家族 is 何 :父の日に観た #万引き家族 #shoplifters


2018年6月17日。
当邦では『父の日』とされている。
筆者は父親とは10年程離れて一人暮らしである。

2018年の『父の日』は、筆者のインスタグラムのタイムラインでは、デイビッド・ベッカムやバラク・オバマやりゅうちぇるなとが『父の日』にまつわる彼らの逸話や所感を述べていた。
また、筆者のフェイスブックのタイムラインでは、既にパートナーや子供がいる趣味仲間や大学からの付き合いの面々がオフショットを投稿していた。

『父の日』当日、筆者は趣味仲間と門司港エリアを巡っていた。
趣味仲間と別れた後、カンヌ映画祭というノミネートされるだけでも大ごとである映画祭で最高賞を獲得した『万引き家族』(監督:是枝裕和)を観ることにした。

公式サイト
http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/

『万引き家族』の主な登場人物たちは、樹木希林扮する老母以外は何かしらの犯罪行為や後ろめたい仕事をやっていたりしている。そして、クライマックスで明らかになるのだが、彼等は(当邦の社会でいう)『本当の家族』ではなかったのである。
それでも、男の子と女の子にとっては、『産みの親』の環境が決して恵まれているとは言えないがゆえに、リリー・フランキーなどの大人達が『育ての親』『かけがえのない家族』だったのだろう、と思った。
万引きや年金詐欺や性風俗店や情交のシーンなど(これらのシーンがある故に映画館では年齢制限が行われていたが)を通じ、『本当の家族』とは何なのか、とこの映画を観てから折に触れて考えてみようと試みることにした
すぐに答えがでるような代物ではない、と思っている。

皆さんはそれぞれ『家族とは』と問われて思い浮かべる『家族』のイメージをお持ちだと思う。
だが、それが正解だとは限らないのではないか、と是枝裕和は言いたかったのかもしれない。(註:パンフレットなどに目を通してみた方が良いが)

中盤に「愛しているから叩くというのは嘘だ」という趣旨の台詞があった。
これは本作のテーマをうかがい知るためのひとつのヒントであろう

どん底の環境であっても曲がりなりにも小さな幸せをつかもうとしていた『家族』は、男の子の負傷・逮捕から大きく変化を始める。
元の家から離れることとなったが、なんらかの形で繋がっていこうとしているように見えた。
『産みの親』よりも濃い繋がりが確立しつつあるように見えたところで映画は終幕を迎えた。

イデオロギーや愛国心というもので本作について語ることはできないし、それは大きな誤りである。
万国共通のテーマを、万人に響くように描くことが大事なのではないか。

『家族のかたち』は、国家・社会のシステムや人類の歴史の中で出来上がった枠組から大きく離れることは考えにくいが、本作を観て筆者が思ったのは、元々は有機的--生物の次元で考えるべきもの--なものであり、決して国家やイデオロギーや当事者以外の周囲が当事者に押し付けるものではないのではないか、ということである。
イデオロギーがある一定の『かたち』をつくり、それを大多数が『神聖なもの』として崇め奉り、少数に対して圧力をかけたり脅迫したりする類のものではないはずだ。
諸事情により『家族』をつくれない人々に有形無形の圧力を加えようとする悪癖が、筆者を含む当邦の人びとにはある。

『産みの親』が本当に子供の健やかな成長を促すことができるのか?
所謂『赤の他人』であっても、犯罪行為に手を染めざるを得ない境遇の人々であっても、『育ての親』の役割を果たすことができるのではないか?
と己に対して折に触れて問いかけていきたいし、世の中に訴えかけていきたい。
たとえ、筆者が当邦で定義されるかたちの『家族』を持つことなく生涯を閉じる、としてもだ。

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