食欲の秋:食うこと、食わせること




1:食べてもらうこと




『見知らぬ他人に食事やそのサービスを提供する仕事は、ものすごくおそろしい。他人の口をこじ開けて、自分の手に掴んだ食べ物をねじ込んで、「ありがとう美味しかったです」と感謝されてお金をもらう…そんなことをどうやって仕事にするんだよ、あり得ないよ…と、今でもときどき考えて身震いします。』(2018/08/24)

以前なんとも無しに拝読した、漫画家・一色登希彦氏のこの投稿で、飲食の仕事というものはよくよく考えるととてつもない仕事なのかもしれない、と改めて思わされた。

以前、筆者は北九州のある店で焼きカレーを頂いたことがある。
その時思ったことは、『毎日、料理の質を落とさず安定して客に出すことは実はとても難しいことなんじゃないのか』ということであった。
飲食店は長く事業を続けることが極めて難しい事業であると言われている。
老舗のお店であっても、経営者の生活自体が事業だけでは成り立たなくなりつつあるようである。

参考
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakamuratomohiko/20180827-00094583/

飲食店は生半可なことでは続けることができないのではないか。
筆者は休日に自炊したり、料理教室に通って調理の仕方のネタを仕入れたりしているが、『質』を保てる自身がないのが正直なところである。

2:食わせていくこと(中国の歴史を中心に)
話のスケールは変わるが、飯を食うことそのものが、国家の存亡にも関わるということを忘れている人が多いような気がしてならない
飯と国家の関係について、司馬遼太郎が『長安から北京へ』で触れているので、いささか長くなるが、一部を紹介しておきたい。

まずは、中国の歴史と飯を食わせることの関係について。
『…中国を歩いていて、中国人がこのひろい国土のすみずみにいたるまで生きかえったという大事実だけはゆるぎもないことである。たれもがめしを食っていて、たれもが血色のいい顔をして働いている。中国の人口は(註:1976年時点)、七億余とか八億といわれる。一日経てば二十数億食が消えてゆく。つぎの日はまた二十億食分が必要で、もしその咀嚼音を集めて北京の人民大会堂あたりでマイクでもって聴かされるとしたら、気の弱い政治家などはショックで死んでしまうかもしれない。…(P88)』
『中国の歴史は、四捨五入していえば流民(あるいは農民暴動)の歴史として見ることができる。
この国の農業条件は、気候の面からも水利の面からもじつに多様で、もし干魃がおこれば雑草も生えないという状態が相当な広地域でおこる。その地域が地理的中国の六割ほどにも達すれば天下大乱ということになるであろう。人民は生きるために村をすてて流浪するが、ときにははるかに移動し長征して他の村を襲撃する。流民群はまたたくまにふくれあがり、自分たちを食わせてくれる大将をもとめて動くのだが、このときいわゆる「英雄」というのが出現する。』
『(中国史の英雄の大小について)大小の規準はどれほどの数の流民を食わせることができるかということにかかっている。五万人の流民を食わせる能力の者は五万人だけの勢力を張るが、しかし流民が風を望んで殺到しついに十万人にまでなると、その英雄の能力が破綻する。英雄は夜逃げするか、あるいは百万人を養いうる大英雄のもとに流民ごと行ってその傘下に入れてもらわねばならない。(P89)』
『逆にいえば王朝が衰弱するのは干魃などの天災による流民の大量発生ということによる場合が多く、要するに歴史時代の中国の為政者は、人民が飢えることをもっともおそれねばならず、それをおそれぬ政権はやがてほろびた。この点、日本はモンスーン地帯にあって水が豊富なために流民が十万、百万と彷徨するような現象が成立しにくく、歴史上のどの政権も人民の飢えということを自己の政権の盛衰の問題として戦略的に考えるということはなかった。』

日中の為政者の相違点については、飯を食わせることが切実な課題だったか否か、という視点で司馬が述べている。
『…将軍という為政者は鎌倉、室町、江戸を通じ、大名対策をおこなう存在ではあったが、人民をなんとか幸福にさせたいなどという思想は、本来、絶無にちかいものであった。中国では紀元前から曲りなりにも政治とは人民のためのものであり、人民を離れて政治思想はないという伝統が継続してきたが、日本の歴代の権力にはそういうものがほとんどない、と言いきってしまっても本質を外れることはない。(P90-91)』
『要するに、流民が政治をゆるがすほどの量では出ないという日本の農業事情の相違によるわけで、それがために日本の歴史的権力は人民を怖れるという要素が薄く、逆にいえば人民の側においても政治というものが中国ほどには切実でなかったということがいえる。さらにいえば、そういうようにして歴史的に出来あがっている日本人の政治感覚では、中国の政治における食糧問題というものの困難といった切迫性としてとらえにくいのではないか。中国がわからない、という基本のなかに、そのことも入っているのではないかと思える。(P92)』

『いまの中国は、はるかな紀元前からつづいているこの文明圏にあって、そして紀元前から絶えまなく飢餓がつづいてきた政治の歴史の中にあって、最初に全人民を食わせることができた国家である。この点一つでも驚嘆すべきだし、さらにいえばこの点一つからすべてのことを類推しても、大きく誤るということはない。(P94-95)』
あくまでも司馬の個人的見解であることを前提として解釈しておくのがよいが、『13億の人びとを食わせていく』ということを至上命題である、と考えれば、共産党政権の政策が『ある程度は』理解しやすくなるのではないか。
もっとも、一党独裁や共産主義自体が孕む欠陥が人びとに影響を及ぼすことを忘れてはいけない。

3:飯を食うことと政治について
いわゆる『マズローの自己実現理論』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
という理論にある、『生理の欲求』の一つである、食に関する欲求、つまり生命を維持するための本能的な欲求が、凡ゆる人間の欲求の根本にある。
その上に、『安全』『社会』『承認』『自己実現』の欲求があるという理論であるが、『飽食』と評される当邦の人びとは、いつしか『食べること』や『人々が安心して飯を食えること』が本当に大事なこと、政治の根本にある、ということを忘れているように思える。
タコツボかしつつあるソーシャルメディア、とりわけツイッターの『政治クラスタ』のお歴々は、司馬の『長安から北京へ』の一節を読んで、分派争いや党派主義に基づく小競り合いや排除合戦がどれだけみみっちくてくだらないことなのか、振り返ってもらいたいものだ。
大多数の人びとが党派争いではなく、声なき声がサルベージされ、政治の世界に反映され、人びとに還元され、幸福で穏やかな生活を日々憂いなく続ける、ただそれを望んでいるのではないか。
そして、歴史を振り返れば、政治というものの要素の一つとして、人びとが飢えから逃れるための知恵を絞り出す、という点があったのではないか、と筆者は思うのである。

手前味噌だが、『食い物の恨み』というものも忘れている人も、案外多いのかもしれない、ということを以前ブログに書いていたことを思い出した。

https://onthewayinkyushu.blogspot.com/2017/11/blog-post_22.html


コメント

このブログの人気の投稿

#福岡市長選 観察記 その2

春の九州路をゆく 長崎・日田・柳川

水俣の青い空の真下で:暴力について