【映画鑑賞記】或る女の英雄記 #アリースター誕生 #AStarisborn



公式サイト
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wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC/_%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E8%AA%95%E7%94%9F

以前から演出や衣装・化粧などの外見で『傾奇者』のイメージを強く持っていた、そして多くの人びとも『傾奇者』的イメージで見ていたであろう、レディー・ガガの主演作『スター誕生』を観た。

本作は、歌唱力が極めて優れているが無名であり自らの鼻に劣等感を抱いている女性・アリーの成功記、そして名声を得た後の夫婦間の苦闘を描いた人間ドラマである。
恋愛映画として捉えることもできるが、それだけでは本作を充分愉しめないのではないが、宣伝が下手だとこの名作を見逃すかもしれない、と思った。
余談だが、本作は年齢層による視聴制限がある。
主人公アリー(ガガ)の生活環境などの設定を踏まえたものだと思うが、いわゆる『Fワード』が会話の中でよく出てくること、男女の情交がストーリー展開上出てくることがあるためであろう。

本作を観た人びとは、ガガの『傾奇者』のイメージをぶち壊し、イメージを再構成できるはずであり、元々は映画界の人であるブラッドリー・クーパーのギターなどの音楽のセンスに脱帽するはずである。
当邦、とりわけ斜に構えがちなネットユーザーは、恋愛映画や恋愛ドラマを例えば『スイーツ()』などと揶揄することがあるが、それは宣伝の問題なのではないか、とも思ったのである。
もし何も知らずに予告だけ観てたら、観てなかったかもしれない。
恋愛はストーリーの要素として重要であるが、前半をアリーの英雄譚・成長小説(の映像版)としてみる、そして、後半をアルコール依存の夫・ジャクソン(ブラッドリー・クーパー)の再起への『闘い』とみると、より正しい認識を持つのではないか。

話の流れを切るようで恐縮だが、ふと司馬遼太郎『アメリカ素描』の中で思い出した一説があるので紹介しておく。
『英雄とは、巨大なる自己と、さらにはその自己を気球のように肥大させてゆく人物のことである。名声への自己陶酔と、さらなる名声の獲得にむかって行動する精神のダイナミズムと考えていいだろう。それらを一人格のなかにもっている人物をさす。また最後には支持者をうしなうと、いっそう英雄像が濃厚になる。』
『私たち日本人は、それらを出さない文化に属している。…アメリカは、つねに英雄を待望している社会である。大観衆をあつめるスポーツはそのためのみにあるといいたいほどである。むろんスポーツよりも実生活のなかで本物の英雄が出ることこそのぞましい。』(『アメリカ素描』155ページより)
アリーを『(レストランやナイトクラブなどの)実生活のなかで出た本物の英雄』とみれば、アリー(そしてガガやクーパー)が称賛されるのも理解できるかもしれない。
そして、今回2018年版を含めて4回作られてきた『スタア誕生』シリーズを観てみようという気が起こるかもしれない。


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