ラグビーワールドカップ2019観戦記@博多駅


0:
今回(2019)のラグビーワールドカップ大会は、日本での開催が決まった2009年当時の筆者にとって、2019年は遠い未来のような感覚であった。
また、今回の大会の誘致の過程で『文教族議員』の存在が囁かれていたのもあり、本大会が始まるまで関心が薄かったし、一種の生臭さを感じて敬遠していた。
(選手や関係者、そしてファンの皆様には申し訳ないことだが)
その2019年が光陰矢の如しという諺通りに終わりを迎えている、という中年期の人間の性(さが)にとらわれている秋、ラグビーワールドカップ大会が開催された。
今回、『貧乏暇なし』を地で行く生活を過ごす筆者は、JR博多駅(博多シティ)前のパブリックビューイング会場で『一生に一度』のワールドカップ大会を観戦することとした。

1:
今大会の光景の一部を見た限りだが、国際大会は出場国の代表チーム応援やその他の試合の観戦、そしてオプション的に観光を愉しむ人々が訪問する。
為替相場の事情もあって『インバウンド』の取り込みに熱心な本邦政府にとっては大きな外貨獲得のチャンスである。
大会期間中は、試合会場のみならず、パブリックビューイング(街頭テレビ放送)会場にも観戦客が多数訪れる。
オリンピック大会やサッカーのW杯でもあることだが、風変わりな衣装や被り物を身につけている人々もいる。
彼等にとって、国際大会は『晴れの場』という感覚があるのだろう。

一昔前の国際大会(特にサッカーのW杯予選など)は日本代表・フル代表のホームゲームで対戦国に『負けろ』コールをやらかしていたのを観た記憶があり幻滅したが、近年は対戦国に敬意を払い、選手たちのパフォーマンスを称えるように努めているようである。

2:
ラグビーそのものに対しては、関東地方の大学対抗試合や全国高校選手権、企業チームのリーグ戦の存在を知っている程度であり、関心が薄かった筆者である。
しかしながら、いざ本大会が始まると国際大会の選手たちのパフォーマンスやプレーに感心し、渾然一体とした会場の雰囲気に、これぞ国際大会、人々を惹きつけるスポーツ(とりわけ世界大会の見応え・魅力・技能などのレベルの高さ)そのものの普遍性を感じることとなった。
しかしながら、初日の東京スタジアムでの飲食物の品切れや、台風19号『ハギビス』の日本列島直撃当日の試合の一律中止の問題など、運営の問題が生じたことは批判されてもいい。
よりよい国際大会、より多くの人々がスポーツそのものを愉しめる環境作りのためにも、大会運営の問題点は適宜批判し、改善していくことが大切だと思う。

4:
パブリックビューイング会場の光景をみていくうちに気になったことがある。
会場の観客の多くは今大会の出場国の代表チームのファンの方が多いと思うが、来日してくださっている方々が、『来日外国人』として私たち日本人が無意識に思い浮かべる一種のステレオタイプ(お決まりのイメージ)に近いイメージの人々(欧米系)に重なってみえてきたのである。
これはラグビーの強豪国の多く欧州・アングロアメリカ圏であることの裏返しであるので致し方ないことかもしれないが、それでいいのかという感覚は持っておきたいところである。
『訪日外国人』のイメージの固定化が加速しないことだけを祈るしかないのか。

下記の記事を参考にご覧いただきたいが、彼等『訪日外国人』に対して、私達が近年日本国内の『日本スゴイ』系のテレビ番組にありがちな『テレビの中の欧米から来た訪日外国人』、あけすけに言えば『ホストにとって都合の良い外国人』であることを無意識のうちに求めていないだろうか。


5:
10/13の日本代表-スコットランド代表の試合のパブリックビューイングを、近年蔓延している、『日本スゴイ』の熱狂の真っ只中でどこまで冷静さを保てるのかを試してみるために観戦することにした。
当日の博多駅は、主に日本代表戦目当ての観客が前の試合の開始前から徐々に集まり始め、パブリックビューイング会場は16時半頃から入場制限が行われた
会場ではフィッシュアンドチップやハイネケンのビールが販売されていた。
試合開始後から、選手たちのプレーに一喜一憂する(来日外国人を含む)観客たち。
筆者は『ニッポン』コールを敢えて控え、プレーを観ることに集中し、外国人観光客と簡単でもいいのでコミュニケートすることに努めた
意識してそうしなければ、『ニッポンチャチャチャ』の熱狂に呑まれる、と感じたのである。

一個人の妄想であってほしいが、この時の熱狂の坩堝が、容易に『ナショナリズム』とか『エスノセントリズム』とかいう血生臭い概念の発露の一形態として再現されることは想像に難くない。そして、なにかの拍子で偶発的か意図的かは別として、排外主義・全体主義体制の確立につながるリスクをはらんでいる、とも感じたのである。

試合は日本代表が強豪スコットランド代表に勝利し、決勝トーナメントに進出。そして対戦相手の南アフリカ代表に善戦するも敗退した。
いささか残念なのは、2019年のマスメディアが、日本代表の勝ち星に価値観を置きすぎていて、日本代表の敗退で全てが終わったような雰囲気を漂わせているところである。
地上波のテレビ番組をほぼ観なくなって久しい筆者は、今大会の中継もパブリックビューイングやラジオ以外で視聴することはなかった。
『感動をありがとう()』といういささか陳腐で手垢に塗れた安直な『感謝』で、ラグビーに限らず世界情勢と日本の現状を比較し改善を目指すことを妨げる雰囲気、特に新規開拓したファン層の知的好奇心を喚起し『目の肥えた』『長く関心を持ってくれる』ファンの育成を怠るような雰囲気にうんざりさせられるだろうと思ったのである。

日本代表敗退後の大手メディアの雰囲気には、皆さんは危機感を持っていただきたい。
ラグビー関係者の環境改善、そして一時的なブームに終わらせないことが、日本のラグビー、いや、スポーツ界そのものの持続可能性を左右するといっても過言ではないはずだ。

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