【映画鑑賞記】或る人質の見た地獄の398日、そこから見えてくるもの
1:
福岡都市高速の天神北ランプとKBCの近くにあるミニシアター『KBCシネマ』が個人的に『ツボ』な作品をよく上映している。
別の映画をKBCシネマで観た2021年早春のある日、今回触れる『ある人質 生還までの398日』のパンフレットが置いてあった。
概要を読んで、これは是非観ようと決め、限定的ロックダウンの中でも制限の範囲内で公開されたこともあり、時間を取って観ることにした。
本作は、デンマークの写真家であるダニエル・リューさん(事件の被害者)の著書:『ISの人質 13カ月の拘束、そして生還』(光文社新書)を元にした映画である。
体操選手のキャリアを怪我により断念することとなったダニエルさんがコペンハーゲンで写真家のキャリアをスタートさせ、戦時下の街の人々の姿を写真に収めるようになった。
現地の武装勢力の保護の下でシリアの人々を取材する中、ある日ダーイシュの構成員に通訳と共に拉致されたことで1年以上、病魔に苦しみ、ダーイシュの暴力や死の恐怖に囚われながらも拘束された人々と交流を深めて生き延びることを選んだ過程を描いている。
2:交渉について
ダニエルさんのご家族や恋人たちはダニエルさんが連絡先に指定していた交渉人のアドバイスを仰ぎ、危機管理専門のカウンセラーの支援を受け、写真の販売や家を担保とした融資、全国の企業や各団体への寄付の呼びかけなどで身代金を集めるために身代金確保の為に東奔西走した。
デンマーク政府は表向き『テロリスト(ダーイシュ)との交渉はしない』『身代金は出さない』との姿勢を示していたが、本作で紹介されていないだけで水面下で動いていたのかもしれない。
これは騒ぎになったらより危険性が増すと考えて隠密行動をとっていたとも考えられる。
人質交渉の専門家「アートゥア」について
今後交渉人に関する著書を読んだり映像作品を観る必要があるが、ふと思ったのは
・ヒト:現地の有力者や通訳などの人脈
・カネ:活動資金
・スキル:交渉術や経験
・語学力:現地語
・インテリジェンス:刻々と変化する情勢をリアルタイムで掴む
が必要だろうと思った。
そして、何よりも各当事者との信頼関係を壊さないようにすることご大事なのではないか思わされた。
このような重大な事件ではちょっとしたミス(例えば失言、連絡など段取りのミス、生活習慣の違いを軽視する…)で関係が瓦解し悲劇的結末につながることもある。
いかにして信頼関係を維持できるかも大切だと思った。
なお、本作の公開にあたり、東京都内のイベントに登場した2015年にシリアで誘拐されてしまった安田純平さん(ジャーナリスト)のトークが収録されているので皆さんにはご一読いただきたい。
https://cinefil.tokyo/_amp/_ct/17430575
この中で交渉人のテクニックの一つとして『本人にしか分からない質問をする』ということが紹介されている。
将来的には『交渉人』やダーイシュの元構成員の手記なども世に出るだろうが、本作と合わせて見てみることができると、歴史的に役立つだろう。
日本でも誘拐事件なり人質事件が起これば専門家の助言を仰ぐことはあり得るだろうが、個人的に気になったのはこの後書くことである。
3:事件への反応
本作では事件の当事者の動きをフレームアップしているが、はっきりとは出ていないが当時のデンマーク国内の反応に関心を持った。
この頃、中東へ取材などで渡航し同様の事件に巻き込まれた人々の中に日本人もいたが、日本国内での反応は政府も外交当局も反応が冷淡だった。
それどころか、『普通の日本人』(一般の人々という意味で)も、個人差があるとは言える大多数の人々が冷淡だったのは印象的である。
2004年にイラクへ諸事情あって渡航していた人たちが武装勢力に拘束されてしまった人たちへの、当時の首相・小泉純一郎とそれに付和雷同し『モッブ』化した市政の人々の反応を思い起こせば日本人としてはあり得る反応である。
それは個人的には平成バブルの破局〜就職氷河期〜小泉純一郎内閣の誕生・『構造改革』を機に始まったのではなく、元々日本人が『そういう習性』を持っている、とみるのが自然だと思うようになっている。
ふと思い出したのは、『此の先立ち入る可らず』というムラの掟や『女人禁制』の区域のことである。
端的に言えば『禁足地』の概念である。
特に2000年代の中東地域は、武装勢力の暗躍や各国間の武力衝突が継続しており(尤も、1948年のイスラエル『建国』に始まる事実上の戦争状態は2021年の今なお継続中だが)、外務省は渡航に関する注意情報を出している。
江戸時代の鎖国政策の影響ゆえか、島国根性にすっかりまみれた(筆者を含む)日本人にとって、『渡航延期』『渡航中止』『退避勧告』は『此の先立ち入る可らず』のムラの掟のようなものだと解釈すると平仄が合うのではなかろうか。
禁を破った人々がムラの中で非難され、制裁として村八分的措置を甘受せざるを得なくなるという現象が、21世紀の今なお方々で見られる現象である。
『此の先立ち入る可らず』とムラで決まっている『禁足地』に入り、『ムラの掟を破った』人々が有形無形の制裁を受けるのは当然のこと/禁を破った人々の自己責任/自業自得でひたすら罰を受ければよしとする/当事者(特に被害者)が死ぬか世間様にお詫びをすることで禊を済ます、という感覚が、私たちの住まう日本の社会には脈々と生き続けているといっても過言ではなかろう。
4:余談
本作は、ダーイシュが蠢いていた時期のことを振り返り、紛争地域の『空気』を想像することや当時の各国の反応、そしてダーイシュに入ってしまった人々のことまで考えてみるきっかけになるだろう。
個人的に印象的な場面がひとつある。
それはダーイシュの構成員の中で特に粗暴と言われていた『ジョン』が、拘束されていた人質のひとりを射殺するシーンである。
言動は勇ましい(というか虚勢だったのかもしれない)が人質の頭に突きつけた拳銃を持つ手は引き金を引く前にカタカタと震えていた。
『ジョン』は組織内での日常の立居振る舞いが粗暴であったとしても、実際に人を殺すことにはためらいがあったのかもしれない、という設定にしてあったようだが、引き金を引き人質を殺したことで『踏み越えてしまった』んだと思わされた。
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