【映画鑑賞記】 #共犯者たち #スパイネーション自白 と国家の性格というもの



http://www.kyohanspy.com/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%8A%AF%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1

先日、『共犯者たち』『スパイネーション自白』の2作品を鑑賞した。

1:『共犯者たち』について
『共犯者たち』は、保守政権下の韓国で起きた、大手メディアへの抑圧・反発・信用失墜・中の人々の抵抗を描いている。
2000年代、保守政権は硬軟織り交ぜてメディアを骨抜きにし、抑圧し、自らの都合のいい宣伝手段として利用し、世論操作を図ってきた。
無理を通せばいつか破綻するが、2016年のセウォル号事件をきっかけにしてその『無理』が破綻したのである。

本作は保守政権下の韓国が舞台だが、世論操作の手段や方法はインターネットの技術革新やソーシャルメディアの隆盛により、ますます変化・進化していくと思っておいた方がいい。

筆者は韓国語の勉強を兼ねて、青瓦台(韓国大統領府)やKBS(韓国放送公社)の公式ユーチューブ・インスタグラムのアカウントの投稿を時々見るようにしている。
インターネット大国とも言われることがある韓国だが、日本政府よりも『SNS慣れ』している印象を受けている。
それは洗練されていて見るものを惹きつけるが、『共犯者たち』を観るとその印象が変わるのではないか。
余談だが、本作の素材として使われているKBSの夜9時のニュースの映像には、現在(2019年1月)もアンカーを務めるアナウンサーが出ている。
可能であれば、本作と直近のニュース動画を見比べてみるとよい。

2019年の韓国は進歩派(リベラル)であるが、権力の力が強ければ体制が腐敗するリスクはより大きくなると思っておきたいし、進歩派であっても世論操作をやらない・やっていないという確信は持てない。
今後は、より巧みに、より洗練されて、世論操作は行われると思う。それは保守派だろうが進歩派だろうが右派だろうが左派だろうがどこでも起こりうることだと言いたいし、特に左派や進歩派、リベラル派の支持者に言いたいのは、貴方達もいざ権力を持てば世論操作をやりたくなるという誘惑に囚われるおそれがある、ということである。


2:『スパイネーション自白』について

ある脱北者の女性が『北朝鮮(北韓)のスパイ』とされて国家情報院に拘束された『事件』からストーリーが始まる。
あるジャーナリストが調べていくと、『事件』の女性が『スパイ』だったということ自体が嘘だったことが分かった。
情報院が作ったストーリーにより、多くの人びとが『スパイ』とされ、逮捕・拘束されてきた。

何のために国家情報院はあるのか?
何故無実の人びとを『スパイ』にしたのか?

進歩派政権は『改革』に取り組んでいるようだが、そういう『性格』『体質』を元来有する組織である以上、同じ過ちを繰り返すリスクはあると思う。
それは現代史の中で多くの人びとの犠牲を見てきた韓国の人びとがナマの感覚で分かっているのであろう。

国家権力(お上)を己の親のように思い、誤った道を進むこともあると思わず、お上は常に正しいと思いがちな私達日本人には容易に理解・想像できない感覚なのではないか。

3:国家の性格について

『政権というのはそれが成立した当時の原形の性格から離れることが困難なように思える。』と司馬遼太郎が生前の南ベトナム共和国をテーマとした『人間の集団について』で述べている。
韓国の政権は、日本統治時代→第二次大戦の戦後処理→米ソ冷戦…という過程で『北緯38度線』の南側に生まれたが、『冷戦』の最前線であったこともあり、軍事色の強い政権(李承晩→朴正煕→全斗煥)が長く続いた。
それを考えると、国家情報院のみならず、『共犯者たち』にも見られた、強権的な『性格』というものが韓国の政権に付き纏うのであろうか、ということを考えたのである。
『第6共和国』とも呼ばれる現在(2019年)の体制であるが、かつて人びとを怯えさせた青瓦台や今なお人びとの北朝鮮(北韓)に関する意識に影響を与えているであろう国家情報院の性格に『業(カルマ)』のようなものがある、と考えてみる必要があるのかもしれない。
もっとも、それは私達日本人が簡単にドヤ顔で語ることができるのはとても失礼でおこがましいことなのだろうが。

『太政官という徹底的な官尊民卑政権』の『性格』を受け継ぐ日本の政権と『強権的』な性格を引き継ぐ韓国の政権、そしてそれに向かい合う人びとの彼我の差に思いを巡らすのもたまにはいいかもしれない。

コメント

このブログの人気の投稿

#福岡市長選 観察記 その2

春の九州路をゆく 長崎・日田・柳川

水俣の青い空の真下で:暴力について