国鉄労使紛争史『ロード・オブ・ザ・JNR』 :昭和解体〜暴君〜トラジャ〜マングローブ

 


筆者は、小さい頃から鉄道旅行が好きである。
特に国鉄やJRでの旅行が多かった。
その国鉄の末期の派手な労使紛争や中核派などの放火事件については『お前ら何やってんだよ』的違和感を持った記憶もある。

近年『上尾事件』などの労使紛争などの現代史に関する動画を視聴することが多くなった。
また、社労士試験勉強や労働保険の仕事や労組との関わり、そして、2005年のJR福知山線の大惨事のこともあって、労使問題にも関心を強く持つようになった。

ネットサーフィンをしていく中で、国鉄分割民営化にまつわる著者を読んで、何かしら学ぶことがあるんじゃないかと思うようになり、2019年秋からほぼ半年かけて関連するノンフィクション書を読んでいった。
COVID19のパンデミック下でも人々の暮らしを支えてきた鉄道のことである。
我が国の鉄道史の一部として貴重な書籍類だと思っている。
読書の秋がもうすぐ終わるが、冬の夜長の友として、今回は皆さまに4冊紹介していきたい。

1:『昭和解体』
第二次世界大戦により破綻した日本の復興と重なってきた国鉄の歴史を労使紛争の歴史という側面で描いた、牧久(まき・ひさし)氏の著書てある。

『国家というしがらみ』から抜け出せず、政治・経営陣・労組のせめぎ合い、派閥争い、労組同士の確執、内部の腐敗や権力闘争により自滅していった国鉄の叙事詩『サーガ』の第一章と言っても過言ではない。

第二次大戦後に国鉄で起きた下山・松川・三鷹事件(昭和三大ミステリーともいう)から始まり、『反マル生運動』、『順法闘争』、『スト権スト』などの度重なる労使紛争の過程で疲弊・腐敗し、モータリゼーションによる物流網の変化(特に貨物輸送)に適応できなくなった国鉄。

国鉄の改革の中心人物は
松田昌士(まつだ・まさたけ、JR東日本へ)
葛西敬之(かさい・よしゆき、JR東海へ)
井手正敬(いで・まさたか、JR西日本へ)の『三人組』
と中曽根康弘(故人)などの政界のキーパーソン達てある。

国鉄内部の腐敗や主導権争いの中で『三人組』や政治家達が動き、当時の野党・社会党の支持基盤の労組(国労や動労など)にダメージを与えることとなった『政治的判断』や組織の風通しをよくしようとした人々の思惑が一致して『分割・民営化』に至った。
が、それはJRグループの新たな闘いの始まりだった。

2:『暴君』

旧国鉄に10代で入職し、松戸電車区(現・JR東日本松戸車両センター※)などでの理不尽な体験を経て動労に入り、巨大労組・JR東労組(JR東日本の最大労組)のトップまで叩き上げでのし上がった、労組の『カリスマ』と目されたひとりの男・松崎明(まつざき・あきら)の一代記である。
著者は『昭和解体』と同じ牧久氏。 

※千葉県松戸市にあるJR東日本の車両基地(車庫や運転士などの拠点)。常磐線沿い。

国鉄に複数存在した労組(国労や動労、鉄労など)の中でも使用者(国鉄の管理職や経営陣)と特に強く対立し『鬼』とも評された動労。
その動労の国鉄分割民営化直前の『コペ転(コペルニクス的転回)』と言われる労使協調路線への転換など、動労を率いながらも機をみてJRの経営陣に取り入る松崎の『人誑(たら)し』ぶりや、松崎に強い影響を与えた戦後日本の左翼運動のリーダーのひとり黒田寛一(くろだ・かんいち)が確立した現場労働者をターゲットとした新左翼『革マル派』の運動戦術などがJR東労組(および他労組の連合体であるJR総連)の成立と松崎の『成功』に寄与している。

なお、松崎は元々革マル派と深い関係があったが、国鉄分割民営化の時期には松崎はその関係を否定している。
が、それはウソだと考える人が少なからずいた。

松崎の生き様に、所謂『カリスマ経営者』とも言われる第二次大戦後の日本の経済成長期の多くの起業家に通じるものを感じるが、松崎自身の性格がJR東労組とJR総連の勢力後退にも繋がってる。 それはまるで一代で成り上がった企業の栄枯盛衰にも重なる。
国鉄時代末期に成年期を迎えていた方々であれば特に当局や政治家の動きにピンとくる部分があるだろう。

ここである一節を紹介しておく。

『魚は頭から腐ると言う。すべての組織も同じだが、労働組合では尚更である。日本社会は、いつからか、戦争の匂いが漂いはじめた。今こそ労働者のための労働組合が必要なときだ。なのに、労働運動は声も姿もみえない状況にある。なにがそうさせたのか。幹部による労働組合の御用化と私物化策動を、労働者の無関心が許したからだ。このままでは、労働組合は労働者から見捨てられる。そのとき、日本社会は、かつての暗黒の道に入り込むだろう。』(『暴君』 P335より)

当時、松崎と共に動労を引っ張ってきた福原福太郎(ふくはら・ふくたろう)・元JR総連(JR東労組やJR北海道労組が加盟する団体)委員長が、著者『小説労働組合』にこのような予言めいたことを書き残している。
これはJR東労組やJR総連内部で運営方針などを巡る争いが起きていた時に書かれたものである。

この『予言』、平成バブル〜就職氷河期〜小泉構造改革〜リーマンショックで起きたことを振り返ると『至言』だったと言わざるを得ない。



 3:『マングローブ』


松崎明が黒田寛一や革マル派のノウハウを活かして一代で築いたJR東労組の内部対立などを描く。
著者はノンフィクション書籍を多く出している西岡研介(にしおか・けんすけ)氏。

本書の序盤で、『浦和電車区(現・JR東日本さいたま車両センター※※)事件』と呼ばれる、ある乗務員が自らの所属労組(JR東労組)以外の労組のメンバーと交流したことに反発する、同僚であるはずの他のJR東労組のメンバーからの執拗な嫌がらせ行為などの事件が書かれている。

※※さいたま市にあるJR東の車両基地のひとつ。京浜東北線沿い。

この事件のことは以前小耳に挟んだことがあるが、2020年の今、それはJR東労組に強く影響力を及ぼしている革マル派の『生来の性格』(特に秘密主義、他党派への強い敵対姿勢、選挙や分派行為を嫌う部分)がもたらした醜い事件だったと理解している。

建前としては『オープンショップ制(従業員はどの労働組合に入ってもよい)』のJR東日本だが、当時多数派であったJR東労組以外の組合員との交際にJR東労組と会社が共に神経を尖らせ、事実上の『ユニオンショップ制(一つの会社に一つの組合だけ存在が認められる)』が進められ、少数組合に不利益をもたらしてきた。
その例が『浦和電車区事件』であった。
JR東日本幹部とJR東労組の二人三脚的関係が続いていた時期の事件であった。
この頃は、JR東日本に革マル派が浸透していたのではないかとみられている

革マル派が、まるで癌細胞の如く『マングローブ』(企業や官公庁などで働く組合員・革マル派メンバーの革マル派での呼び名)や『トラジャ』(革マル派のフロント企業などの一種の『革マル派グループ』で働く構成員)を使って組織に浸透し、食い破る(組織を制覇・支配する)ことを目指して活動してきた歴史を振り返る。

JR東日本の組織そのものや西岡さんの取材に及んだ革マル派の影響については、この『マングローブ』や後述の『トラジャ』も合わせてご一読いただくと分かるかと思う。

1990年代にJRグループの周辺で起きていた奇妙な事件についても触れられている。

4:『トラジャ』

『マングローブ』でも取り上げられた革マル派の暴走についてJR総連・JR北海道労組の事例をもとにした著書である。
著者は『マングローブ』と同じく西岡研介氏。

労働組合の仕事に専念して組合員のために働く人を労組では『専従』と呼ぶ。
これは労組に関わったことがある人でなければピンとこない言葉だが、それの革マル派版が『トラジャ』である。

『トラジャ』は革マル派に所属し革マル派のグループで働きつつ、各企業に所属している革マル派構成員『マングローブ』に革マル派の方針を伝え、指令を出す。

本書の前半は『昭和解体』や『暴君』の振り返り的要素が強いが、後半は大半をJR北海道の労使の事情に割いている。
後半だけでも読み応えがあると思う。

いくつかの事件が本書で取り上げられている。

JR北海道労組(JR総連)の組合員が他の組合員と結婚するとき、労組が介入するという事件が起きていた。
互いを好きになり愛し合う先にある物事のひとつが結婚である(尤も、結婚をしないという選択肢を排除してはならないが)はずだが、党派性を強く感じさせるこの事件も、革マル派の影響が強いと言われている。

また、長年JR北海道労組の運動に貢献してきた職員が亡くなった件が紹介されているが、JR北海道の中の他の労組のメンバーと彼が交流を持とうとしたことに不信感を持ったJR北海道労組から追放されたという。

それだけでない。
以前、JR北海道の社長が続けて自死したという不可思議な話を聞いた方もいらっしゃるだろう。
これも、革マル派のJR北海道の経営への影響もあったようである。
革マル派の揺さぶりや浸透戦略に、私達では想像がつかない程悩まされ、心労を重ねてきたのだろうか。

ホモ・サピエンスたるヒトがヒトという生物の集団の中でとる行動であるはずの結婚、そこまで『政治介入』することは貴方は望ましいと思うか?
好きな人・恋人同士を『政治』で引き裂いていいのか?
労組とか企業とかいう『人間の集団』を『生物の次元』でみることが出来なくなっているのではないか?
結婚式の件で異常だと思わない方が不思議ではないか。

まるでカルトの様に他の党派への警戒心が異常に強く、内部の構成員への締め付けも厳しいという印象を受ける革マル派の影響がJR東日本やJR北海道に今なお残っているようである。
それが、一企業の運営だけでなく、公共交通機関の維持にも影響していないとはとてもいえない。

闇は深い、と一言で片付けるのは、部外者である私達には簡単な話である。
が、革マル派が人間の弱点を巧みに突き浸透してきた歴史が、JR東日本・北海道の内部に負の遺産を遺していると見るべきだろう。

だからといって、労働組合の存在意義を否定するのは望ましくない。
労働組合が使用者の対抗軸として、もっと風通しが良い集団として、『ムラ社会』の悪弊を克服していく必要があるのではないかと強く思う。

これは、西岡さんも牧さんも共通の認識だろうと思っている。
5:雑感・振り返り

第二次大戦後の国鉄の労使対立から始まる『サーガ』は、例えばソーシャルメディア(特にツイッターの各『クラスタ』(集団)など、あらゆる組織や集団にとって教訓になるのではないかと思わずにいられない。

私達日本人の悪癖として、
『ムラ社会』
『身内以外に冷淡』
『和を乱すことを嫌う』
『事なかれ主義』に染まりやすい傾向がありがちである。
これは、江戸時代の五人組などの影響もあるだろうとは思っている。

また、以前から進歩・左翼・革新系の政治組織は保守・右翼の仲間内優先の縁故政治や腐敗を指弾してきたはずだが、連合赤軍事件をはじめとして革マル派など『新左翼』の関わってきた事件や何年かおきに発生する『左派・リベラル派』の分裂・離合集散や、SNS(特にツイッター)の特徴である『共鳴(エコーチェンバー)効果』と相まった『デジタル村八分』を見るにつけ、少なくとも日本人である以上、ムラ社会はどのような思想信条の組織でも、営利・非営利問わずできるものだと想定して付き合う必要があると思い至った。

日本国内の労働運動の低迷も、権力や資本のカウンターとして存在するはずの労働組合が『ムラ社会』の秩序維持の為に『身内の問題』に落とし前をつけられなかったことが大きな原因だったのだろう。

『労組離れ』というものも、実際のところは、企業/官公庁などの職場という『ムラ社会』への対抗軸であるはずの労組も、詰まるところもう一つの『ムラ社会』に過ぎなかったこと、この『労組ムラ』も職場同様風通しが悪い集団になってしまい、労働者が失望して見切りを付けてしまった、ということも考えられないだろうか。

1973年の『上尾事件』などの騒乱に象徴される春闘の際の『順法闘争』への乗客の反発を、国労・動労が正面から受け止めずに『組織的陰謀』と切って捨ててしまったことがある。
このことは、労組の闘争が結局『政治闘争』『コップの中の争い』(当時の磯崎叡(いそざき・さとし)国鉄総裁)に終始し、それぞれの『ムラ』の論理でしか物事をみていなかったと見られ、労組は利用者や一般の人々を味方につけることができず見放されることにつながったが、これは、労働運動や労組の衰退の歴史の始まりだと思わざるを得ない。

『労組だって身内に甘いただのムラ社会じゃないか』と部外者の人々から思われたのが致命的だったんだろうか。

リベラルだろうが、革新だろうが、保守だろうが、右翼だろうが、『駄目なものは駄目』と、かつての土井たか子(故人)みたく啖呵を切ることができて生身の人間同士の付き合いができる人間を大事にしなければ、そして、ヒトを個人としてのヒトでなく組織の頭数としてしかみなくなればいつでも代わりを充てることができる駒や部品としてみるようになれば、その組織はいずれ崩壊し消滅する。
それは国鉄の顛末を見ればわかることじゃないなか。
国鉄の『戦後史』は私達の現代史としてもっと多くの人が知っておくべきだったんじゃないか。
特にSNSに屯してる運動家の人々や『クラスタ』の中の『インフルエンサー』が現代史に疎いことが不安でならない。

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