2019年正月に思うこと この国の民主制のフェイズ



1:
物事の『相』とか『フェイズ』というものがある。
『物事のありさま。相。様相。』
『変化する過程の一区切り。局面。段階。』(大辞林・コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%BA-616175 より)
という意味である。

最近、複数の社会運動にウェブ署名サイトを利用し署名した。
その一つを紹介しておく。
https://www.change.org/p/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E8%B2%B4%E5%8F%B2-%E6%B3%95%E5%8B%99%E5%A4%A7%E8%87%A3-%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E6%8A%80%E8%83%BD%E5%AE%9F%E7%BF%92%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%82%92%E4%BB%8A%E3%81%99%E3%81%90%E3%81%AB%E5%BB%83%E6%AD%A2%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84
この署名キャンペーンを主宰したグループのメンバーの方の話を拝読し、これはただ黙って見ているだけでいると、将来大きな禍根を残すのではないか、と思い、署名したのである。

2:
民主制における政治参加の形態のひとつとして、『請願』がある。
これまで筆者は、共産党系の団体の御年寄の方々が街頭で署名集めをやっているのを見たり、会社などで署名集めをやっているのをよく見たり聞いたりしていたし、署名したりしてきた。

近年は、ツイッターをやめるまでいわゆる『アルファ』の意見を拝読し共有(ツイッターの『リツイート』機能の多用)をし続けてきたし、政治参加する手段として主に投票することをやっている。
が、それだけではリアルタイムで起きている問題に関与できるかどうか、というと限界があるし、日本語圏のツイッターの空間では、筆者を含む日本人の悪癖として付き纏う『ムラ社会化』や『村八分』のような現象も頻発している。
また、『エコーチェンバー効果』という現象の表れとして、ユーザーの先鋭化・ツイッターのサービスそのものからのライトユーザーの流出も起きているようである。
もはやツイッターの空間に籠っているだけで、そこに籠って仲間内だけで馴れ合い盛り上がっているだけでは、早晩行き詰まり、最悪の場合かつて『新左翼』が起こした連合赤軍事件のような悲劇を繰り返す、と思っていたのである。

そこに、『チェンジ・オルグ』などの署名サイトを利用したキャンペーンというものが今回出てきたのである。
ほんのちょっとではあるが当事者になれるし、なった以上キャンペーンの問題点やキャンペーンそのものが訴えかける諸問題の行く末をウォッチしていこうという感覚を持てるようになるのである。
『アルファ』の追随者として単に『アルファ』を
礼賛するだけ、単なる傍観者として無為に過ごすと、この国が今後大きな誤りを犯す時にその被害を軽減できないのではないか、と思った。

単なる傍観者から、小さなことでも否応無く当事者になることを迫られる、というフェイズに、当邦の民主制は移行しはじめているのではないか。
それに気づきつつあるツイッターのユーザーも出始めているようである。
もはや馴れ合いや『呟き』を垂れ流して時々バズってそれに満足しているだけでは済まされない時期が来ているのかもしれない。

3:
民主制において、議員は有権者の代弁者たる役割を担うこともある
その点で彼等を疑問視した行動があったので紹介しておく。
所謂『 #metoo 』ムーヴメントに纏わることである。
2018年の春、中央官庁における性的問題に関連し、国会議員がプラカードを掲げて国会内で集会を行っていたのである。
https://mainichi.jp/articles/20180420/k00/00e/040/259000c.amp
この時筆者が思ったのは、このパフォーマンスは仲間内でしかウケないであろうこと、そして、『 #metoo 』ムーヴメントに参加した多数の声なき声の主の声を拾い上げ、集約し、諸政策に反映させ、実際に何らかの形で後世に残すべきだったのではないか、ということだった。
プラカードを掲げるところを見せるだけでは、#metoo 問題の当事者が議員諸氏のパフォーマンスに利用され、結局はその後使い捨てにされたと思われただけじゃないか、という気がしてならないし、当事者から議員諸氏が疑いの目で見られても仕方ないのではないか、と思うのである。
#metoo 問題は、パフォーマンスの道具じゃない。筆者を含め一人ひとりが突きつけられた課題であり、ジェンダー問題の取り組みを評価する試金石だったと思う。

一人ひとりが小さいながらも政治マターの案件でも容易に当事者となり得る時代、ソーシャルメディアで政治参加できる時代である。
議員諸氏ができることは何か、今一度思い起こして貰いたい。
外野からの苦言だが、当邦の与野党の人びとが、人びとの生活や苦悩にアンテナを張り巡らせることよりもスタンドプレーや馴れ合いや権力闘争に走りがちなのがそもそもの政治不信の原因だということを悟るべきではないか。
2019年時点の野党第一党の立憲民主党(その前身の旧民主党の出身者もだが)や半分与党化している日本維新の会は往々にしてスタンドプレーをやりがちなので、そこは厳に慎んでいただきたい。
聞いてもらえるとは思っていないが。

当事者の声に耳を澄ますことをやらず、スタンドプレーばかりにかまけていれば、当邦の民主制の滅びの日は近づく。

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