『保守』『左派』として




最近『保守のヒント(著:中島岳志)』という著書を拝読した。
『左派』というか『リベラル』だと思っていた筆者が、不運にも『同志』だと思っていた連中のいざこざを目にして嫌気がさし、衆院選と前後してツイッターから離脱してから、ずっと『リベラル』『保守』『右派』『左派』とかいう類のくくりと自分の関係を考え、このブログでも書き殴ってきた。
そんな中、『保守のヒント』を手に取り、長崎くんち観覧に向かいながら読むことにした。

1:『左派』か『右派』か
筆者の政治的な立ち位置は、おそらく『左派』である。
まず、「人間の理性によって理想社会を作ることが可能であると考える立場」を中島は『左派』と解している。
この点で筆者は中島の定義する『左派』にほぼ同じ立ち位置であると考えている。

中島は、未来は進歩する、人間の理性によって平等社会を形成するすることが可能だと考え、
『平等社会を作るための手段を〈国家〉に委ねるのか否か』という点で、
国家を通じて再分配による平等の実現を目指す立場を『共産主義、国家社会主義』と定義している。
『共産主義、国家社会主義』を、エリートの理性を信頼し、優れた理論を体得した人間が設計したグランドデザインに沿って社会を作っていけば、すばらしい理想社会が出来上がると考える傾向がある、と述べている。
『社会民主主義』については、『国家を使った平等社会の実現でも、民主主義の原則は守らないといけない』とし、『議会政治を通じて資本主義経済のもたらす弊害(貧富の格差)を是正し、国民の生活保障の実現を目指す』
『国家リーダーが工学的に社会を設計・計画すること(ソーシャル・エンジニアリング)を重視する』
『議会制民主主義を尊重した上で、強者からカネを取り、政府の力を使って弱者に分配していく分配の政治』
と述べている。
現代社会において、とりわけ議会制民主制の体制では、利害関係が入り組むものであるという前提で物事を理解する必要があると考えているし、議会というものがその利害関係の調整にあたり、特に『法の支配』の下にある現代社会では避けられない現象だと見ている。

現代社会では、障碍者や性的少数者や各種の社会保障・社会福祉制度の支援がなければ生きていけない人びとの存在を前提としなければ理解も改善も解決もままならないものごとがある。
彼らのような立場の人びとがよりよい暮らしができることが、世の中の多数派にとってもよい暮らしができる社会になるのではないか、という見方を筆者はしている。
日本国憲法の人権編にある『幸福追求権』や『生存権』を追求し、不断の努力でよりよい世の中にしていくことが、世界の進歩につながるのではないか。

2:『右派とは何か』(P17-)
中島は、『右派』について、
『左派が前提とする「理性」を疑う』
『人間の理性はどうしても不完全なものなので、理知的な努力によって平等な理想社会を作ることなんてできない』
『人間はどうしても限界をもった存在で、不完全な動物である。』
『そんな人間が完全な理想社会を作ることができるなんて、思い上がり以外のなにものでもない。そんな過信をもつから、それに従わない人間を抑圧し、弾圧しようとするんだ。思想の根本にある人間観が間違えている。』
と解している。

筆者は、人間が現代の文明社会では人間の理性が『人間の集団』を維持するためには重要な要素だと解するが、それには限界があるものだと考えている。
『ヒトの作りしもの』には限界があるということは、人類はスリーマイル島やチェルノブイリ、そして福島第一原発のことを通じて思い知らされたはずだと思うし、かつて『平家物語』の著者も『祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり』と述べていたのもあるが、筆者は特に東日本大震災で強く感じるようになった。
それ故に、
『人間は限界をもった存在』
『不完全な動物』
『人間が完全な理想社会を作ることができるなんて、思い上がり以外のなにものでもない』
という点において、筆者は『右派』である。


3:保守と右翼の違い
筆者が『右派』であっても、『右翼』とみられるのは心外である。
『保守』か『右派』かと問われれば、筆者は『保守』と答えるであろう。

中島の解釈では
『右翼は、理想社会の実現は可能だと考えている側面がある』
『右翼は基本的に人間の理性による合理主義を信用しない』
とある。ここまでは筆者の考えにも近い。
が、
『右翼の考えでは、日本というのは統治者と国民が神意に従って一体化した世界』
『右翼の人たちは、理性的な計らいを放棄し、神々との一体化を体得する純真な「大和心」を共有することで、理想社会はおのずと成立すると考えた』
『(右翼は)逆に過去に遡行することによって理想的な平等社会に近づくことができると考えた』
『(右翼は)過去の純粋な民族共同体において、理想社会が成立していたと考える』
『そして、その輝かしい時代に戻りさえすれば、すばらしい世界に回帰できると考えている』
『(右翼は)時とともに民族の純粋な形が荒廃し、外からの異物の混入によって汚されてしまったと考える傾向が強くある』
『民族の中に入り込んできた「紛い物」を取り除き、もとのあるべき姿を取り戻すことこそが重要だと考える』
『日本の右翼にとって非常に重要な概念は「一君万民」というもの…超越的な天皇の下、すべての国民は平等だという思想が「一君万民」』
『すべてを天皇の大御心にお任せすれば、世の中の政治はおのずとうまくいくはずで、国民はただ純真な心によってつながり合い、その心を和歌によって表現することで分かち合うことが重要』
という感覚が実際に右翼の思想を持つ人びとのなかにあるとすれば、それは筆者の感覚とは間違いなく合わないだろう。
中島の解釈をベースとすれば、の話だが、右翼の感覚も理想主義的な要素が強く、人間の限界を意識する筆者の立場とは相容れない。
『人間が完全な理想社会を作ることができるなんて、思い上がり以外のなにものでもない』ということを、当の『右翼』の人びとがどれだけ理解しているのか、甚だ疑問に思っている。

だが、この『右翼』の主張が世界各地で表面化している。
それは、『歴史の同時性』というものなのかもしれない。
この右翼の主張が国家間で衝突することが戦争を引き起こすリスクを増大させるのではないか。

余談:『生温く見守る存在』として、兵庫県のある和菓子メーカーのことを時々チェックしている。あれは今のところ一種の『酔狂』として遠くから見守るだけに留めるのがいいのかもしれない。

4:雑感的なもの
筆者の考えを整理すると
『保守』+『左派』
という風に大雑把にまとめることができる。

仕事柄というか、過去の労働争議の経験もあるためか、理想論というものが基本的には苦手だと思っている。
当邦の体制が市井の人びとの搾取の上に成り立っていることを前提とし、それを数百年、いや千年単位で継続していることが果たして健全なものか、ということには極めて極めて疑わしいと思っている。
が、よりよい社会を、人びとの幸福を追求しようという理想がなければ、社会の改善も進化も変革も起こりにくくなるし、社会の持続性も怪しくなると思う。

今後は(当面の間だが)『保守』『左派』として政治の世界や話題を観察していきたい。

余談だが、筆者が嫌いになったのは、『党派主義』や『政治的人間』の悪弊に塗れているにもかかわらず、それを『なかったこと』にしたり、己と少しでも相違点があれば、あからさまに、時には陰湿にその相手を排除したり攻撃したりする輩なのだろう。
しかも、それが『リベラル派』だったり『左派』を自認している輩だと尚更タチが悪いのである。
本来ならば排除されてきた・日本の現実社会で居心地の悪さを感じている人びとの『居場所』であるべき場所にすら、日本の現実社会・日本人そのものの悪癖を持ち込んでいることに気づいていないのではないか。
残念ながら、日本語圏のツイッターはそういう筆者が嫌いな世界になってしまっている。
ゆえに、インスタグラムとブログに引っ越しているのである。

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