「米兵をぶち殺せ」と大きな活字で入れてある。情報局出版課の指令があったのを編輯者がこう云う形で御用をつとめたのである。つまり事に当たった人間が粗末なのである。我が国第一の売行のいい女の雑誌がこれで羞(はずか)しくないのだろうか。珍重して後代に保存すべき一冊であろう。


1944/12/01

『倫敦(ロンドン)でチャーチルが独逸(ドイツ)をやっつけるのは来年(1945年)六月まで掛ると云っている。どうも日本にこれだけの人物はいない。空(から)気焔と指導者面の空虚な言辞のみである。文学までを軍人が指導出来ると信じきっているのである。その為に失敗が立続けに起っても彼らは一向平気でいられるのである。一つの研究についても外国の研究がどこまで行っているか全然闇なので真面目な科学者は不安を感じているらしい。将来の日本が問題なのである。軍人役人でこれを憂うる人を欠いているのである。


1945/02/12


東京市への大規模空爆の1ヶ月前の記述だが、大佛は『破局』の予兆を感じ取っていた。

『(フィリピン・ルソン島に展開していた日本軍の兵站の欠乏などの窮状や、新聞社内の路線対立問題について触れた後)

政府の宣伝はこういう事態を全部国民の目から隠し、いよいよほんとうのことをいえない羽目に陥入りつつある。誰れがどうしようと考えてもどうにも出来ぬカタストロフの影がある。自然発生的なパニックが運命的な道とも云えよう。救済する有力な組織も力もないのではないか。


『その2』では、破局へ突き進む日本を観察した大佛の日記を紹介していく。


【その2へ続く】

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